「球界の盟主」にトレードで入団も…巨人にいた印象が薄すぎる名選手たち

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2023年04月18日 07:14  ベースボールキング

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巨人時代の金城龍彦 (C) Kyodo News
◆ 元祖甲子園のアイドルも巨人では…

 主力として長く活躍した選手が、現役晩年になって、他球団に移籍してプレーを続ける例は多い。だが、多くは移籍先で目立った成績を残せず、人知れず退団していく。

 その中には、人気球団の巨人に移籍したにもかかわらず、巨人のユニフォームを着てプレーした姿が、あまり印象に残っていない選手もいる。


 “元祖”甲子園のアイドルとして人気者になり、ドラフト1位で近鉄入団後、3年連続ファン投票1位でオールスターに出場した太田幸司もその一人だ。

 1974年に初めて10勝を挙げ、人気先行状態から脱皮すると、翌75年にも自己最多の12勝を記録するなど、4年間で2ケタ勝利3度と安定した成績を記録。鈴木啓示に次ぐエース格になった。

 しかし、80年以降の3年間は故障続きで1勝もできず、83年3月末、金銭トレードで巨人へ。「心機一転、少しでも巨人の優勝に貢献したい」と誓った。

 右肩痛も治り、貴重な中継ぎ要員として開幕一軍入りをはたしたが、登板機会のないまま4月18日に外野手の島貫省一と入れ替わりに登録抹消。結局、一軍では1度も投げることなく、翌84年、鈴木弘規との交換トレードで阪神へ。その阪神でも一軍登板のないまま、シーズン後に引退した。

 かつては「青森県(一説では東北地方) 太田幸司様」の宛名だけでファンレターが届いた超人気者も、巨人・阪神でプレーしたことを覚えているファンはかなり少ないのではないか。


◆ 広島・日本ハムで活躍した金石昭人も

 広島時代の86年に12勝を挙げてチームの優勝に貢献し、日本ハム時代にも2年連続20セーブ以上を記録するなど、主に守護神として活躍した金石昭人も、現役最終年に巨人でプレーしていた印象はあまり強くない。

 日本ハム6年目の97年、肩や腰の状態が悪かった金石は、6試合登板の0勝1敗、防御率9.64に終わると、自ら自由契約を申し入れ、各球団に「テストを受けたい」と手紙を書いた。


 声をかけてきたのは、意外にも「一番縁がない」と思っていた巨人だった。抑え投手の補強を急務とする巨人は、37歳のベテランの経験を買ったのだ。

 肩と腰も回復した金石は、必死に自主トレを続け、翌98年の巨人の春季キャンプにテスト生として参加。フリー打撃や紅白戦での好投が認められ、晴れて合格を勝ち取った。

 その後、5試合に登板したオープン戦でも6回1失点と好調をキープし、4月3日の開幕戦でヤクルト戦で移籍後初セーブを挙げた。ここまでは順調だった。

 ところが、テストの時期に合わせて早めに体をつくってしまったことから、「開幕を迎えるころには、体がガソリン切れを起こしたような状態になって」(自著『裸の野球人』/KKロングセラーズ)シーズン終盤のように体力が落ちていた。

 次第に球が走らなくなり、腰痛も再発。4月29日の中日戦で初の押し出し四球を許したとき、「自分の野球人生は終わった」と実感したという。5月に二軍落ちした金石は、レギュラーシーズン最終戦・広島戦での登板を最後に、ユニフォームを脱いだ。


◆ 西武の名遊撃手と広島の名捕手

 西武黄金時代の遊撃手・田辺徳雄も、出場41試合に終わった99年に戦力外通告を受けたが、「力が落ちたとは思っていない」と現役続行を表明。“左殺し”の実績が買われ、石井浩郎と広澤克実が抜けて右の代打が不足する巨人への移籍が決まった。

 子供のころから憧れていたチームに入団した田辺は登録名を「徳雄」から「路朗」に変え、「初めてのセでも不安はない。内野ならどこでもやります」とオールラウンドをアピールしたが、層の厚い内野陣に食い込むことができず。代打で7試合出場(7打数1安打)しただけで再び戦力外通告を受けると、ついに現役を引退した。


 広島の正捕手を長く務めた西山秀二も、出場21試合に終わった04年にコーチ就任の打診を断り、自由契約となって、“最後の働き場所”を探し求めた。

 そして、経験豊富な37歳のベテラン捕手は、センターラインの強化を最大の補強ポイントとする巨人のユニフォームを着ることになった。

 奇しくも中学時代にバッテリーを組んだ桑田真澄と再びチームメイトになった西山は「自分の役目はわかっている。自分が一生懸命やることを見てもらえば、自ずとわかると思う」と正捕手・阿部慎之助のサブと若手捕手のアドバイス役としてチームに貢献することを誓った。

 翌05年4月17日のヤクルト戦。前日に死球を受け、右肩甲骨を痛めた阿部に代わって初のスタメンマスクをかぶった西山は、先発・桑田と23年ぶりのバッテリーを実現。

 同点の8回には安打で出塁して二進後、仁志敏久の左前安打で捕手・古田敦也の後方に隠れていた本塁ベースに足を滑り込ませる好スライディングで決勝の生還をはたし、「仕事ができて良かった」と充実感を味わった。

 だが、阿部の復帰後は出番がなくなり、出場13試合にとどまると、同年限りで引退した。


 このほか、横浜時代の00年に首位打者を獲得した金城龍彦も、DeNAのコーチ就任を断って2015年に巨人に移籍。故障で登録を抹消された6月以降は一軍での出場機会がなく、出場36試合で現役最終年を終えている。


文=久保田龍雄(くぼた・たつお)

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