WBC世界一の日本野球、かつては米国に「コテンパン」 王貞治らが健闘も“絶望的な差”

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2023年04月01日 17:30  AERA dot.

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巨人・王貞治(写真)らが活躍も米国には歯が立たなかったかつての日本野球
 第5回ワールドベースボールクラシック(WBC)で、日本が米国を3対2で下し、3度目の世界一を実現した。


【写真】「やっぱり“侍ジャパン”に選んでほしかった投手」がこちら 過去2回の決勝の相手はキューバと韓国だったが、今回は初めて決勝で野球発祥の国・米国を下しての快挙という意味でも、“真の世界一”という思いを深めたファンも多いはずだ。


 だが、侍ジャパンが躍進する以前の日本は、日米野球で米国に何度もコテンパンにやられ、“野球の本場”とのレベルの差に圧倒されっぱなしだった。そんな長い苦闘の歴史を振り返ってみよう。


 まず昭和9年(1934)、日本が初めてプロチーム「全日本軍」を結成し、ベーブ・ルースらを擁するMLB選抜に挑んだが、16戦全敗に終わっている。


 屈辱的な惨敗のなかで、今でも“伝説の試合”として語り継がれているのが、17歳の沢村栄治が先発した静岡・草薙球場での第10戦だ。


 初回にルースを“懸河のドロップ”で三振に打ち取った沢村は、2回にもルー・ゲーリッグを3球三振に切って取るなど、米国を5回まで1安打に抑える。


 7回にドロップの曲がりばなをゲーリッグに右翼席中段に運ばれ、0対1で敗れたものの、5安打9奪三振の1失点と大健闘。つい3カ月前まで京都商に在学していた“スクールボーイ”の快投に、コニー・マック監督も「サワムラを米国に送らぬか。2、3年でメジャーで使えるようになる」と惚れ込んだ。


 その後、大日本東京野球倶楽部(巨人の前身)に入団した沢村は、翌年の第一次米国遠征でも、3月17日のセネタース戦で7回まで無安打無失点に抑えるなど21勝を挙げ、米国人をも熱狂させた。


 戦後は1949年に日米野球が再開され、3Aのサンフランシスコ・シールズが来日した。


 だが、相手がMLB球団ではなかったにもかかわらず、日本は7戦全敗(六大学選抜戦を含む)に終わる。


 黒歴史はなおも続く。51年は全米選抜、53年にはMLB選抜が来日も、日本は1勝13敗2分、1勝11敗とまったく歯が立たず、55年のヤンキースには0勝15敗1分と1勝もできなかった。


 そんな苦境にあって、あと少しでノーヒットノーランの快投を演じたのが、62年の阪神・村山実だ。


 デトロイト・タイガースを迎えての第16戦、村山は直球と変化球を内外角低めに投げ分け、7回まで安打を許さない。


 4対0とリードした8回も、村山は先頭打者に四球を与えたものの、2死を取り、ノーヒットノーランまであと4人となった。


 ところが、次打者、マイク・ロークの左前へのライナーを張本勲が一度はグラブに入れながら落球……。エラー判定に一縷の望みをかけ、振り返ってスコアボードを見つめた村山だったが、無情にも「H」のランプがともった。


「ノーヒットノーランを意識していたが、大リーガーに打たれたのだから仕方がない」と気持ちを切り替えた村山は、9回にも安打を許したものの、1死一、二塁から後続を断ち、2安打完封勝利。日本の投手が9回を投げ抜き、米国を完封したのは、史上初の快挙だった。


 だが、全18試合のタイガース戦で、日本は4勝12敗2分と大きく負け越し、米国は依然として“超えられない壁”だった。


 村山の快投から4年後の66年、日本はドジャースを相手に8勝9敗1分と善戦し、大きな手応えを掴む。


 中でも全18試合に出場し、5本塁打を記録した巨人・王貞治の活躍が光った。


 第9戦で1号2ランを放った王は、第10戦でも2打席連続弾を記録し、「僕の一本足打法が大リーグでも通用することがわかった」と自信を深める。ワールドシリーズV4度の名将、ウォルター・オルストン監督も「あれだけ足を上げてバランスが崩れないのは素晴らしい。大リーグでもクリーンアップの一角を打てるかもしれない」と賛辞を惜しまなかった。


 王は68年にもカージナルスを相手に通算6本塁打を記録したが、日本は通算5勝13敗と振るわず、一歩後退となった。


 86年にはMLB選抜との日米オールスター対決が実現し、以後隔年開催されるようになるが、同年の日本は第5戦で1勝するのが精一杯(通算1勝6敗)。3対13と大敗した第4戦では、4回2死から落合博満が左翼線二塁打で出塁した直後、捕手、トニー・ペーニャが座ったまま二塁にけん制球を投げ、まさかのタッチアウト。メジャーでは「ルーティン(当たり前のプレー)」(ペーニャ)という“神送球”にしてやられた落合は「あんなのないよ」と唖然とするばかりだった。
 


 だが、90年にMLB選抜に4勝3敗1分と、日米野球の長い歴史の中で初めて勝ち越すと、その後は野茂英雄をはじめ日本人メジャーリーガーも次々に誕生。しだいに日米の実力差も縮まっていく。


 そして、沢村の伝説の快投から89年後、侍ジャパンが“打倒米国”の悲願を実現し、世界の頂点に駆け上がった。


「僕らはアメリカの野球をリスペクトしていますし、彼らの野球を見本にしてこれまで頑張ってきたと思うので、今日はたまたま勝ちましたけど、これからもっともっと高いところを目指して、もっともっと頑張っていきたいなと思います」とさらなる飛躍を誓う大谷翔平の言葉からも窺えるように、日米対決はこれからも熱い火花を散らしながら、新たな歴史を刻みつづけていくことだろう。(文・久保田龍雄)


●プロフィール
久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」(野球文明叢書)。


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  • 他の競技(サッカー、ラグビー、バスケ等)も野球の代表ように地位向上に期待したいですね
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