東宝はなぜ「シナリオ・センター」の本から学ぶ?  東宝取締役・市川南×著者・新井一樹「いい脚本」のつくり方

0

2023年11月26日 08:00  リアルサウンド

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

リアルサウンド

新井一樹『プロ作家・脚本家たちが使っている シナリオ・センター式 物語のつくり方』(日本実業出版社)

  日本随一のシナリオライターの養成スクールとして知られる「シナリオ・センター」。そのノウハウをかみくだいて伝えた『シナリオ・センター式 物語のつくり方』(日本実業出版社)が売れ続けている。脚本家や作家を志す人をメイン読者においた同書、実は『ゴジラ -1.0』が大ヒット中の東宝で若手プロデューサー向け勉強会の教科書として使われているという。


  日本最大手の映画会社が同書から学びとろうとしているものとは? さらに『ゴジラ -1.0』にも垣間見れる、シナリオ・センター式傑作づくりのポイントとコツとは? 東宝取締役で、ゴジラシリーズなどのエンタテインメントユニット映画本部長でもある市川南氏と、『物語の作り方』著者・新井一樹氏の対談で解き明かす。


いい脚本からしか、いい映画は絶対に生まれない。

――『ゴジラ-1.0』が大ヒット中で、評判もとても良いですね。


市川:ありがたいことに『シン・ゴジラ』を超える勢いで観客の方に足を運んでいただいています。12月1日からは北米で2000館近い劇場で公開するんですよ。


新井:2000館近くはすごい。反応が楽しみですね。


――そうしたヒット作を出し続ける東宝が、プロデューサー向けの勉強会で『シナリオ・センター式 物語の作り方』を採用されていると伺いました。どのような狙いが?


市川:もともと2019年に新井さんのシナリオ・センターに、東宝社内のプロデューサー向け研修の講師を依頼していたんですよ。もちろん脚本を書くのは、僕ら映画プロデューサーの仕事ではない。しかし、脚本を“読む”仕事ではあります。


 『ゴジラ-1.0』のように制作から手掛ける作品は年間5〜6本で、その他、25本ほどはテレビ局制作やアニメも含めた他社制作の映画を配給する形で興行。合計30本ほどが、東宝で1年間に公開されています。その30本を絞るために、持ち込まれる脚本を年間100本以上は読みます。要するに、良きプロデューサーになるには、脚本から作品の良し悪しを判断する鑑識眼が不可欠なんです。


――良い脚本を見極める眼を養うため、シナリオ・センター式の力を借りたわけですね。


市川:もとより映画は脚本で決まります。伊丹十三さんの父親でもある映画監督兼脚本家の伊丹万作さんは「いい脚本からいい映画は生まれる。悪い脚本からいい映画は絶対に生まれない」といった言葉を残しています。至言だと思います。いい家を立てるには、いくら腕のいい職人がいても、設計図が優れていなければ意味がない。東宝には今20人ほどのプロデューサーがいますが、とくに若手には、そうした良い作品となる良い脚本を見極めるロジックを学んでほしかったのです。


新井:2019年の頃は、シナリオ・センターから浅田直亮講師を派遣させていただきました。驚いたのは、研修会の最前列の席に市川さんが座って、受講されていたことです。「若手中心の研修」と聞いていたのに、東宝の取締役が砂かぶりで聞いている。これは講師はやりにくいだろうなと(笑)。


市川:(笑)。ただその研修はコロナ禍もあって、少し空いてしまった。しかし昨年からまた若手プロデューサーに絞った勉強会をはじめていました。そんなとき、書店でちょうど『シナリオ・センター式 物語のつくり方』を見かけて、手に取りました。装丁も美しく、内容もズバリ伝えたい話が続く。実のところ最初、新井さんの本だとは知らずに手をとったんですけどね。「あ、これ新井さんのか!」と。


新井:むしろ光栄です。


――読んでみた感想はいかがでした?


市川:教科書はもちろん「辞書のようにも使える本だ」と思いました。脚本の書き方を教える本は、古今東西でたくさんあります。第1幕(状況設定)・第2幕(葛藤、対立、衝突)・第3幕(解決)の3つにわけて物語をすすめる「三幕構成」理論を示した『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと シド・フィールドの脚本術』(フィルムアート社)、序破急を下地に東映ヤクザ映画のブランドをつくりあげた笠原和夫さんの『映画はやくざなり』(新潮社)、もちろん、新井さんのおじい様である新井一さんが書かれた『シナリオの基礎技術』(ダヴィッド社)などがあります。


  しかし『物語のつくり方』では、これら名著で指摘されているメソッドや、ノウハウが、網羅的にとてもわかりやすく押さえてある。脚本づくりで迷ったとき、「構成はどう組み立てたらいいのかな」「物語の緩急はどうつけるのがベストか」といったときに、辞書のようにひらけば、解決のいとぐちがわかりやすく見える気がします。


