◆ 猛牛ストーリー【第87回:ブーマーさん】
2023年シーズンにリーグ3連覇、2年連続の日本一を目指すオリックス。監督、コーチ、選手、スタッフらの思いを、「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。
第87回は、外国人選手として初めて三冠王に輝き、1980年代後半の阪急、オリックスを支えたブーマーさん(69)です。
11年ぶりに来日し、3日の楽天戦(京セラドーム大阪)では特別始球式を務め、中嶋聡監督らと旧交を温めました。
◆ 「心優しい力持ち」
特別始球式でブーマーさんの名前が告げられると、スタンドから大きな歓声と拍手が沸き起こった。
客席には背番号「44」「BOOMER」のユニホームを着込んだオールドファンの姿も。打席には「44」を受け継ぐ頓宮裕真、捕手は2Aで飛距離161mの本塁打を誇るセデーニョ。ワンバウンドとなったボールに、ブーマーさんは右肩を押さえて痛そうな素振りをみせるなど、陽気でおちゃめな現役時代そのままのパフォーマンスで場内を盛り上げた。
「肩が痛い。パスタイムを下さい」
始球式後の会見でも、自身が現役時代に出演していた湿布薬のコマーシャルを持ち出して笑いを誘おうとしたが、現役時代を知る関係者は少なく、やや滑った。
死球を受けてから薬局に駆け込み、「パスタイム下さい!」と訴え、受け取ると「阪急ベリーマッチ!」と答えるというCMだったが、通訳を務めたメディア関係者が「昭和59年(1984年)頃に人気だったCMです。ぜひネットで観て下さい」と補足する場面も。
ブーマーさんは1983年に阪急に入団。84年に打率.355・37本塁打・130打点で外国人選手として初の三冠王に輝いた。
阪急、オリックスで9年間プレーし、92年ダイエーに移籍。NPB通算10年で277本塁打。首位打者2度、本塁打王1度、打点王4度のタイトルを獲得した。
本名はグレゴリー・デウェイン・ウェルズさん。だが、並外れたパワーや長打力をアピールするため、球団関係者が「ブームを呼ぶ男」として「ブーマー」と命名し、登録名に。
阪急時代の同僚で、現在はオリックス青濤館副寮長の森浩二さん(61)は「コンパクトなスイングですが、トップからミートまで最短でバットが出て広角に打てるうえ、パワーがあるので打球は楽々とフェンスを越えました。だから率は残りますし、本塁打も量産出来る規格外の打者でした。第1打席でヒットを打つと固め打ちしたのが、印象に残っています。好不調の波も少なかったですね」と、ブーマーさんの打撃を語る。
死球を受け、投手に向かっていくシーンも映像に残るが「自分を守るための行為でしょう。あの時代では当たり前のことでしたし、もっと感情をあらわにする外国人選手もいましたから、彼がキレやすい性格だったわけではありません。どちらかといえば、『心優しい力持ち』という選手でした」と森さん。
チームメートからは「ブー」や「ブーちゃん」と呼ばれ、愛される存在だったという。
◆ かつての戦友を偲ぶ
現在は、米国ジョージア州で2人の孫らと過ごす。
「今仕事はしていないけど、スカウティングなど野球の仕事がしたいね。オリックスから話があれば、喜んで引き受けるよ」と、側面から古巣への支援を惜しまなかった。
頓宮の現在の成績を報道陣に逆取材し、「とてもナイスガイ。まだ若いし、これからいろんなことを学んで成長していくと思う。いずれは三冠王を狙える選手になってほしい」とエール。ファンが頓宮の応援にブーマーさんの当時の応援歌を使っていることを知らされると、「とてもうれしい」と感謝した。
また、セデーニョには「引っ張るだけではなく、すべてのフィールドに打球を飛ばすことが大事」と、自身が日本の野球で成功した広角打法を勧めた。
87年に阪急入団の中嶋聡監督(54)からは、投手の特徴などを教えたことなどから「先生」と呼ばれていたことを明かし、「今は、見た目では私の方が若いね」とジョークを飛ばしたという。
リーグ3連覇に向け快走中のチームについては「とてもよくやっている。このままリラックスしてやってほしい」とした。
今年1月、かつての同僚の門田博光さん、3月には通訳のバルボンさんが亡くなる悲しい知らせも届いた。
ブーマーさんは、17年7月に鬼籍に入った当時の監督・上田利治さんの名前も挙げ「ウエダさんは義理の父のよう、カドタさんはグレートフレンド、バルボンさんはおじさんのような存在だった。この3人は私の人生にとって、とても重要な人。とても悲しい」と故人を偲んでいた。
取材・文=北野正樹(きたの・まさき)