『パワプロ3 '97春』の巨人で夢の「落合・清原・松井」は機能するか…意外すぎる結末とは?

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2023年08月25日 07:12  ベースボールキング

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夢のクリーンナップを“完全ガチ”手動シミュレーション
◆ 野球ゲームの移り変わりから見るプロ野球史〜第31回:実況パワフルプロ野球3’97春

 「もし、落合があのまま巨人に残っていたら、清原の野球人生はどうなっていただろうか?」

 1年ほど前、真夜中に『実況パワフルプロ野球3'97春』をひとり遊びながら、ふとそんなことを考えた。

 97年、巨人にFA移籍して1年目のシーズンに挑む清原だったが、ポジションの被る師匠・落合博満を日本ハムへ追いやる形になり、「僕だっていつ落合さんと同じ立場になるか分からないですから」と入団時から重い雰囲気を漂わせていた。


 結局、当時の地上波テレビ中継時代のジャイアンツの異常な注目度と重圧に圧し潰され、ファンからは応援ボイコットを受ける失意の日々。

 「監督が苦労する顔というのかな、私と清原君との問題でこれ以上悩む顔は見たくない」と自ら巨人を去った43歳のオレ流スラッガーも、プロ19年目のシーズンを日本ハムで迎えたが、前年の打率.301・21本塁打から、打率.262・3本塁打へと大きく成績を落とした。


 だが、もしもあの時、当初は“打撃コーチ兼任で残留”と報じられた落合が巨人に残って、清原と一緒にプレーしていたら、背番号5にのしかかるプレッシャーもワリカンできたのではないだろうか……。

 そして、長嶋巨人で「松井秀喜、清原和博、落合博満」の夢のクリーンナップが実現していたら、どんな戦いぶりを見せてくれたのだろうか?


 ちなみに、97年の球界は野村ヤクルトと東尾西武が優勝を飾り、前年まで3年連続MVPのイチローが前人未到の「216打席連続無三振」の日本新記録を樹立。ナゴヤドームと大阪ドームが開場して、本格的にドーム時代へ。

 開幕後は、アメリカから派遣されたディミュロ審判員が、ストライク判定を巡り打席の中日・大豊泰昭に小突かれ「身の危険を感じた。もう日本ではやっていけない」なんて失意の帰国。

 長嶋巨人は33億円の大型補強を敢行するも、ロッテから獲得した左腕ヒルマンが「左肩に小錦が乗っているようだ」と謎の名言を残して戦線離脱と、終わってみればBクラスへと転落している。


◆ シーズン135試合をオート進行なしでシミュレーション!

 さっそく、落合と清原が巨人で同僚になった世界線を『パワプロ3'97春』(97年3月20日発売)のペナントモードでシミュレートしてみよう。

 とはいっても、オート進行ではなく、長嶋巨人の年間135試合を完全ガチで自らプレイするのだ。

 ここで「いったい何カ月かかるんだ……」とか冷静に考えたら負けだ。いつの時代も野球コラムの生命線は、選手データでも文章の技術でもなく、受け手の心のずっと奥の方に突き刺さる“狂熱”である。


 まず、史実では契約更改で球団と揉めた近鉄の石井浩郎を、元クローザー・石毛博史とファームの本塁打王・吉岡雄二との交換トレードで獲得しているが、落合が巨人残留して、清原の三塁起用も増えると考えると、プリンスホテル出身の石井は巨人ではなく、争奪戦に参加していた西武ライオンズ(清原に代わる一塁手を探していた)への移籍が濃厚だろう。

 なので、近鉄側が欲した石毛と吉岡は、94年に17盗塁をマークした俊足外野手の内匠政博との交換トレード成立とする。

 ちなみに、内匠はPL学園で清原と同級生で、ともに甲子園を制している。つまり、背番号5が新天地で孤立しないよう、落合残留に次いで万全な清原サポート体制の一環である。


 なお、ペナントを始めるにあたり、97年開幕一軍メンバーから落合は外した。96年夏に死球で左手小指を骨折。引退後に落合は自著『野球人』の中で「秋の日本シリーズに間に合わせるために無理を承知で打撃練習を行ったため、体全体のバランスが悪くなっていた」と明かしている。

