「私は“下級国民”。死ぬまで差別と貧困を書き続ける」ホームレス から作家へ、赤松利市の衝撃人生

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2023年10月29日 16:00  週刊女性PRIME

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作家・赤松利市(67)撮影/佐藤靖彦

 62歳、住所不定、無職。これが作家デビュー時の赤松利市(67)の肩書だ。パワーワードの連打に加え、本人の風貌は無精ひげに眼光鋭いコワモテ。世間の裏道を歩いてきた男の凄みが全身から立ち上る。新人作家にして最後の無頼派と呼ばれたのも納得がいく。

作家・赤松利市のデビュー作『藻屑蟹』

 デビュー作『藻屑蟹』で原発利権の闇を暴いた赤松は、最新作『救い難き人』ではパチンコ業界の金と欲を狂騒的に描き、貧困と在日差別を容赦なく抉り出した。デビュー以来、タブーを恐れず人間の暗部を晒し続けるこの男は、一体何者なのか。

「61歳のときやね、ある日思った。このまま自分の人生が終わってしまうのか、それは嫌やなと」

 小説を書き始めたきっかけを、赤松は香川訛りで語る。故郷を離れてすでに半世紀、さらには親類縁者と一切の関わりを絶った男なのに、だ。

「当時やっていたんは、おっパブ(おっぱいパブの略。風俗店)の呼び込み。業界用語で言うカンバンです。1日10時間、時給1000円。休憩はなし。取っ払い(当日手渡し払い)で給料をもらえるんで。寝泊まりしてたんは漫画喫茶です」

 重度のニコチン依存症。タバコを切らすと、にわかに殺気立つ。セブンスターのソフトパックで神経を静めながら、赤松は67年間の人生を語り始めた。

月光仮面に育てられた利市少年はマザコンに

「昭和31年、香川県で長男として生まれました。経済白書で《もはや戦後ではない》と書かれた、その年です。両親は、父が植物病理学者で母が女子校のタイプライターの先生でした」

 両親のなれそめは、母親が勤務する女子校に父親が理科を教えに来ていたことだ。

「親父があまりにもみすぼらしい格好をしていたので、うちの母親がズボンのツギ当てをしているうちに親しくなり、そのまま結婚しました。父親は昔気質の人間で、結婚したら女性は家に入るべきだと。(金のことは)自分が何とかすると言いながら一切アルバイトもしない。大学の助手をしていましたが、収入がすごく少ない。私も生まれて母は家を出られないし、どうするかと。そこで家も結構大きかったし、土間で貸本屋をやることになった」

 赤松が生まれたのは、当時で築100年を超す家屋の裕福な旧家だ。曽祖父は、淡路島の人形浄瑠璃の太夫(語り手)だったという。淡路人形浄瑠璃は、約500年の歴史を誇る伝統芸能で、最盛期には歌舞伎を上回る人気を博した。特徴は、野掛け(野外)舞台で行われることと、そのため、人形のサイズが大きく、動作が派手であることだ。人間の喜怒哀楽が誇張された人形の動きは、民衆の娯楽として熱狂的に愛された。

「当時、曽祖父は人気の語り手で、どのぐらい人気だったかというと、近所に5人ぐらい愛人を囲っていました。離婚は16回。そういうひいじいちゃんだったんで、家は立派でした。家の近くに山もいくつか持っていました」

 その孫である父親の趣味は空気銃。自らの所有する山に鳥を撃ちに行くのだが、獲物を仕留めた後、猟犬でなく、使用人が走って取りに行っていたという。

「山には自分の家を祀る神社がありました。その神社は、平家の落人である入水自殺した赤ん坊を祀っていました。その赤ん坊こそが私の先祖であると。平家ですが、公家に通じる平家だと。うちの家が公家の血を引いているというのは、子どものころに結構吹き込まれていましたね」

 赤松が初めての子だったため、母親は母乳の出が悪かった。近所の農家に頼み、ヤギの乳を届けてもらったという。朝一番に届けられた一升瓶入りのヤギの乳を赤ん坊に飲ませ、貸本屋を切り回しながら、母は子育てに奮闘した。

「そうやって手間をかけて育てられたんもあって、マザコンですね。母親はすごい頑張り屋さんでした。当時の貸本というのは、貸した本がそのまま返ってくるわけじゃない。また貸し、また貸しになるから、結構な料金になる。よく母親に言われたのは、“あなたを育ててくれたのは月光仮面さんやからね”と」

