神奈川県海老名市にある「エホバの証人」日本支部 宗教団体「エホバの証人」の元2世信者らに対するアンケート結果が衝撃を与えている。国会の委員会質問で立憲民主党の山井和則衆院議員が取り上げたそのアンケート結果には、幼少期に人目がある中で下着を脱がされて親にむち打ちをされたことや「周りの人たちに体を押さえつけられた」「泣き叫ぶとむち打ちの回数が増えた」などという、信じがたい行為が記されていた。より痛みが強くなるように加工した道具が使われたり、親同士でどの道具が効果的か情報交換も行われたりしていたという。「私たちが何をされてきて、今どう生きているかを知ってほしい」(元2世信者)。調査から垣間見える虐待の実態と、大人になった当事者たちの心の声とは。
【写真】幼少期の虐待について声を上げた「エホバの証人」2世の元信者たち* * *
調査を行ったのは「エホバの証人」の元2世信者らでつくるグループ「JW児童虐待被害アーカイブ」。2021年9月に、SNSを通じて実施した。同グループ代表の綿和孝さん(44=仮名)も元2世信者である。
アンケート対象者はエホバの証人の親からむち打ちをされた(または「した」)経験がある、1970〜2000年代生まれの元信者205人と、現役信者20人の計225人。うち217人がむち打ちを「された」経験があり、8人が「した」経験があったという。
エホバの証人といえば、かつて裁判にもなった「輸血禁止」が知られているが、その他にも、子どもでは、自由な恋愛や誕生日会、クリスマスパーティーなどのお祝い事は禁止、など独自のルールがある。布教活動に励むため、学校の友人と遊ぶことや部活動を制限されたり、大学進学を諦めさせられたりするケースもあるとされる。
さらに今、「虐待」として問題視されているのが、日常的に子どもをむちで打つという行為。教団のホームページには「懲らしめは愛の表れ」として、「むちを控える人は子供を憎んでいる。子供を愛する人は懲らしめを怠らない」との聖書の言葉が紹介されている。
綿和さんは実態をこう話す。
「教団は子どもへのむち打ちを推奨していました。『巡回監督』や『長老』という幹部が、集会の場などでむち打ちを勧める発言をしていたんです。私も何度もされましたし、他の子どもたちがされている場面も数えきれないほど見ました。ところが、教団はそうした虐待を認めないばかりか、むち打ちはなかった、などと歴史を消し去ろうとまでしている。私たちが子ども時代に何をされてきたか、事実を知っていただきたいと強く願っています」
実際、綿和さんらが行った調査結果には、驚くべき回答がならぶ。以下、主な質問項目と回答をピックアップしてみる。
▼むち打ちが始まった年齢と、終わった年齢
「された」217人のほぼ全員が小学校低学年までに始まったと回答した。そのうち約75%に当たる162人は、就学前からむち打ちを受けていた。
むち打ちがいつまで続いたかについては、「小学校高学年まで」と「中学生まで」との回答がそれぞれ全体の30%を超えた。高校生まで続いた人も14人、高校卒業以降も続いたとの回答が3人いた。
▼むち打ちをした人
「した」人も含む225人のほぼ全員が「母親」と回答。父親は全体の約24%に当たる54人だった。幹部など、両親や親族以外からむち打ちを受けた人も19人いた(複数回答)。
▼むち打ちの道具
さまざまな道具を使い分けていたようで、「革ベルト」「ホース」「物差し」との回答がそれぞれ約50%いた(「した」人も含む、以下同)。「電気コード」や「野球バット」という回答もあった(同)。
さらに、たたきやすく、より痛みが強くなるように道具を加工していたケースも多かったようだ。
「束ねた電気コードや折りたたんだ革ベルトをビニールテープで巻いたもの」
「ガスホースに金属製のパイプを入れたもの」
「竹の根をむち用に細くしたもの」
など30もの加工事例があり、集会で「長老」が自作したむちを親たちに配ったり、もうけが目的ではないものの、わざわざ売っていたりしたこともあったという。
