2009年、野球観戦のため神宮球場を訪れた当時の皇太子ご一家。愛子さまの初観戦だった 日本を熱狂の渦に巻き込んだワールド・ベースボール・クラシック(WBC)。天皇陛下と皇后雅子さま、長女の愛子さまも日本対米国の決勝戦を仲良くテレビで観戦。14年ぶりとなる日本チームの優勝をご一家で祝福した。野球好きとして知られている天皇ご一家。今回は画面越しで楽しんだが、球場で観戦を楽しむことも珍しくない。
【写真】甲子園の始球式で見せた浩宮さまのダイナミックな投球フォーム* * *
「折れたバットが飛んできたら怖いでしょうね」
7歳の愛子さまの強い希望で実現した初めてのプロ野球観戦だった。場所は神宮球場(東京都新宿区)。2009年のヤクルト対横浜戦だ。試合中、打者のバットが折れるハプニングが起きた。すると愛子さまは、隣にいた雅子さまにそう質問をしたのだ。
愛子さまは双眼鏡を手に、ニコニコと子どもらしい笑顔を見せていた。お気に入りとして知られる横浜(当時)の内川聖一選手が活躍した場面では、身を乗り出して、パチパチと大きく拍手を送った。
愛子さまは活発な少女だった。宮内庁の職員を相手に、バスケットボールや野球をよく楽しんだ。中学時代、ソフトボール部だったお母さま譲りなのだろうか。投球力はかなりのものだという。
天皇陛下と雅子さまの野球熱は、筋金入りである。
中学時代にソフトボール部に所属した雅子さまは、当時から熱烈な野球ファンでもあった。「週刊ベースボール」を愛読していたエピソードはよく知られている。
今回、ご一家で観戦したWBCの試合も、皇太子ご夫妻時代に06年の第1回、そして09年の第2回と続けて、試合が行われた東京ドーム(東京都文京区)に足を運んでいる。
06年の観戦時には、当時、読売新聞グループ本社会長だった渡辺恒雄氏が皇太子さまの隣についた。野球好きのご夫妻らしく、「イチロー選手にお会いしたい」と希望を伝えたところ、試合前に貴賓室でイチロー選手との面会が実現した。
浩宮時代の天皇陛下の野球少年ぶりは、有名だ。当時のエピソードを振り返ると、少年らしい素顔が見えてくる。
1969年、9歳のときには友人とプロ野球のオールスター戦を観戦。隣には解説者の佐々木信也さんが付き添った。ひいきのセ・リーグが攻撃する際には身を乗り出して応援したという。
浩宮さまにファウルボールが当たってはいけない――佐々木さんはそんな思いでグラブを持っていた。すると、浩宮さまは、
「僕が捕るよ!」
と、そのグラブをずっと手にはめ続けた。王貞治選手がゲームで活躍すると、当時の流行語だった「モーレツ」と声をあげて喜んだという。
浩宮時代には、夏の甲子園の始球式でボールを投げている。
88年の第70回記念大会の始球式。浩宮さまはスーツの上着を脱いでマウンドにあがった。打席に立ったのは、常総学院(茨城県)2年生の仁志敏久さん。のちにプロ入りし、巨人などで活躍した名選手だ。
仁志さんは、2015年に高校野球100年を記念するシンポジウム「新たな夏、プレーボール。」で、浩宮さまとの始球式をこう振り返っている。
<「浩宮さま(現天皇陛下)が始球式をされて、「打っちゃいけない、打っちゃいけない」と緊張していました。打たない練習をしたことがないので。(中略)直前に、同高校の木内監督から「球が通り過ぎたら振ればいいんだ」と言われ、「最初から言ってくれよ」と>
始球式で皇太子さまの投げたボールは、ワンバウンドしてしまった。
「やはり難しいものですね。本塁まで遠く感じました」
浩宮さまは、そう感想を漏らした。当時から変わらない実直な性格がうかがえる。
天皇ご一家に限らず、公務で野球に触れる皇族方は多い。
東都大学野球連盟創立85周年を迎えた16年には、国学院大の特別招聘教授を務める三笠宮家の彬子さまが始球式を務めた。国学院大学のユニホームを着用した彬子さまは、投球後に元気いっぱいの笑顔で手を振られたのが印象的だった。
スポーツを通して皇室を見ると、意外な素顔が見えてくる。
(AERA dot.編集部・永井貴子)