魔法のつづらを開け、理系から文系に転身

 赤松の父はノーベル賞を嘱望されるほど優秀な研究者だったが、同時に常識にとらわれない人物でもあった。香川大学の農学部長に在任中、高知大学の学生が牛を捌いて、バーベキューパーティーをするという珍事件が起こった。父親のもとに取材が来たが、

「うらやましい。それぐらいの学生が欲しい」

 とコメントして記者を困らせたという。そんな父親を見て育った赤松は、ごく当たり前のように、植物病理学者であり、大学教授である父親と同じ道を自分も歩むものだと信じていた。

「高3の夏休みに、裏庭の土間を開けたんです。大きなつづらが出てきました。親父の大学の学生が大勢来て、ロープを付けて引き倒した。つづらを開けると、曽祖父が使っていた浄瑠璃の台本がいっぱい出てきた。気がつくと、パズル感覚で難しい文字を読み解いていました。それがすごく面白くて。夏の終わりには文学部に行きたいと親父に言うてましたね。親父も、“おう、ええんちゃうか”と」

 つづらを開くまで理数系だったため、文系の勉強はほとんどしていない。受験勉強が間に合わなかった赤松は、大阪の十三で浪人生活を送ることになる。しかし、親からの仕送りで励んだのは受験勉強ではなかった。

「当時、『文藝春秋』でパチプロ特集があったんですよ。その必勝法のとおりにしたら本当に勝てる。その代わり、すごくしんどいやり方ですけどね。毎日8000円は勝っていました。パチンコホールの深夜時給が300円の時代です。今の感覚でいうと日当で4万〜5万円稼いでいた」

 赤松は浪人生でありながら大学に行く気を失い“一生パチプロでやっていく”と心に決めた。パチンコのやりすぎで指の形すら変わっていた。

「ところが危機が訪れるわけです。年末ごろに腱鞘炎を起こしてしまった。パチンコができない。やべえ、どうしようと。そこで思いついたわけや。“大学でも行こう”と」

 自信のある英語、国語、数学の3教科で受験できる大学の関西大学、同志社大学、早稲田大学。赤松はそのすべてに合格した。受験勉強の期間は12月から2月までのたった2か月間だ。

「関西大学に進みました。なんで関西大学かいうたら、1つは大阪、1つは京都、1つは東京だったんで。やっぱり十三って街も好きやし、大阪にしようと思いました」

パチンコ依存の浪人から一転、逆玉の学生結婚へ

 国文科に進んだ赤松は、最初の妻となる女性に出会う。

「学生結婚です。好きになったら結婚せなあかん。そう考える人間です。結婚の覚悟があるから好きと言うんです」

 その結果、赤松は現在までに4回結婚し4回離婚した。赤松の好みは、薄幸そうで影の薄い、現実感のない女性だ。4作目の小説『ボダ子』に「薄幸の女」という章がある。
《その女は、浩平が好物とする女だった。ど真ん中だった。薄幸を絵に描いたような女だ。(中略)不幸が女の身を削ぎ落したかのように頼りなく細かった》

 自伝的要素が強く、自身を投影した主人公の女の好みは、まさに赤松本人のものだ。

「1人目の妻は薄幸ではないが生きている実感のない女でした。すごいお嬢さんで、苦労したことがないからか、現実味がない。奈良の実家は、自分の土地だけを踏んで大阪に行けるという大地主。町長は彼女の父親の一存で決まる。大企業の大株主で、働いたことのない父親は麻雀とボウリングが趣味。近くのボウリングセンターのレーンを2つ年間契約していました」

 “結婚したい”と言う赤松に彼女の父親はあっさり承諾。

「ただし、1つだけ守ってほしい、と。なんぼ君が飲み歩こうと遊び歩こうと構わない。けど、政治だけはするな。あれはむちゃくちゃ金がかかる。政治さえせんかったら、なんぼ金使おうとそれでつぶれる身上じゃないからと」

 当初、赤松は大手百貨店から内定が出ていたが、父親の知人の頼みで大手消費者金融会社に就職が決まっていた。いわゆるサラ金だ。義父にそれを打ち明けたら、どんな反応がくるかと身構えた。

「でも彼女の父親にサラ金と言っても通じない。“お客様にお金貸して利息いただくような”と説明したら、“銀行みたいなもんか”と。あの時点で格差を感じましたね」

 縁故入社の赤松は、仕事のソフトな奈良支店に配属される。入った以上はバリバリ仕事をこなす気だったので物足りない。思わず、支店長に向かって“ゆるいですわ。もっと自分を磨ける厳しい支店ないですか”と大口を叩いた。