▼一度の平均で何回ぶたれたか。また、一度にぶたれた最大の回数は何回か
一度の平均の中央値は10.4回。ただ、20回以上は36人いて、うち100回も5人いた。
最大で見ると、中央値は27.3回。50回以上が32人いて、うち100回が20人。300回以上も2人いた。
▼むち打ちに併せて行われたことはあったか
「自分で下着を下ろしてお尻を出す」が約81%の182人。
「泣き叫ぶと回数が増える」が約62%の140人。
「むち打ち前にあいさつを言う」「むち打ち後にお礼を言う」は約28%の約60人。
「終わると抱きしめられる」は約21%の47人いた。(同)
▼むち打ちをされた理由
これについては、宿題を忘れた、ウソをついた、友達のものを盗んだなど、子どもの教育上、叱られること自体は仕方ない理由も目立つ一方で、理不尽な内容もあった。
「幼稚園で誕生日の歌を歌ったのがバレた」
「祭りにこっそり参加したのがバレた」
「世の子(エホバの証人ではない家の子ども)と遊んだ」
「友達からマンガを借りた」
「異性と連絡を取った」
「奉仕中(住居を訪問しての勧誘活動)に(日射病で)歩けなくなって迷惑をかけたから」
一般的に考えて、子どもが学校の友達と遊んだり、友達の誕生日を祝ったりしても親にぶたれることはない。ましてや、加工した“凶器”を使われることはない。
ただ、回答者の多くが幼少期を過ごした時代は、体罰が教育の手段として半ば容認されていた。エホバの証人の信者ではなくとも、親や教師から平手打ちやげんこつをくらった人は多いだろう。マンガやテレビドラマでも体罰のシーンが美談として描かれている作品があった。
そうした時代背景もあってか、2世の子どもが勇気を出して誰かに相談しても「虐待」とは認めてくれなかったという。
元2世信者の手塚麻子さん(41=仮名)も、その一人だ。
小学生のころ、集会で落ち着きがない態度を取るなどの“粗相”をすると、親に下着を脱がされて、革のベルトで尻にむち打ちをされた。
「大人の信者が、時には親しい信者や2世の子どもたちにも手伝わせて粗相した子を押さえつけ、下着を脱がせてたたいていましたし、私もされました」
痛くて恥ずかしくて、泣き叫びながらたたかれ続け、終わると親が「これは愛なんだ」と抱きしめてくる。そんな日常だった。
高校時代、教師に勇気を出して打ち明けたところ、教師はこう答えた。
「いいご両親じゃないか」
親に対する思春期のよくある悩みとして、片付けられてしまった。手塚さんの孤独感は、より深まったという。
だが、回答からは教育とも愛情とも受け取れない虐待の状況が伝わってくる。
「集会中に子どもたちが次々と引きずってトイレに連れていかれ、泣き叫ぶ声が聞こえてきていた」
「(集会で)子どもがむちを打たれる音と、口を押さえられてくぐもる泣き声うめき声が響き渡っていたが、『親子ともに頑張っている』と称賛されていた」
「王国会館にむち打ち専用の『懲らしめ室』があった」
「親同士でどのむちが一番効き目があるかを相談していた」
個々人の特別なケースでは決してなく、調査には、上記と同じような経験をした回答が多数寄せられている。そして、これらの行為を幹部らが正しい行為だと推奨し、親たちに勧めていたとの回答が目立った。
綿和さんもこう証言する。
「幹部が虐待を推奨するだけではなく、親同士も、より痛みを感じる道具について、あれがいいこれがいいなどと情報を交換していました。なかなか想像できないと思いますが、むち打ちは本当に痛いんですよ。私も片方のお尻がみみず腫れになって痛くて、授業中は体を傾けていすに座っていました」
もっとも問題なのは、幼少期の虐待によって元2世信者らが大人になった今も精神面で深刻な問題を抱えているという現実である。
調査に対し、むち打ちを「された」人の「人格形成にネガティブな影響があった」という回答は約74%。半数以上が「精神的な後遺症がある」と答えている。
その詳細を見ると、
「親が高齢になり助けを求めてきたら復讐(ふくしゅう)したい」「そのうち親を殺してしまいそうだ」という怒りに支配されるケース。
