民放にはマネできない、元紅白総合司会アナ&大河脚本家が語る「NHKにしかできない」番組作り

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2023年04月01日 17:00  週刊女性PRIME

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※画像はイメージです

 今年は、日本でテレビ放送が始まって70年という節目の年を迎える。

NHKにしかできない番組の制作秘話

 これを記念して、現在NHKでは、放送してきたほぼすべての番組を紹介する「NHKテレビ放送開始70年特設サイト テレビ70」を開設。歴代の朝ドラ、大河ドラマのラインナップはもちろん、スポーツ、ドキュメンタリー、紀行、アニメなど、これまでNHKが手がけてきた番組を、まるで博物館の展示物を見るような感覚で再確認することができる。

「ソフトの豊かさは、他の追随を許さないのではないかと思う」と語るのは、元NHKアナウンサーの堀尾正明さん。『スタジオパークからこんにちは』('95年)をはじめ、『第55回NHK紅白歌合戦』('04年)の総合司会や、『NHKニュース10』('00年)のメインキャスターを務めるなど、多岐にわたってNHKの番組を担当してきた。

「スタジオパークもそうでしたが、NHKの核の一つに公開放送があります。NHKは、視聴者の皆さんから受信料をいただき制作する公共放送です。視聴者を大切にするという気持ちがありますから、可能な限り皆さんにも楽しんでいただきたい。そういう思いが強いんですね」(堀尾さん、以下同)

『NHKのど自慢』や、過去には『レッツゴーヤング』('74年)や『ポップジャム』('93年)。堀尾さんが話すように、NHKの公開収録番組には名番組が少なくない。

「スタジオパークが始まったのは、'95年3月22日でした。その2日前には、地下鉄サリン事件が発生しました。そのため、公開収録は中止にしたほうがいいのではないかという議論もありました。ですが、楽しみにしている方を落胆させてはいけないということで、公開収録に踏み切った。放送された番組では楽しそうな雰囲気に包まれていたと思うのですが、僕らもスタッフもものすごい緊張感があったんです」

 NHKといえば、『NHKスペシャル』('89年)や『映像の世紀』('95年)、『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』('00年)といった、報道・ドキュメンタリーの分野においても魅せられたという人は多いはず。堀尾さんは、「世界的なネットワークがあるからこそ」と声を大にする。

「僕がいた当時は、国内47都道府県に54の放送局がありました。ネットのない時代においては、NHKの情報の収集量は圧倒的でした」

 実はこうしたネットワークがあるからこそ、NHKアナウンサーの基礎体力が身についたとも付け加える。

「新人のNHKアナウンサーは、初任地である地方局で基礎を学びます。アナウンス力を磨くだけではなく、自らネタを探してきて、企画を提案し番組を作る─つまり、ディレクター的な業務も兼務します」

 なんでも、カメラを回すことも、ナレーションのアテレコも、すべて自分で担当するという。しかも、最後は自分が出演し、アナウンサーとして伝えるというのだから、一人二役どころではない。幅広い視野を持つからこそ、NHKには実力のあるアナウンサーが多いというわけだ。

「地方局に在籍中は、視聴者の方と距離感が近いものですから、街中でも『堀尾さん!』なんてよく声をかけられます。うれしい半面、変な姿は見せられないというプレッシャーもある。また、近いからこそ、お叱りの投書も届きます。『もっとやせてください』とか『画面に映る堀尾さんの顔が大きいので何とかしてほしい』と書いてあったときは、さすがに笑うしかなかったですよ(笑)」

朝ドラ、大河ドラマ、名脚本家が語る裏側

 平均世帯視聴率62.9%。全放送局のドラマ史上、もっとも高い視聴率を誇るのが、『おしん』('83年)だ。NHKをひもとくうえで、連続テレビ小説(通称・朝ドラ)や、『独眼竜政宗』('87年)といった大河ドラマの存在を忘れてはいけないだろう。

「NHKの大河ドラマというのは、脚本家にとってあこがれの舞台」

 そう語るのは、朝ドラ『京、ふたり』('90年)や『秀吉』('96年)、『利家とまつ』('02年)といった平成を代表する大河ドラマの脚本を手がけてきた竹山洋さんだ。