 結果“地獄の岡山支店”として恐れられた支店に勤務することに。だが、赤松は不良債権を抱えるその岡山支店で債権回収の独自メソッドを作り、入社2年目にして“貸金回収額全国1位”の記録を打ち立ててしまうのだ。

「むちゃくちゃ働きました。その代償として嫁が息子を連れて実家に帰ってしまった」

 奈良まで出向いた赤松を待っていたのは“あなたの給料なんか、お父さんの一晩の麻雀代にも足りない”という妻からの一言だった─。

「これはわかり合える間柄じゃないと。向こうとしたら跡取り息子もできて、私は用無し。息子は今40歳ぐらいになっているはずです」

 妻と別れ、消費者金融で出世街道をひた走る赤松は東京の営業企画本部に配属された。会社が上場準備に入るのを機に営業マニュアルの作成を担当。同僚の女性と2度目の結婚をする。多忙で家に帰れぬ生活をしていた赤松に、ある日、彼女は妊娠を告げた。

「よかったよかった、と喜んだけど、よく考えたら覚えがない。ついに嫁も“実はあなたの子どもじゃない”と言い出した。少し動揺しましたが“これは2人で一生墓に持っていこう。2人の子として育てよう”と言った」 

 しかし、社員旅行から戻ってきた赤松は、妻から堕胎の事実を知らされる。

「相手は、同じ社内の経理部の男でした。私には切れたと言いながら、関係を続けていた。社内で事態が露見して、彼は馘首されました」

 毎日、朝の4時5時まで働くハードワークの日々が続き、プロジェクトチーム5人は赤松を除き、全員がリタイアの末に病院送り。すべてが終わって家に戻ると、離婚届が食卓に置かれていた。2回目の離婚である。30歳の赤松は“燃え尽きた”と言葉を残して会社を辞職する。

問題作『ボダ子』のクズ主人公は私です

「自分都合のド腐れ畜生な生きざま、主人公の大西浩平は100%私です」

 と、赤松自身が語る問題作が『ボダ子』だ。赤松の4作目の長編小説で、彼の実体験をもとに描かれている。

 同作には中学2年生で境界性人格障害(通称ボーダー)と診断され、リストカットや万引きを繰り返す少女が登場する。赤松の3回目の結婚で生まれた娘がモデルだ。

 小説の中で主人公の浩平は、錯乱した娘の口に残ったパキシル(抗うつ剤)を指で掻き出す。あまりに凄惨な父娘の光景。仕事にかまけて娘の状況を知らずにいた浩平に、妻の悦子は叫ぶ。《あの娘はな、いつあんたに捨てられるかもしれんて、ずっと不安で暮らしてきたんや。それがあの娘の精神壊したんやんか!》と─。実の娘について語る赤松の口は重い。

消費者金融を辞めた後、父親の紹介でゴルフ場のコース管理の仕事を始めまして。年収1億円になったとき、会社にせな、と。それで品質管理のビジネスモデル特許を取得し起業。35歳のときです。

 2年後には従業員100人を超えて、年商13億円に到達しました。年収は2400万円くらい。当時は北海道から沖縄まで十数か所のゴルフ場を回って、多いときで週に3〜4回新幹線に乗っていました。バブルは弾けていましたが、わが世の春でした」

 まさに赤松利市のイケイケどんどんの時代だ。何よりも仕事を優先していた。

「一番すごかったんは、奈良のゴルフ場の仕事かな。開発前に、住民代表の何人かを説得してくれたら、成功報酬で600万円払うと。今日、全員集めてるから、やってくれと。“私一人でやります”と言って、1時間で住民を説得しました。あのときは時給600万。稼いでみて思ったんは、お金って守ったり、ガツガツせんでもええんやなと。考え方が変わりました」

 しかし、経済的な成功の裏で娘は精神を病んでいた。当時、3人目の妻とはすでに離婚し4人目の妻と結婚していた赤松だったが、3人目の元妻は娘と向き合う気がないようだ。赤松は4人目の妻に別れを告げ、娘と2人、ワンルームマンションでの暮らしを決意する。境界性人格障害は、20歳までの自殺率が1割を超す。心配で仕事をセーブし、娘に寄り添い暮らす日々が1年も続いたころ、赤松は自分の会社を失った。くしくも東日本大震災の年だった。

