ついに8代目『アルト』を購入。小さいけれど、だれもが幸せになれる偉大なクルマ

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2023年09月01日 11:01  マイナビニュース

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スズキの軽自動車「アルト(Alto)」は、昔からずっと気になっていたクルマだった。


なぜなら、大学生の頃に憧れの存在で、放送作家で直木賞作家になった景山民夫さん(1947〜1998)が、雑誌「BRUTUS」(マガジンハウス)に連載していたエッセイで「47万円の『初代アルト』(S03/04系)をひと目見て、即、現金で購入して自分の足として使っていた」と書いていたからだ。

○■景山さんのファンが担当に



景山さんはフジテレビ伝説のお笑い番組『オレたちひょうきん族』(1981.5.16〜1989.10.14放送)や『タモリ倶楽部』(1982.10.9〜2023.4.1放送)などで放送作家として活躍。また自ら出演もしていた。

またTBSラジオの深夜放送「スーパーギャング」でもパーソナリティー(1984.10〜1985.9)を務めていた。当時、僕はこうした番組にどハマりしていて、テレビ局の入社試験で「報道とお笑いのどちらもやりたい」などと口に出すような大学生だった。そして、いちばん面白い、凄いと思っていたのが景山さんだった。



特に忘れられないのが『ひょうきん族』の番組中の企画「ひょうきんプロレス」。

景山さんは構成作家でありながら、自ら「フルハム三浦」というリングネームで当時「週刊文春」が追及していた“疑惑の銃弾”事件の犯人として後に逮捕される三浦和義氏を明らかにモデルにしたレスラー役で出演。



たけし軍団のグレート義太夫氏が演じた、投資ジャーナル事件の主犯、中江滋樹氏をモデルにした「ジャーナル中江」と「全編時事ネタギャグの戦い」を演じていた。

景山さん本人がエッセイのネタにしているが、プロレスラーのタイガー・ジェット・シン氏をモデルに松本竜介氏が演じた「タイガー・ジェット・おしん」との戦いでは、竜介氏が凶器として持ち出した大根で肋骨を骨折。



この件は今もこの番組のトリビアのひとつ。このいきさつは第2回講談社エッセイ賞を受賞した『ONE FINE MESS 世間はスラップスティック』(の中の)「のりやすい性格」に詳しく書かれている。

エッセイも小説もそうだが、景山さんの文章は「読むとその光景が見えてくる」シーンの描写力やユーモアのセンスが抜群。

自分はすでに景山さんの年齢を超えてしまったが、改めて「こんな文章を書きたい」と思う。著書の多くが事実上絶版状態なのは本当に残念だ。


大学卒業後、出版社に入社して文芸編集者になって、僕が景山さんのファンであることを知った先輩編集者が「あなたが担当すれば」と言ってくださって、僕は景山さんの編集担当者になった。



当時の景山さんは売れっ子中の売れっ子。『遠い海から来たCOO』で直木賞を受賞して忙しくなっても、景山さんは20歳以上も年下の僕に真摯に向き合ってくださった。

僕がモノ情報誌『GoodsPress』(徳間書店)編集部に異動してからもお付き合いは続き、テレビ局の火消し屋・宇賀神邦彦が主人公の『トラブル・バスター』シリーズの3作目を、異例のかたちではあるが同誌に連載していただき、それは『トラブル・バスター 3 国境の南』(徳間文庫・現在は絶版)という本になった。



さらに景山さんは『トラブル・バスター4 九月の雨』と続く。そして、僕が担当になった当初から景山さんが書きたいと話してくれた「戦争モノ」の連載が月刊小説誌で始まった。


ところが、小説家としてさらに飛躍間違いなし! というときに、景山さんは1998年1月27日、自宅の火災事故であっけなくこの世を去ってしまった。このニュースを知ったのは、この日の未明の深夜。残業から帰るタクシーの社内だった。自宅に戻った僕は自分のクルマで現場に駆けつけたが、そこに居たのは消防関係の方々だけ。呆然として、駅近くの景山さんの事務所にメッセージを残して帰宅したことを今も鮮明に覚えている。


○■ついに8代目アルトを購入



だから、『アルト』はいつか乗ってみたいと思っていた。そして今年、それが実現した。ただし最新型・現行のアルト(9代目のH07系)ではなく、先代・8代目のH36系、2017年製造の「L」グレードの中古車だ。



昔からクルマは大好きだった。最初に記憶にあるのは伯父たちが乗っていたトヨタの「初代クラウン」と「初代パブリカ」だが、その頃には目にするクルマの名前をすべて言えるような子どもだった。そして幼稚園のときに木馬座という劇団の公演で「トヨタ2000GT」を見てからはスポーツカーが大好きになる。

