
「お疲れさま」とは言ってくれたが
現役のころは「オレが一家を養っている」というのがモチベーションだったというタケノリさん(63歳)。定年退職を迎えた日、妻は「長年、お疲れさま」とねぎらってくれた。「そこで妻にきちんと感謝の念を示すべきだったんでしょうね。妻は3人の娘の子育て、家事、そしてパートとすべてをこなしてきたのだから。でも僕は自分が定年になったことに対して感傷的になっていて、妻の言葉に『うん』とうなずいただけだった」
本当は今後、妻と一緒に旅行をしたいとも思っていたし、妻とゆっくり語り合いたいとも思っていた。30年以上、人生をともに歩いてきたのだから。
「定年後も週に3回ほどグループ会社に出勤するのが決まっていたんですが、やはり定年前とは環境が違う。気持ちもね、これから何か新しいことができるわけではない、明らかに生活のための仕事ですから、惰性で働くだけ。燃えませんよね」
夫は週3出勤、妻は週5出勤に
彼が週3回出勤になったのと裏腹に、4歳年下の妻は週3回だったパートを5回に増やした。家にいるなら家事くらいしてよねと言い置いて。「あれ、と思ったんですよ。妻は僕を避けているのか、まさかと。しかもいきなり家事をしてよねと言われても、何もできない。掃除機をかけると隅の埃がとれてないと言われるし、洗濯機を回せば干すのを忘れるし……。もちろん、料理などまったくできない。ご飯を炊くのがやっとです。
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ダメなんだ、オレは。定年後の仕事が充実していないことにくわえて、「人として」ダメだと烙印を押された気がした。
妻は生き生きとしている
一方、週5回、外に出るようになった妻は、ますます生き生きとしている。末娘が同居しているが、仕事もプライベートも忙しいようで家には寝に帰るだけ。妻も外食が増えた。「今日は外で食べてくるからと言う妻に、一度『オレはどうしようか』と言ったら、『好きにすれば? 冷凍庫にいろいろあるし、野菜室も見て』と。
なんていうのかな、『私に頼らないでよ』みたいな決定的なことは言わないんですよ、妻は。自分でやるのが当たり前でしょという空気を先に作られてしまった。だからオレの食事を作ってほしいとも言えない」
結局、コストも時間も考えると、弁当がいちばん手軽だと思い至り、タケノリさんは会社帰りに弁当を買って帰るようになった。出勤しない日も近所のスーパーで惣菜を買うことが多い。
「たまに末娘が早く帰る日は、妻も食事を作るんです。その日だけは僕も妻の手料理が食べられる。やっぱりおいしいなあと言ったら、娘にあとからこっそり『おとうさん、ああいう言葉は現役のころにこそ言うべきだったね』と言われました。娘によれば、妻の僕への恨み辛みはけっこう大きいみたいで……。
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だからといって今さらどうすればいいんだと、タケノリさんは疲弊したような表情で言った。妻は彼と話そうとしないわけではないし、特に無視するような冷たい態度もとらない。だが、何かが違うのだ、定年前とは。
そして彼が思いきって「旅行でもしようか」と言ってみると、「私、忙しいからいいわ。あなたひとりで行ってきたら?」と言われた。
「ひとりで旅行なんて考えたこともなかった。行ってみようかなと一瞬、思いましたが楽しいとは思えなくて。忙しいからいいと言ったくせに、妻は僕が定年になった数カ月後には、『友だちとドライブ旅行してくる』と行ってしまったし、今年の春にはヨーロッパへ1週間行ってしまったんです。
コロナ禍でどこにも行けなかったけど、やっと行かれるわと喜々として出かけました」
家族への「オレの貢献」に感謝は?
今までの家族へのオレの貢献はどう評価しているのか。彼の本当に聞きたいことは、その一言なのかもしれない。過去を振り返ってしみじみと話し、これからは一緒に楽しもうと未来を語り合いたいのが彼の本音なのだ。だが、妻はその隙を与えない。おそらく意図的にだ。「あと2年で、今の嘱託も終わりになります。そうしたら僕はどうすればいいのか。何か趣味を見つけろとか友だちを作れとか、世間ではそう言われていますが、今さら趣味なんてどうやって始めればいいのか、友だちなんてどうやって作ればいいのかわかりません。そもそも夫婦関係で与えられるはずの癒やしが僕にはないんですから」
タケノリさん自身が妻に感謝や愛情を伝えてこなかった過去があるのだが、そこにはなかなか思いが至らないようだった。今は末娘に、妻との橋渡しを期待しているそうだ。
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亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。(文:亀山 早苗(フリーライター))