新井:エンターテインメントの物語のベースは煎じ詰めれば同じですからね。


市川:そう。ハリウッド映画もヤクザ映画も、流派は違えど優れた脚本の構成はつながる部分がある。この本は、シンプルに体系化されているので、あらためてそう感じました。また既存の類書は、引用される映画がやや古く、その作品を観ていないとピンとこない面も多い。シド・フィールドはポランスキーの『チャイナタウン』をリスペクトして、多く引用しています。名作ですが、1974年の作品ですからね。笠原さんの本も『仁義なき戦い』を観ていなければ、すっと入ってこない。しかし新井さんの本って、実は映画からの引用は皆無ですよね?


新井:あ、そうなんですよ。作品を使っての解説は、あえてしませんでした。具体的な例で出したのは、昔話の『桃太郎』でくらいです。というのも、観たことがない作品が載っていると、書かれている内容が難しく感じてしまうと思ったからです。それに本書が異例なのは、脚本家でも小説家でもない人間が「物語のつくり方」を書いたことなんです。


――確かに他は「俺はこう書いている」本ですね。


新井:ええ。すばらしい実績を持つ方々が、自らメソッドを伝えている。ただ卓越した脚本家のスタイルを、実際に「自分はどう使うか」まで落とし込むのは、かんたんではありません。しかし、この本は新井一が体系化したものを、誰しも噛み砕いて理解できるようにまとめたものでしかない。ただ、だからこそ「誰でも使える」本になった自負はあります。



――まさに、その「誰でも使える」部分が、多くの読者をとらえた理由かもしれませんね。もちろん、脚本を読むプロデューサーにとっても使える一冊になっている?


市川:そうなんです。とくに映画づくりには、プロデューサーが脚本を読んだ意見を、脚本家にフィードバックする「本打ち」の作業があります。このときに、プロデューサーがまず指摘すべきは、「物語の構造」なんですね。本にもあったように、ロジックとクリエイティブでいうと、ロジックの部分。キャラクターの所作やセリフでドラマを描くシーンの表現は、脚本家、あるいは監督のクリエイティビティに任せる面が大きい。


  しかし、構造を指摘する際には、観客の心を動かす起承転結の勘どころやベーシックな部分をつかんでおく必要がある。それがあってはじめて正しい本打ちができるし、ひいては人の心を動かす脚本、作品ができます。


今回のゴジラは「張り手型」の脚本だった?

――「いい脚本からしかいい映画が生まれない」としたら、今回の『ゴジラ-1.0』は、脚本とその構造がとても良かったといえそうです。新井さんは、どうみられました?


新井:まず感想は「ゴジラ、怖い」に尽きますね(笑)。たとえば『シン・ゴジラ』よりも今回は怪獣としてのゴジラの怖さが際立っていた。『物語のつくり方』に引き込んでいうと、起承転結の「起」にあたる物語の出だしが「張り手型」でしたよね。


市川:そうですね。初手でインパクトのあるシーンから入る。あらためてシナリオを見ると、4ページ目にゴジラが出てきますから。


新井:ゴジラ映画は、意外と最初からゴジラの全貌を見せない展開が多い。「何かいる」と匂わせる程度です。ですが、今回はぐっと恐ろしいゴジラを観客に植え付ける。同時に、主人公である敷島(演・神木隆之介)が抱く感情と、植え付けられた怖さを引きずったまま2時間過ごす。最初のつかみは白眉だし、斬新でもありました。


――ゴジラシリーズは約70年の歴史があり、ハリウッド版、アニメ版含めて、数十作が作られ続けています。そんな中でも、新しい脚本の構造、見せ方に挑んでいるわけですね。


新井:『物語の〜』でも触れていますが、映画に限らず世界中の映画や小説、マンガなどで評される「ストーリー」、つまり物語の筋書きは、いくつかのパターンに大別できます。ゴジラもある種、そのパターンのひとつで。「ゴジラという大きな問題が現れて、何とか仲間と力をあわせて作戦をたて、駆逐する」といった型は、ほぼ決まっています。


 そんな制約があるなかで、ゴジラというモチーフをどう扱い、天地人(時代・舞台・登場人物)にどう特長を与えるのか、そのうえで斬新なシーンを入れながら、クライマックスを盛り上げていくか。脚本家にとっては腕の見せ所だし、やりがいがある仕事だと思いますね。


市川:今回は脚本と監督をお願いした山崎貴さんに「そろそろ『ゴジラ』、どうですか?」と声をかけたとき、「過去の時代のゴジラならいいですよ」と快諾してもらったんです。私自身は「あ、もう用意していたな」と感じましたが(笑)。そこから『ゴジラ-1.0』とタイトルにあるとおり、初代ゴジラの舞台だった1954年よりさらに前、戦中から戦後間もない1945年〜47年に設定しましょうとなった。


 すると、この頃は、軍隊は解散させられ、自衛隊の前進となる警察予備隊すらない時代。必然的に武器・弾薬がない状況で、どうゴジラと対峙するのか、民間の知恵でどう戦うのかを描くのが大きなモチーフとなり、本作のオリジナリティが定まりました。


――『物語のつくり方』では「テーマ」×「モチーフ」×「素材」の掛け算が、面白い物語の設定になるとありました。『ゴジラ-1.0』にあてはめると、どうなるでしょうか?