「自分が何者なのかわからない」「愛されているということの意味が理解できない」などの虚無感。
「ふとしたときに死にたくなる」などの自殺願望を抱く人。「うつ病で精神科に通院している」など、うつ症状の回答も約40あった。むち打ちのシーンがフラッシュバックしたり、不眠に苦しんでいたりする人も多かった。
また、子どもに対する暴力を正当な行為だととらえてしまったり、自分の子どもをたたきたい衝動にかられてしまったりする「虐待の連鎖」に苦しんでいるという回答も複数あった。
手塚さんも幼少期を振り返り、思いを話す。
「私の場合は、たたかれ続けているうちに、いつの間にかむちが快楽のようなものに変わっていきました。私は親に愛されているんだ、これが愛なんだ。もっとたたかれたい、もっと愛されたいって。抵抗できない子どもがゆえ、認知が大きくゆがんで育ってしまうんです。さらに、他人や社会と接することもずっと制限されてきましたから、脱会してもどうしていいかがわからず、生きづらさに直面します。私と同じように、元2世信者の多くが苦しんでいます。『昔よくあった体罰を受けた』のではなく、幼少期に大変な思いをして、今も後遺症を抱えながら生きているということを知っていただきたいです」
淡々と話す手塚さんだが、時折うつむき、表情が苦しそうになった。
これらの行為について、教団はどう答えるのか。
AERA dot.がエホバの証人に対して「むち打ちを組織的に奨励してきたのか」「子どもへの輸血を拒否しているのはなぜか」と質問したところ、「具体的な事例が事実認定されているわけではない」として、エホバの証人の考え方を記したという「メディア用ステートメント(声明)」を送ってきた。
その中では、
「エホバの証人は児童虐待を容認していません。エホバの証人の出版物は一貫して、子どもを愛情深く教え導くよう親に勧めてきました。(中略)しつけには、子どもが悪いことをしたときに矯正することも含まれます。とはいえ、しつけは子どもに対する愛に基づいて行われるべきであり、決して虐待したり、冷酷に接したりすべきではありません」
「聖書に出てくる『懲らしめ』という語は、教え諭すことや正すことに関連しており、虐待や残酷さとは全く関係がありません。エホバの証人の出版物は『懲らしめ』を(1)愛情をもって(2)適度に(3)一貫して与えるように勧めています」
また、子どもへの輸血拒否については、
「エホバの証人が輸血を受け入れないのは、医学的な理由ではなく、宗教上の理由です。『血……を避けて』いるようにという聖書の言葉に従いたいと願っているからです」
「エホバの証人は、輸血やその他の治療法を受け入れるかどうかは、各人の個人的な決定であると教えており、強制されたり、圧力を受けたりして決めることではないと考えています。個々のエホバの証人は、聖書の原則に基づいて、どんな治療を選ぶかを個人的に決定します」などと記されていた。
綿和さんは、強く憤る。
「教団は、虐待を認めて謝罪すべきです。間違っていたことを公に認めなければ、これからも子どもたちがたたかれ続ける可能性があります。実際、このアンケート結果を公表してから、今でもまだ信者の家庭内でむち打ちが続いていることや、子どもが教団から離れないようにするためにむち打ちは必要だと話す信者が多くいる、という証言が集まっています。ただ、おそらく教団は(批判の)嵐が過ぎるのを待っているだけで、変わるつもりはないでしょうね」
学校の友達と遊ぶ。マンガを読む。誰かの誕生日を祝う。集会でちょっとはしゃぐ。思春期に自由に異性に興味を持って仲良くなったり、好きになって交際したりする。
話を聞いた2人によると、そんなたわいのない経験すら許されず、人生の楽しみや、夢や希望を持つことができないまま大人になっていくのが2世信者たちの姿だという。
親に頼るしかなく抵抗もできない子どもたちに深い傷を残していることについて、教団は正面から向き合った方がいいのではないか。
(AERA dot.編集部・國府田英之)