 娘のために、まだ金が必要だった。仙台でゼネコンとゴルフ場開発をした経験があった赤松は石巻に向かう。

「まずは土木作業員をやりましたが、復興バブルというほど収入にならなかった。その後は南相馬に移って、除染作業に従事しました。除染作業の現場はかなりヤバかった。よそで働けないような流れ者や反社の人間もいました」

 全身入れ墨の人や、小指がない人、覚醒剤のフラッシュバックに襲われる人も。

「水田除染といって、表土を剥ぎ取ってから入れ替える作業を請け負いました。人集めから任されたんですが、思うように集まらないし、現場は下請けのしわ寄せでめちゃくちゃ。ゼネコンや元請けの人たちは、除染作業員を人間扱いしていないんで」

 被災地の復興ビジネスの闇を目にした赤松は、除染作業員宿舎に荷物を置いたまま、夜行バスで逃亡する。逃げ落ちた先は浅草の漫画喫茶だ。所持金は5000円だった。

過去をすべて切り捨て新たな生きる道へ

「除染現場から浅草に逃げ移ってから、それ以前の歴史は途絶えています。浅草に来て新たにできた人間関係だけですね。主にSNSがらみです。小さいころや学生時代の記憶はありますけど、写真もない。そのころのことを話してくれる人間もいません」

 赤松にはアメリカ在住の妹がいるが、現在はまったくの没交渉だという。

「最後の除染現場がもろ反社だったんで、追いかけてこられるのが怖かった。当時のスマホはこっち着いたときに、位置情報がバレたら困るから全部捨てましたからね」

 年収2000万円超えだった男は過去を捨て、日銭を求め漫画喫茶からネットで100社以上に応募しまくった。ひっかかったのは3つだけ。

「最初は新宿のキャバクラです。電話したらスーツで来いと。作業着しかないと伝えると“歌舞伎町なら1万円もあれば買える”と言うんで、今の全財産5000円ですと言ったら電話を切られた」

 2軒目はかなり長い返信メールが来た。

「最初に“お客様にお店をご案内するお仕事です”とあり、いろいろ書いてあるんだけど、最後に“捕まっても自己責任でお願いします”と。3軒目は上野の仲町通り。キャバクラと聞いて行ったら、女の子がおっぱい出して客が揉んでた。おっパブですわ。結局、そこに就職しました」

 赤松が入社する前から働いていた同僚の久保田氏は、初めて会ったときのことを今でも覚えているという。

「よく晴れた日の夕方でした。よれよれのスーツを着た先生が店の前に立っていたんです。最初は客かと思って素通りしました。風俗とか水商売とかの世界にいる人じゃないんですよね、雰囲気が」

 赤松が提出した履歴書には出身大学や過去の勤務先、趣味で小説を書くことまで、びっしり記載されていた。

「私も風俗業界が長くて面接も200人以上やりましたが、あんな履歴書は初めて。過去を書きたくない人がやっぱり多いですから。賞罰の前科とかね」(久保田氏、以下同)

 久保田氏は“そうか、小説を書く先生か”と思い、赤松が入社したときから「先生」と呼んでいた。

「先生は不思議な人。店内で酒乱の客が暴れたり、店外でキャッチが殴り合いになると、先生が必ず見てる。変な嗅覚を持っていました。街の空気にも敏感で“今日の街は荒れていますね”とか空気を嗅ぎ取る。すごいと思いました」

 赤松は、店での日常をしばしば文章で記録した。

「先生の書く『おっパブ物語』本当に面白かった。あと、ほとんど口をきいていないはずの店の嬢たちにも、不思議と先生は好かれていましたね」

 だが、そこは風俗の現場。

「やっぱり普通じゃない人が多い。その世界の普通ではない先生は浮くんですよ。目の敵にする人間もいました」

 久保田氏も言うように、底辺の労働環境で赤松は人間のゲスな側面を徹底的に見せつけられた。

「私もカンバンのときには、ズボンの尻ポッケに文庫本を入れていただけで“こんなもん読んで、どこでサボってるんや”と叱られました。サボる時間なんかない。カンバンは一日看板横に立って“いかがすか”って言うのが仕事ですから。一番ひどいと感じたのは、私の後に30歳ぐらいの若い社員が入ってきたとき。上の連中が彼に“おまえは髪が長い。丸刈りにしろ”と。みんなもっと髪長いのに、なんでそんなこと言うんやろと思ってた。その子が丸刈りにしてきたら、髪で隠していた顔のあたりに、タトゥーでいっぱい落書きされてたんです。前の職場で受けたいじめの痕跡。それ見てみんなで笑い者にしてたわけですよ」

