元阪急の最強助っ人ブーマーが11年ぶりに来日…“後継者”の頓宮とセデーニョにアドバイス

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2023年08月05日 10:46  ベースボールキング

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ブーマ氏と頓宮 [写真=阿佐智]
◆ 外国人選手初の三冠王“怪人”ブーマーが来日

“怪人”ブーマーがオリックスに帰ってきた。

 NPB10年で通算1413安打、277ホーマーを記録。来日2年目の1984年には打率.355、37ホーマー、当時のチームの試合数と同じ130打点を挙げ、外国人選手初の三冠王に輝いた。この年を含めOPS1.000越えは3回を数えるというから、まさに「怪人」だ。そんな日本プロ野球のレジェンド助っ人が、11年ぶりに大阪に帰ってきた。


 今回の来日は、日本プロ野球外国人OB選手会(JRFPA)の企画で古巣オリックスの本拠、京セラドームでファンミーティングと始球式を行おうというもの。

 ファンミーティングの後、ダグアウト裏に招かれたブーマー氏は、福良GMや中嶋監督ら阪急ブレーブス時代の同僚たちと旧交を温めた。ルーキー時代、アドバイスを送ったこともあり、自身を「先生」と呼んでいた中嶋監督からは、とても69歳には見えないと言われ、「お前さんより若く見えるだろ」と強烈なジョーク。これにはフィールドでは表情を崩さない中嶋監督も相好を崩していた。

 かつて主力選手として一、二塁間を守った福良GMには、「代理人にどうだ?いい選手を紹介するよ」と売り込み。GMからは、「ブーマーくらい打ってくれる選手呼んでくれんの?」とリクエストされていた。現在、臨時で少年たちにコーチングをする以外は、自宅のあるアトランタで孫の世話を見ているというブーマー氏だが、日本で指導者としてのお呼びがかかればいつでも日本に戻ってくるつもりだ。



◆ 背番号「44」を引き継ぐ頓宮へ守備の極意を伝授?

 そんなブーマー氏が現在のオリックスで最も気になっている選手は、かつて自分が背負っていた44番をつけている今年急成長した頓宮裕真選手だ。背番号にちなみ、スタンドで鳴り響く応援歌も同じとあって、「バッティング練習を見てみたい」と興味を示していた。

 残念ながら、試合前のバッティング練習は時間の都合で見ることはできなかったが、福良GMの「打つのはいいんだが、まだ守りがね。ブーマーの方がよっぽど上手かったよ」の言葉に、同じ一塁手の先輩として「彼はどんなミットを使っているんだ?」とアドバイスを送りたがっていた。

 試合前練習を終えた後のその若き主砲とも対面。筋肉の塊のような体躯の頓宮だが、2メートルの巨漢、ブーマー氏を前にしての第一声は「デカッ!」。この日の来訪は、多くの選手が知っていたようで、現役時代に比べ胴回りが大きくなり、さらにその大きさを増したその姿を目にして、宮城大弥、若月健矢選手らが驚きの目でレジェンドの姿を遠巻きに眺めていた。

 ブーマー氏が頓宮に真っ先に尋ねたのは、使っているファーストミットについてだった。ポケットの部分が今流行の皮一枚なのか、伝統的な網状になっているのか尋ね、網状のものを使っているとの返答を得ると、納得したのように頷いていた。

 選手たちは一旦別れると、控室で阪急ブレーブスのユニフォームに着替えた。オリックスは8月中のホームゲームを「Bs夏の陣」と称して特別仕様のユニフォームで臨んでいるが、彼はあえて思い入れのある阪急使用のユニフォームで始球式に臨んだ。

 球団は、始球式用にグラブを用意していたが、「俺の手は普通のグラブには収まらないよ。頓宮のでも借りるよ」と断り、フィールドへ。結局、「ボールを投げるだけだからいらないよ」と、始球式にはグラブ無しで臨んだが、ベンチ前に現れた頓宮を再び捕まえ、そのミットをチェック。ゴールデングラブ(当時はダイヤモンドグラブ)賞2度の守備の極意を伝授?していた。




◆ 日本球界に残した色褪せることのない足跡

 そしてもう一人、ブーマー氏が気になっていたのが、「ブーマー2世」の呼び声も高い、赤丸急上昇の助っ人、セデーニョだった。来日前には、「2世」と彼が呼ばれていることに、「ブーマーはオンリーワンだよ」と自信の後継者という声には疑問の声を挙げていたが、ベンチ前に現れ挨拶しに来た若き助っ人とは誰とよりも長く談笑。「日本でやっていくには引っ張りだけではだめ」とアドバイスを送っていた。

「ボールを握るのは久しぶりだよ」とセレモニー前に言っていたその言葉通り、残念ながらマウンド前から捕手役のセデーニョまでは届かず。場内からは大きな拍手が湧き、投球の後は、セデーニョ、頓宮の2人の「後継者」とともにフレームに収まっていた。

 始球式の後は、記者会見に応じ、再びファンとの交流を行った後、帰途へ。御年69歳。長い一日に「疲れたよ」と言いながら車に乗り込んだ。最後に、「ブーマー」というニックネーム(本名はグレゴリー・ウェルズ)の由来について尋ねると、こう答えてくれた。

「あれはルーキーイヤーのことだった。ニューヨーク州のウチタでプレーしている時、スタンドの子どもたちにそう呼ばれたんだ。それからというもの、僕は『ブーマー』なんだ」

 彼はその名の通り、日本でもブームを呼んだ。1980年代後半から1990年代初め、年号が昭和から平成に変わる頃、スラッガーたちには、彼にちなんで「○○マー」というあだ名がスポーツ新聞によってつけられた。1996年にデビューしたあの清原和博も、「キヨマー」の名で紙上をにぎわせていた。世紀が変わり、年号が令和になっても、彼が日本球界に残した足跡は色褪せることはない。


文=阿佐智(あさ・さとし)

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