 実際に日本ハムでは開幕戦から出場しているが、今回の『パワプロ’97』ペナントでは一軍復帰を4月中旬にして、当初は代打を含め、清原と一塁併用という万全を期す起用法に徹した。





 そこで、落合が一塁スタメン時は、清原が「4番・三塁」で先発。西武時代の95年に右肩亜脱きゅうで戦線離脱しているため、三塁守備は不安視されたが、新助っ人の“台湾のイチロー”ことルイス・デ・ロス・サントスの拙守も、「三塁には一試合に何本かしか飛んで来ませんから」とあっさりスルーした長嶋監督なので、サード清原の決断も早かった。

 ただし、『パワプロ’97』の清原の守備適性はメインポジション一塁のみで、三塁を守らせると守備範囲マジでルイス以下(ド下手)。それでも、適度に休ませながら起用する落合が着実に結果を残し、5月にはもう「3番(中)松井・4番(三)清原・5番(一)落合」のオーダーが固定された。


 5月16日の中日戦では、7回攻撃時に清原に代走・内匠が送られ、ベンチで落合から「おい、キヨ、なんでお前がオレより先に休んでんだ」と笑顔で突っ込まれる清原であった(※コメントはすべて妄想です)。

 なお、マスコミの取材攻勢も分散して、6月に23歳の誕生日を迎えるゴジラ松井はのびのびとバットを振り、5月の月間MVPを獲得。強面の「番長清原」キャラは鳴りを潜め、先輩からいじられる弟キャラ・キヨマーは、ペナント序盤に3割前後の打率を残しながら、広島の江藤智や金本知憲と本塁打王争いを繰り広げた。





◆ 衰え知らずの43歳・落合

 チームは、“ビッグレッドマシン”と恐れられた強力打線擁する広島カープと激しく首位争い。

 だが、6月13日からの敵地でのカープ3連戦で、防御率1点台の斎藤雅樹と無類のスタミナを誇るガルベスを起用しながらも、リリーフ陣が打ちこまれ3連敗と急ブレーキ。「うーんまあ、今日のゲンちゃん(河野)ならボクでも打てますよ。えっへっへっ」とのちの原監督の師匠ミスターらしいコメントがスポーツ紙の一面を飾った。


 この時期、スランプに入ると長引く清原と松井がほぼ同時に調子を落とし、6月28日の中日戦では落合が代役4番に。すると、背番号6は1−2で迎えた8回裏に同点14号ソロアーチを左翼席に叩き込んでみせた。

 7月7日の阪神戦では、甲子園のバックスクリーンに落合・清原の“OK砲”アベックアーチ。なお、史実の日本ハム時代はフル出場しないとリズムが狂うと先発落ちを嫌がったオレ流だったが、憧れのミスターから直々に休養をすすめられると素直に従った。


 7月14日時点、46勝34敗で巨人と広島が同率首位。そんな中、「勝負はオーガスト以降ですから」と長嶋監督は明言して、43歳の主砲を週一で休ませながら大事に起用する。

 そうして、規定打席にはわずかに届かなかったものの打率3割4分台で隠れ首位打者状態に入った落合は、前半戦終了時の週刊誌インタビューで、こんな言葉を残している。

 「今年のオレがなんで黙って休めるか分かるか?毎試合4番にキヨがいるからだ」(※コメントは妄想です)


◆ 4度目の三冠王まであと一歩…?

 そして、体力を温存して迎えた8月に43歳の落合は、なんと25試合で16本塁打を放ち、月間MVPを獲得するのだ。

 さらに意外な波及効果もあった。史実では攻守ともにズンドコでシーズン途中に戦力外になった助っ人のルイスが、皮肉にもレギュラーを外れ守備の不安から解放されたことから、右の代打の切り札として機能する。

 これには「さあ、メイク・オーガストですよ」なんつって例によって意味不明な造語を披露するミスターであった。





 投手陣では、ヒルマンの左肩痛が意外とガチで戦線離脱(という設定)。槙原寛己も打線の援護に恵まれず勝ち星が伸びない。

 そんなローテの危機にも、右肘の手術から復帰した桑田真澄が尻上がりに調子を上げ、斎藤やガルベスと3本柱を形成する。9月6日の中日戦では、清原が先制適時打を放ち、背番号18は2失点完投の12勝目を挙げ、お立ち台でKKコンビ揃い踏み。