市川:それはまさに若手向けの勉強会のワークとして実施しました。人によって意見がわかれますが、たとえばある人はテーマを「生きる」だと感じ取っていた。モチーフは「戦争から逃げた男がもう一度戦う話」だと。そして素材は「戦後間もない1945年頃の日本・東京」で「ゴジラ」、そして「民間人たち」になるかなと。


新井:こうした設定と構成のうえ、シーンのうまさも秀逸でしたね。主人公の敷島のゴジラに向かわざるを得ない感情を右往左往するシーンが続く。しかし、やはりゴジラに立ち向かわざるを得なくなる決定的なできごとが起こり、決戦に向けて進んでいく。『物語の〜』でも触れていますが、主人公がなぜその行動に至るかという「貫通行動」がとても巧みに描けていた。そこが欠けていると、観客は感情移入ができなんです。敷島の覚悟と、初手で抱かされるゴジラへの恐怖があってこそ、効いてくる展開でした。だから、クライマックスもグッとくる。


市川:敷島のキャラクターを「正直すぎる臆病者」あるいは「臆病すぎる正直者」としたのも、今の観客の皆さんに「共感性」を抱いてもらった気がしています。


新井:政治を描いた『シン・ゴジラ』では意図的になかった人間ドラマが今回はとても太く、また良かったですよね。


市川:山崎監督自身が「自分の集大成的作品だ」と言っていますが、本当に彼の集大成的な物語になった結果でしょうね。『ALWAYS 三丁目の夕日』というヒューマンドラマが彼の代表作のひとつであり、『永遠の0』と『アルキメデスの大戦』で空と海の物語を巧みなVFXを使って描ききってきた。そしてハリウッド映画が好きで、「『スター・ウォーズ』を観て、映画監督を目指した」という人ですから王道の起承転結が、彼の中には染み付いている。


――脚本づくりで最も苦労されたのはどのあたりでしたか?


市川:人間ドラマの部分より、「どうやったら武器・弾薬がない日本人が、このゴジラを倒せるのか」という作戦部分ですね。「無理じゃないか」「倒せないでしょう」と、日々、侃々諤々の議論をしていましたね。


新井:登場人物たちが対策に頭を悩ませたように、シナリオづくりがリンクしている(笑)。


――考えてみたら物語を描くこと触れることは、当然、そんな現実のシミュレーションにもなりますよね。ロジックがおかしくなければ、課題解決のヒントにもなる、というか。


新井:そう思います。だからこそ、物語のつくり方を伝えている『シナリオ・センター式 物語のつくり方』が映画関係者だけでなく、ビジネスパーソンの方にも、手に取ってもらえている理由かもしれません。自分だけでは太刀打ちできない問題に出くわすことは、仕事でも人生でもありえる。そんなときに、どんな声をかけて、どう仲間を集め、どう作戦を練っていくのか。たとえば今回のゴジラを観て、構成やシーンを分解する視点を持つと、実生活でも活かせるヒントになるかもしれない。


 


  またゴジラに限らず、物語の創作は、舞台となる時代や登場人物について深堀りすることになります。自分ひとりだけではなく、何人もの登場人物の立場やセリフや思考を考えざるを得ない行為となる。自分ひとりの視点ではなく、他人の視点を意識するきっかけにもなると思うんです。ひとりよがりではない多面的なものの見方や、コミュニケーションを促す一端にもなるので、おすすめですね。


――最後に、市川さんは、勉強会などを通して育った若手プロデューサー陣にどんな期待をされていますか?


市川:やはり世界、とくに北米に向けて日本のエンタメ実写映画でヒット作を出していきたい。90年代にポケモンが大ヒットしたような前例はありますが、実写ではほぼ大ヒットがありませんからね。しかしいい映画はいい脚本から生まれる。また脚本術がアメリカでも、日本でもほぼ変わらないのだとしたら、しっかりと武器として脚本術を身に着けた人たちが、日本から世界を席捲する時代が来るはずだと、確信しています。


新井:そうですね。今回の書籍や「シナリオ・センター式」のメソッドを学んだ方の作品が、世界中でヒットすることになったら、私自身とても嬉しいです。


    ランキングゲーム・アニメ

    前日のランキングへ

    オススメゲーム

    ニュース設定