 苦々しく語る赤松。吐き気を催す光景だ。階層の下にいる者が、さらに下にいる者を踏みにじって笑う。しかしこの体験こそが、赤松文学のテーマである差別と貧困に結実したのだろう。

「除染現場を逃げてから何でもやった。例えば、交通誘導員やスーパーの店員。コンビニスタッフも。全部の仕事に共通していたのは、いじめです。自分より下を見つけていじめる。彼らが馬鹿の一つ覚えのように口にする言葉が“自己責任”。私がスーパーで冷凍室に閉じ込められたいじめも自己責任らしいです」

 エッセイ集『下級国民A』で、赤松はこう書いている。

《“上級国民”があるのなら、その対語は“下級国民”だろう。確かに末端土木作業員や除染作業員に従事するしかなかった私は“下級国民”だった。しかし今の日本で、それは特別な存在なのだろうか。どこにでもいる存在なのではないだろうか》

 驕るな。調子に乗るな。見下すな。おまえだって下級国民だ。その思想は、最新刊『救い難き人』に通底するテーマでもある。主人公の在日韓国人・マンスは、金への欲に取り憑かれ、身内を欺き、女を陵辱する最低の人物だが、その救い難さは、はたして彼だけのものなのか?と赤松は問いかけるのだ。

担当とバトルの日々。意外な作家仲間とは?

 2017年11月25日、第1回大藪春彦新人賞受賞者発表。赤松利市の『藻屑蟹』は、選考会満場一致で受賞が決定した。受賞の言葉として、赤松は次のように語った。

「たとえ将来、路上に帰らざるをえないほど困窮しても、日銭仕事に執筆の時間を犠牲にするぐらいなら私は何の躊躇もなく路上に帰ります。その覚悟を受賞の言葉としたい」

 デビュー以来の担当編集者である徳間書店T氏は作家・赤松利市についてこう語る。

「担当編集としてやりやすいかどうかといえば、やりにくい。お互いの共通言語が小説なので、日常会話がぎこちなくなる。一緒にいるときはお互いムッとしています(笑)。赤松さんは大藪新人賞第1回の社内選考のときに、もうこの人しかいないって言われるぐらい完成してた。でも僕はガンガン修正を入れる。僕は誰より赤松利市を知っています。今回の『救い難き人』も改稿を頼みすぎて、赤松さんは途中で僕のことを嫌いになりかけてましたね」

 赤松が時々一緒に飲みに行く、意外な作家仲間がいる。ベストセラー作家の新川帆立だ。『元彼の遺言状』で第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、『競争の番人』などテレビドラマ原作のヒットメーカーでもある彼女から見た赤松とは。

「自分より年上の男性って、マウント取ってきたりとか、自分を大きく見せようする人も多いんですけど、赤松さんは全然そういうのがない。余裕があって聞き上手なんです。聞いてるのかわからないけど、実は聞いているという(笑)。でも、赤松さんが30代だったら、ギラギラ脂ぎっていて嫌だったかな。年齢的にも作家としても、ずっと先輩なんですが、なぜか友達関係だと自分では思ってます」

 路上生活から62歳で作家デビュー。16作目の『救い難き人』(徳間書店)を上梓した現在、赤松は何を思うのか。

「業だか何かはわかりませんが、ただ書き続けたい。ほんまの晩年は、海辺の片隅に住んで、そこで小説書きながら、晴れた日は釣りに行く。帰ってきたら、家の縁側の七輪で干し魚を炙りながら、晩酌しつつ、沈む夕日に乾杯。独り身がいいですね。配偶者は怖いですよ。離婚って結婚の10倍しんどいですから」

 そう言ってから付け足した。

「でもな、時々ネットバンキングで宝くじは買うてます。2億当たったら、そらね」

 赤松はギラついた笑顔を見せた。これからも金と欲にまみれた人間を書き続けるのは間違いない。

<取材・文/ガンガーラ田津美>

がんがーら・たつみ 東京都生まれ。高校中退後、各種職業を経て、官能雑誌ライターとしてデビュー。その後広いジャンルで執筆。『外食流民はクレームを叫ぶ/大手外食産業お客様相談室実録』で、第24回「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」佳作入選。

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