キリン・マスターブリュワー田山智広氏 (C)oricon ME inc. 酒税法の改正により、10月からビール類の価格改定がいよいよ始まる。新ジャンルが値上げされることで市場動向の変化に注目が集まっている。キリンビールにおいては、「のどごし(生)」以降、ヒットに恵まれず“12連敗”。2018年に満を持して登場したのが「本麒麟」だった。同社にとって、“麒麟”の2文字には特別な重みがある。分かりやすいほどのシンボリックなアイコン…社内では畏敬の念を込めて“聖獣麒麟”と口を揃えるほどだ。そんな“麒麟”を「新ジャンル」ビールの商品名に冠する…並々ならぬ意欲の表れだったことは間違いない。同社唯一の“味の番人”、マスターブリュワー・田山智広氏に取材を敢行。“後編”となる今回は、変革のタイミングに改めてビールの在り方、ビールの本質を問うた。
【写真】飲んだことあるかも⁉ 『本麒麟』以前に12連敗を喫した愛すべき“負けビール”たち ■負け戦を経験し、「本麒麟」は“新しさの追求”ではなく“ど真ん中ストレート”に
――2018年に「本麒麟」の登場となります。「のどごし(生)」に続くヒット商品を作るという命題に向け、まず商品開発において、どのような立ち位置を目指したのでしょうか?
【田山智広】 これは色々な見解があるとは思いますが、私なりの解釈で言うと、先ほど「新しさの追求」にこだわり過ぎていたという話をしましたが、「本麒麟」では、それが見直されたと思っています。新しさではなく、本質的な価値にフォーカスした。驚きとか新しさはもちろん大事ですが、「本麒麟」は決して新規性を前面に出した商品ではない。やはり、新ジャンルというカテゴリーの中でも正統的な美味しさ、ビール本来の美味しさを追求できるのではないか。その姿勢が結果として“新規性”として受け止めて頂いた。そのように思うんです。
――新ジャンルにおいてもキリンが求める本質的な美味しさを追求する…その気概が「本麒麟」というタイトルにも現れている。まるで所信表明のように。
田山智広 「本麒麟」以前に変化球だったり、外角だったり、内角だったりと、さまざまな球種を試してきましたが、やっぱりど真ん中ストレートで勝負しようよ!という想いがネーミングパッケージからも伝わりますよね。それがお客様に伝わるのがもちろん大事ですけど、それより大事なのは、社内にそれが直感的に伝わるということ。うちの会社は社内が一枚岩になったとき、メチャメチャ凄い力を発揮する(笑)。思い返してみると、「のどごし」のときもそうでした。ビールにのどごしって、まさにど真ん中じゃないですか?パッケージもしずる感があって。「淡麗」だって、ある意味“淡麗辛口”は正統ですし、中身的にも全然奇をてらってない。結果的にやはりそういう商品。やはり本質的な価値なんだと。お客様も、ビールの正統的な美味しさを求めている。これは「一番搾り」のリニューアルも同様です。直感的に分かるんですよ。原点に戻ったねって。
■“ビールの大衆化”に貢献したのがキリンの歴史
――新規性もあるし、原点回帰でもある…先ほど、直感的にとおっしゃいましたが、まさにそれは田山さんが新卒研修の際に感じた、「理屈じゃないビールの美味さ」ですね。
田山智広 私は「本麒麟」の本は、本流の本だと思っています。「本気のキリン」などとも言われていますが、私からすると、本家本流に戻ったと。つまり、新ジャンルであってもキリンビールのDNAをしっかりと継承した本流のタイトルなんです。今回取材を受けるにあたって、いろいろ考えたんですけど、そもそもキリンビールという会社が大きくなったのは、「ビールの大衆化」に貢献したからではないかと。戦前、ビールはもっと高級品だった。戦後も貧しいなかで、徐々に高度経済成長を重ねて“三種の神器”といわれる冷蔵庫が一般化するようになり、家でも冷えたビールが飲めるようになった。他社さんは業務用に注力する中、そのタイミングに合わせるように、“家庭用”にフォーカスしたキリンビールがビールの大衆化に成功した。つまりビールは高嶺の花ではなく、日常で飲めるという意識変化をもたらしたブランドだと思うんです。
――キリンビールの本質は大衆性にあり。
田山智広 そういう意味では、“エコノミー価格”って、どこか悪いように聞こえるかもしれませんが、やっぱり庶民の味方でありたい。志を含め、その想いをさらに具現化したのが「本麒麟」であるならば、キリンの本流にあたるブランドなのではないか…考えれば考えるほど、そのように思えるんです。
――「本麒麟」ローンチから5年、リニューアルを重ねながらも主力商品の座を誇示しています。10月には酒税法の改正も控えていますが、今後の展望は?
田山智広 ドイツ語なんですけど、「ヴァイタートリンケン」っていう言葉を今後も大事にしたいです。「ヴァイター」というのは、「さらに」という意味。「トリンケンは「ドリンク」。つまり、飲むほどにまた飲みたくなる、飲み飽きないという言葉です。ビールは“普段使い”であるべき。それが伝統的に守ってきたキリンの美味しさのポリシーなんです。
取材中、過去に負けを喫した12本の新ジャンル商品を並べた際、「この子はね、凄く可能性を感じる子だったんですよ。あと、この子はね、タイミングさえ合えば。もう少し我慢できれば主力の可能性もあったのになぁ」と目を細める。まるで自身の子どもを見つめるかのような優しい眼差しで、個性豊かな愛すべき“劣等生”たちを見つめる田山氏。彼がなぜ社内で唯一、マスターブリュワーの称号を与えられたのかは、この表情を見ただけで一目瞭然だった。