荒木由美子「義母の介護20年」認知症だったとは思えないほどしっかりした最期の言葉

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2023年10月24日 06:10  週刊女性PRIME

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荒木由美子さん

 20年間義母の介護をしていたのは、歌手で俳優の荒木由美子さん(63)。夫で歌手の湯原昌幸さんとはおしどり夫婦で知られるが、結婚直後から義母の介護が始まっていた。

「結婚と同時に芸能界を引退、最初から姑とは同居を決めていました。結婚式の後、落ち着いたら新婚旅行をする予定が、2週間後に姑が足の血栓で倒れて入院。手術は成功し、姑はまだ60代だったので、すぐ復活すると思っていました」

手が離れていく子どもに対し、義母への負担は年々増して

 荒木さんは義母のリハビリも兼ねて、なるべく一緒に歩いた。義母は「娘ができてうれしい」と言って、どこにでもついてきてくれたという。

 しかし義母は次第にぼーっとする時間が増え、テレビを見ながら寝ることも増えた。食後に「ごはんはまだ?」と聞いてくることもあった。

「義母はこれまで自分がやっていた3度の食事の支度や昌幸さんの世話などの家事を全部私に任せて身体を動かす機会が減り、次第に頭も衰えていったのだと思います」

 そのうち、ごはんを食べていないと言い張るようになり、「ここにお財布を置いてあったんだけど知らない?」など荒木さんを疑うような言動も。

「でも普通の会話もできていたし、几帳面な義母が認知症になるとは思えず、湯原さんや自分の親にはもちろん、友達にも言えずに、モヤモヤしていました」

 義母が血栓の原因であった糖尿病の悪化で入院していたとき、湯原さんに義母の症状をやっと打ち明けた。

「彼はまったく気づいていなかったようで、ショックを受けていましたが、この先も相談に乗ってもらうことを約束しました」

 それから義母に診察を受けさせるため、毎日の行動パターンをメモして病院へ行くと、義母が認知症だと判明した。

「病名がわかるまで5年。医師からは『もっと早く言えばよかったのに』と言われました。息子の子育てと両立しながら引き続き自宅で介護をしていましたが、子育てはどんどん手が離れていくのに対し、義母はどんどん手がかかるようになっていきました」

粗相を言い出せず、汚れた下着を押し入れに

 あるとき、義母の下着が洗濯に出ていないことに気づき、ゴミ箱を探したが見つからない。だいぶたってから押し入れを整理したときに、袋に入った汚れた下着と、自分でまとめ買いした下着が見つかった。

「下着を汚したことを言えない義母がかわいそうで『お母さん、私には何言ってもいいんだよ』と伝えました。でもそこはなかなか難しくて、義母のプライドを傷つけないよう、下着と紙おむつを気づかれないようにセットして」

 そんな状況でも、義母は兄弟や親戚が家に来るときはしっかりしていたが、介護が始まって10年たったころ、周囲にも義母の変化がわかるようになる。

「お盆でお墓参りに行くとき、姑が毛皮のコートを着て出てきたんです。しかも風呂おけに通帳、下着、薬の袋を入れて持っていて。湯原さんは叱りましたが義母がそのまま行きたがるので、車の冷房を効かせて出かけました」

 義母の様子に驚く親戚に荒木さんが目で合図すると、全員が状況を理解した。

 別の日には、荒木さんが近くに買い物に行った際、「ゆみちゃんがいなくなった」と近所の人に電話して大騒ぎをしたことも。

 家族みんなが疲弊していき、ある日ついに、湯原さんが義母の首に手をかけてしまった。

「義母が真っ暗な部屋にこもってしまい、私がごはんに呼んでも来ないので湯原さんに頼むと、知らない男の人に何かされると思った義母が、鬼の形相で湯原さんに体当たり。湯原さんは反射的にその首に手をかけてしまったんです。もう食事どころではなく、泣きながら必死で仲裁しました」

 それでも荒木さんは自宅介護を続けたかったが、湯原さんが「自宅でできることはすべてした」という結論を出し、施設に預けることを提案。

 当時は認知症の人でも、家庭への復帰を目指してリハビリを行う老健(介護老人保健施設)しか預ける選択肢がなく、どこの施設もいっぱいだった。

「ケアマネジャーさんに相談し続け、やっとの思いで施設に入れることになりましたが、老健は3か月ごとに更新があり、またすぐに次を探さなくてはなりません。月に1回の家族会で情報を仕入れて、手当たり次第に空きを調べて。6年間、ケガや風邪で入院したとき以外は老健をはしごしていました」

 子育てと介護が重なっていたこともあり、精神的にも経済的にも苦労は続いた。

「義母にイライラすることもありましたが、“これは病気のせい”と自分に言い聞かせたり、4つ数えて気持ちを落ち着かせました。頭で思うだけではなく、口に出すといいんです」

 最期のとき、義母は認知症だったとは思えないほどしっかりと感謝を伝えてくれたという。

「私の手を撫でて『ゆみちゃんありがとう』と言ってくれました。湯原さんも『おふくろもわかっていたんだよ』とねぎらってくれました」

 現在、荒木さんは、国内外で介護経験についての講演活動をしている。介護は大変だったがその経験が大きな力になっているのだという。

「介護中に湯原さんがちゃんと話を聞いてくれて、全面的に私の味方をしてくれたことは救いになりました。だから奥さんが介護中の男性には、何があっても奥さんについてあげてね、と言いたいですね。今、介護中の人は、何があっても下を向いちゃダメ。おしゃれをしたり、友達とお茶に行ってお話ししたりして、リフレッシュしてほしい」

 と、語った。

(取材・文/野中真規子)

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