 この時点でも、広島と同率首位と熾烈なV争いは佳境へ。そんな一進一退の攻防は、9月20日の広島市民球場での天王山3連戦に勝ち越した長嶋巨人に、待望の優勝マジック4が点灯する。

 ガルベスがハーラートップタイの16勝目を挙げた天王山第3戦の9回表。センター前に決勝適時打を放ったのは落合で、二塁からホームへ鬼の形相で突っ込んだのは清原だった。


 広島もここで負け越したショックは大きく、直後にヤクルト相手に3連敗を喫して巨人のマジック1に。

 迎えた9月26日、東京ドームの中日戦。気が付けば、しっかり打率3割・30本塁打に乗せてきた松井の適時打で先制するも、8回表にリリーフの西山一宇が立浪に同点2ランを浴びてしまう。

 しかしその裏、頼りになる奇跡の43歳・落合が左中間席へ44号勝ち越しソロを叩き込むのだ。最後はクローザーの木田優夫が締めて、ついに長嶋巨人が連覇を達成した。





 後半戦に凄まじい勢いで打ちまくった落合は打率.372・44本塁打で二冠獲得(打点部門は広島・江藤の108打点にわずかに及ばず)。その圧倒的な成績に、打撃スタッツが下がる98年版パワプロでプレイするべきだったか……と一瞬思ってしまう大ベテラン落合の恐ろしさ。

 一方で、4番を張り続けた清原は135試合フル出場。打率.311・31本塁打・85打点でシーズンを終えた。偶然にも、落合が“プロでは一番いい形で打っていた”と清原を褒めた、新人時代の86年の打撃成績(打率.304・31本塁打・78打点)と酷似しているのは興味深い。

 古巣・西武と対戦した日本シリーズでは、第3戦で鹿取義隆からサヨナラアーチを放ち、日本一に貢献したキヨマーであった。





◆ 主役3人の陰で“意外な展開”

 もし『実況パワフルプロ野球3'97春』の長嶋巨人で、「松井秀喜、清原和博、落合博満」のクリーンナップが実現していたらどうなっていたか──。

 さりげなく代走職人の内匠が22盗塁でタイトル獲得……というのは置いといて、結果は慣れ親しんだ環境で幻の巨人4年目を迎えた落合が大爆発。プレッシャーをワリカンしてもらった清原は、史実の97年の打率.249・32本塁打・95打点・152三振から確実性こそ増したものの、40発超えや悲願の打撃タイトルには届かなかった。

 ゴジラ松井も、マイペースに日本最強スラッガーへの階段を登っている途中という印象だ。レギュラー陣では川相昌弘や村田真一といった生え抜きベテラン勢が脇を固め、打率.291・16本塁打の清水隆行や打率.285・27本塁打の広沢克己らが下位打線に並ぶ攻撃力はリーグ屈指の破壊力だった。





 さて、実は今回の『パワプロ'97』完全ガチペナントで、最も意外な展開は、“クセ者”と呼ばれたあの選手の覚醒である。

 ベンチで落合が清原に対して熱心に打撃のアドバイスをするのを、さりげなくその横で聞いて、打席で実践した要領のいい男。25歳の元木大介が、落合に次ぐチーム2位の35本塁打を記録してみせたのだ。

 データ上は「ミートカーソルE、パワーC、特殊能力なし」なのに、なぜか背番号2の放つ打球は絶妙な角度で飛んでいく(もちろん収録選手の能力向上や修正はできない)。

 97年シーズン、仁志敏久とのポジション争いに競り勝ち、主に「1番・二塁」で起用された元木は日本シリーズでも3本塁打でMVPに輝くなど、上宮高時代に甲子園歴代2位タイの6本塁打を放った長距離砲の才能が一気に開花するのである。


 結論は、クセ者スラッガー元木大介、爆誕。それが100時間近くプレイした『パワプロ'97春』ペナントレースのリアルである。なお、日本シリーズ後に出演した『ニュースステーション』内で、落合はこんな言葉を残している。

 「清原や松井には、まだまだ負けませんよ。元木?アイツは天才でしょうね」(※コメントは妄想です)





文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)

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