「私は、'93年にNHKの『金曜時代劇』で放送された『清左衛門残日録』の脚本を担当し、文化庁芸術作品賞や橋田賞をいただいた。まもなくして、NHKのプロデューサーから『NHKには“長いドラマ”がありますが、それをやってみませんか?』とオファーがあった。これは大河のことだなと、跳び上がりました」(竹山さん)

 竹山さんがオファーを受けたのは、『秀吉』のスタートの約3年前だといい、この時点では、「題材は決まっていなかった。私のほうで豊臣秀吉を軸に置いた大河を書きたいと提案した」というから驚きだ。

 竹山さんは、「あくまでわれわれの時代の話だが」と断りを入れたうえで、「制作サイドとは自由闊達に連携を取りながら作らせていただいた。プレッシャーは尋常ではなかったけれど」と笑う。

 もちろん、時代背景を鑑みてテーマを選ぶこともあるという。その一例が、『利家とまつ』だと語る。

「'99年に、男女共同参画社会基本法が施行されました。そうした時代観を反映した題材が良いといわれ、『利家とまつ』を着想した」

 まつの決めゼリフである、「わたくしにお任せくださいませ」は、流行語にもなった名フレーズだが、実はこんな裏話が。

「いいセリフが浮かばずに、『このままではダメだ』と頭を抱えていたときに、私の妻が、『脚本ができずにお金をもらえなかったとしても、私がなんとかするから任せておけばいいのよ!』と言ったんです。『これだ!』と思って脚本に反映したら、プロデューサーも大いに気に入ってくれた」(竹山さん)

 思わず視聴者が、「わかる! わかる!」と感情移入してしまう脚本の妙もあったからこそ、記憶にも記録にも残る朝ドラ・大河ドラマは生まれたのだ。

NHKが果たしてきた役割

 NHKの幅広いジャンルの番組を、横断的に担当してきた前出・堀尾さんは、「テレビというのはリアルタイムの希少性もあると思います。そういう意味でも、NHKが果たしてきた役割は大きいでしょう」と語る。

「紅白歌合戦、トリノ、アテネオリンピックのメインキャスターなどをしてきましたが、忘れられないことの一つに、午後10時台に放送していた『NHKニュース10』があります」

『NHKニュース10』は、当時、同時間帯で快進撃を続けていた久米宏が司会を務める『ニュースステーション』(テレビ朝日系)に対抗すべく生まれた報道番組だった。

「'01年、アメリカ同時多発テロ事件が発生しました。実は、リアルタイムでこのときの映像をお伝えしたのはNHKだけなんですね。テレ朝さんも、映像が間に合わなかった。前述した世界規模のネットワークを持つNHKだからこそ、ビルに飛行機が衝突する……あの映像をリアルタイムで報道することができた」

 ケネディ暗殺の映像をいち早く放送したのもNHKだった。こうしたアーカイブ映像が数多くあるからこそ、高クオリティーなドキュメンタリーが生まれることは間違いない。「NHKにしかできないことがあるからこそ、多くの視聴者の記憶に残っていると思う」。そう堀尾さんは語る。

「どんなにメディアが多様化したとしても、クオリティーという点に関してはNHKは素晴らしいものを持っている。その場のウケを重視するのではなく、民放とは差別化した質の良い番組を目指してほしい。テレビが選ばれなくなってきている時代だからこそ、NHKは何を作るのか? 迎合せずに作り続ければ、きっとこの先も視聴者の皆さんの胸に響く番組は生まれると思います」

 昨今は受信料の賛否など、何かと周辺が慌ただしいNHK。雑音を吹き飛ばすくらいの素晴らしいドラマや番組を期待したい。

堀尾正明(ほりお・まさあき)●1955年生まれ。1981年にNHKへ入局。『スタジオパークからこんにちは』『100年インタビュー』『サタデーサンデースポーツ』など数々のNHKを代表する番組の司会を担当。'08年、フリーに転身し、テレビを中心にキャスターとして活躍している

竹山洋(たけやま・よう)●1946年、埼玉県生まれ。早稲田大学文学部卒業。テレビ局演出部を経て、脚本家に。主な作品に、連続テレビ小説『京、ふたり』、大河ドラマ『秀吉』、映画『四十七人の刺客』ほか多数。紫綬褒章受章(2007年)、旭日小綬章受章(2017年)

(取材・文/我妻弘崇)

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