天皇・皇后両陛下、“真珠婚までの長いトンネル”と雅子さまを救った「2つの出来事」

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2023年06月08日 11:00  週刊女性PRIME

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約19万人が沿道に集まったご結婚の祝賀パレード('93年6月9日)

「もう30年もたったのですね。あっという間でした」

 皇后雅子さまは、5月30日の夜、天皇陛下と長女・愛子さまとご一緒に、即位5年と結婚30周年を記念する特別展『新しい時代とともに―天皇皇后両陛下の歩み』(東京・日本橋高島屋)を鑑賞された後、このような言葉で結婚生活を振り返られた。

宮内庁長官による「衝撃的なひと言」

 この日の雅子さまは、婚約会見のときと同じく真珠のネックレスを着けられていた。デザインこそ異なるが、真珠は雅子さまが特にお好きな宝飾品のひとつ。今年6月9日にお迎えになるご結婚30周年の記念日も「真珠婚」。

 雅子さまが皇室入りなさったのは1993年のこと。雨上がりのご成婚パレードでは、国民の祝福に時折、涙をにじませていた。「皇室」という存在の素晴らしさと、日本国民の「象徴」の眷属に身を置くことの重みを感じられたに違いない。

 だが「皇室」という現実は、想像していたよりも厳しかった─。

◆   ◆   ◆

 皇室にとって、皇位継承問題は喫緊のことだった。皇太子(当時)ご夫妻に期待が寄せられたが、結婚生活が2年を経過してもコウノトリが舞い降りることはなかった。宮内庁は、海外公務を制約することがご懐妊につながると考えるようになり、雅子さまは世継ぎ問題で悩まれるようになったといわれている。

 その後、不妊治療をなさり、稽留流産という悲しみを乗り越えられ、待望の愛子さまをご出産された。

 だが内親王という女の子の誕生では、皇統維持は解決しない。ご夫妻もその重要性などから、愛子さまのごきょうだいとなる2人目を考えられていたというが、公務は制約から一転し、宿泊を伴うものが増えていった。雅子さまは当時、会見で、

「今の時点で、公務ももちろん大切に考えていますが、子どもにとって、人生の最初の何年間はとても大切な時期とも聞きますので、愛子の成長を見守り、助けていく育児も親として大切にしていきたい」

 と述べられていた。

 そうした矢先、宮内庁長官が会見で「秋篠宮さまに第3子をお願いしたい」と発言。それを聞いた雅子さまは深く傷つかれたという。雅子さまはこのころには、はっきりとご体調に変化を感じられるようになっていたようだ。

 2003年、帯状疱疹のため入退院をされて、静養に入られた。この時点で、心の病があることも明らかだったが、精神科医の主治医も病名もつかないままだった。

 宮内庁病院には精神科医がいないことから、宮内庁幹部は“(担当医を)探している”とは言っていたが、ご出産後からお身体の不調を訴えていたにもかかわらず、時間だけが経過していた。

被災者からの言葉が「癒し」に

 雅子さまは宮内庁のすすめもあり、ご実家の小和田家の軽井沢の別荘で静養したが、治療が行われていない以上、限界があったという。打開策として、皇太子さまが動かれた。2004年、単独の外国訪問前の会見の中で、雅子さまの置かれてきた状況とお気持ちを訴えられ、皇室内には激震が走った。

 皇太子さまの「人格否定発言」とまで言われたが、その後、担当医が着任し、治療を開始。2か月後、病名は『適応障害』と発表された。雅子さまのご病気は、皇室の中でご病気になって、皇室の中で治していかなくてはならないという難しさがあった。

 さらにご体調が整わずにスケジュールを変更したり、予定時間がずれたりすることもあったため、厳しい報道にも晒され続けたが、ご病気を治すことだけに向き合われてきた。心のご病気には、家族の支えが必要だという。皇太子さまと愛子さまの存在は、とても大きいものだといわれた。

 皇后となった現在でも代々の皇后に受け継がれてきた代々の御養蚕の作業に、陛下と愛子さまが出席なさるのも、そうした理由があるようだ。雅子さまの公務に変化が見え始めたのは、2011年の東日本東北3県の被災地へのお見舞いからだった。雅子さまが被災者たちに声をかけられると、今度は被災者たちから、

「ご病気なのにこんなところまで来ていただいて」
「大変なところありがとうございます」

 という言葉が返ってきた。癒し、癒されるという相互理解が生まれたのだった。

2015年のトンガ王国のトゥポウ6世の戴冠式でも会場の教会の前に集まった女子学生たちから、

「マサコ! マサコ!」「ニホンアリガトウ!」「またきてね」

 というたどたどしい日本語と多くの歓声に包まれた。雅子さまは、ビジューがちりばめられた華やかなドレス姿で、彼女たちに応えるような満面の笑顔だった。

愛子さまからの手作りケーキとお祝いのカード

 前回のオランダ国王の即位式(2013年)では、式典のみのご出席で、それ以外はホテルから一歩も外出なさらなかったのと比較すると大きな違いがあった。

「この2年間、雅子さまはとても努力をなさってご病気と向き合われてきたと感じました。トンガ王国の王族方や関係者をはじめ、晴れわたった青い空と大きな歓声すべてに優しく迎えられているようでした。心身の不調には孤独感が大敵といわれていたので、トンガに行かれたことは大きな自信につながったのではないでしょうか」(元東宮職)

 そして、雅子さまは皇后となった今でも国民と寄り添い合われている。両陛下は6月3日と4日に、再び東北へ向かわれた。岩手県で開催された『第73回全国植樹祭』にご出席されたのだが、同県への訪問は2016年以来、実に7年ぶりとなる。

 一昨年の3月にも陸前高田市をオンラインで視察し、被災者たちの話に耳を傾けられ、言葉を交わされた。今年も復興の象徴として知られる『奇跡の一本松』を視察したり、『東日本大震災津波伝承館』で被災者と懇談されることを心待ちになさっていたという。

 帰京されてからは、ご結婚記念日に皇族の方々を交えてのお食事会などは行わない予定で、両陛下と愛子さまだけのつつましやかな夕食となるそうだ。毎年、記念日には、愛子さまが手作りケーキとお祝いのカードを贈られるというが、今年も30周年を記念して、温かいメッセージが届けられることだろう。

取材・文/友納尚子 1961年生まれ。新聞・雑誌記者を経て独立。雅子さまのご病状について、皇太子妃時代に初めてスクープ。著書に『ザ・プリンセス 雅子妃物語』『皇后雅子さま物語』(文春文庫)などがある

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