スポーツカーといえば、どこかのお菓子メーカーのプレゼント企画に応募して最初に手に入れたイギリス製のミニカーもスポーツカーだった。中学生くらいのときにそのミニカーは手元から消え、大人になってから気づくのだが、車種は「フェラーリ250GTO」で、たぶんイギリスのマッチボックス製。スポークホイールまで忠実に再現されていたことを覚えている。



おまけに偶然だが、父はピストンリングメーカーの営業マンとしてホンダを担当。第一期ホンダF1のピストンリングの納入にかかわり、当時は晴海で開催されていたモーターショーの部品館で説明員もしていた。だから小学校を(担任の先生公認で)平日に休んでモーターショーの会場をひとりで観て回ったこともある。



その先生もクルマが大好きな人で、軽スポーツカーのフロンテ・クーペに乗っていた。今ならコンプライアンス的にNGかもしれないが、放課後、助手席に乗せてもらったこともある。思えばあのフロンテ・クーペが最初に意識したスズキ車だった。



またお父さんがホンダの狭山工場に勤めていた同級生の家にはいつも最新のホンダ車があった。“プアマンズ・ミニクーパー”と言われた「N360」。Nシリーズの流麗な2ドアクーペ「Z」、そして空冷エンジンの「1300 クーペ9S」(いずれも1970年発売)。



そんな環境で育ったクルマ好き「少年→大学生」のスポーツカー一辺倒の視点を変えてくれたのが、カーグラフィックが刊行した「オースチン・ミニ」の本、そして景山さんのエッセイに登場した初代アルトだった。普通のサラリーマン家庭で生まれ育ったこともあり、そのときから“身の丈に合ったクルマ”が大好きだ。



あれから30年あまり。スズキの「アルト」にしたのは、もちろん景山さんが乗っていたからだ。しかも中古車、最新の9代目の新車ではなく先代8代目の中古車にしたのは、この先代アルトのリアハッチのガラスのデザインが、あの同級生のホンダ勤務のお父さんが乗っていたホンダの「Z」を彷彿させるものだったから。アルトならこの8代目と決めていた。


実際に購入して乗ってみると期待以上の使いやすさ、走りの楽しさに驚いた。ホットバージョンの「アルト ワークス」ではなくて、ふつうのアルト。だからトランスミッションはマニュアルでもAGS(電子制御式のマニュアル)でもなくてCVT。そしてR06A型エンジンは3気筒・658cc・38kW (52PS) /6,500rpmというスペックで、パワフルとは程遠い。



でも「HEARTECT」(ハーテクト)と後に呼ばれる軽量プラットフォームのおかげで加速も上々。首都高速の合流でも不安はない。そして何より素晴らしいのが低燃費。遠出しないといはレギュラーガソリンを月に1回、給油するだけで済む。何しろ、車体が小さいから取り回しも楽だし、荷物も積みやすくて、本当に使いやすい。



クルマが今も「ステイタスシンボル」だとお考えの、“オラオラ系”の人が乗っている大型高級セダンや大型SUVに煽られることも正直ある。でも気にしないことにしている。かつて乗っていたマツダの「ロードスター」もそうだが、アルトは「車格」を超えた存在だから。



乗り出してみると、20代にクルマを乗り始めた頃の気持ちを思い出した。5ドアハッチバックで荷物もかなり積めるし、簡素な室内装備も日々の移動の足としては十分。これほど気楽に乗れてこれほど楽しいクルマはない。少なくともいまの僕にはピッタリだ。



現行モデル、9代目のアルトは僕の8代目モデルをベースにさらに進化。室内がグッと広くなったし、エンジンやCVTも改良されて軽自動車No.1の燃費性能を実現。また、夜間の歩行者も検知可能なステレオカメラ方式「デュアルカメラブレーキサポート」衝突被害軽減ブレーキや、運転席と助手席に加えてシートのサイドにもエアバッグが全グレードに標準装備されるなど、安全面でも大進化している。



こんなクルマを作ってしまうスズキ。そして軽自動車文化を生み出した日本の自動車メーカーって、つくづく凄い。


文・写真/渋谷ヤスヒト



渋谷ヤスヒト しぶややすひと 時計ジャーナリスト、モノジャーナリスト、雑誌編集者。大学法学部入学後、書評誌「本の雑誌」の助っ人を経て卒業後は出版社で文芸編集者、モノ情報誌の編集者に。食品からおもちゃ、文房具、家電、スマートフォンやPC、時計、クルマ、ファッションまであらゆるジャンルで「本当に良いモノ」を追求した記事を企画・編集・執筆中。時計ブーム最初期の1995年から開始したスイス時計の現地取材がライフワーク。編著書にセイコー腕時計の歴史をまとめた「THE SEIKO BOOK -時の革新者セイコー腕時計の奇跡」(1999年刊・絶版)がある。 この著者の記事一覧はこちら(渋谷ヤスヒト)

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