相次ぐ「心神喪失」の無罪判決、ホントに「やられ損」で「野放し」になる? 法が罰しない理由を深掘り

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2023年11月29日 10:01  弁護士ドットコム

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2019年に東京家裁の玄関で離婚調停中の妻を切り付けて殺害したとして、殺人罪などに問われた米国籍の男性の裁判員裁判で、東京地裁が今年10月、無罪判決(求刑懲役22年)を言い渡した。その理由は「心神喪失」だった。


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報道によると、東京地裁は、男性が事件以前から統合失調症を発症しており、妻や子が拷問されて殺されるという強固な妄想や幻聴の圧倒的な影響に基づいて殺害に至ったと認定。一方で殺すほどの強い怒りや恨みをうかがわせる事実は見当たらないことから、心神喪失状態だったと判断した。検察側は判決を不服として控訴している。



2017年に神戸市で祖父母や近隣住民ら5人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた男性の裁判では、大阪高裁が今年9月、1審判決と同様に無罪判決を言い渡し、検察側の上告断念で確定しているが、その理由も「心神喪失」だった。



これら無罪判決に対して、ネットでは「被害者のやられ損」「殺人を犯したなら心神喪失だろうが罪を償うべき」「野放しになるわけ?」など批判的な声が多くあがった。「法律がそうなっているなら現状仕方ないけど、法改正すべき」という意見もあった。



刑法39条1項は「心神喪失者の行為は、罰しない」と定めているが、なぜ心神喪失だと無罪になるのだろうか。無罪となったらそのまま"自由の身"となるのだろうか。神尾尊礼弁護士に解説してもらった。



●刑法の中に「責任」の定義は見当たらない

なぜ、心神喪失者の行為は、罰しない、つまり「無罪」になるとされているかというと、講学上「責任能力」がないからと説明されます。



この「責任能力」という言葉ですが、よくニュースなどで「責任能力を争う」「責任能力が認められる」と聞くかもしれません。では、そもそも「責任」や「責任能力」というのは、何を指すのでしょうか。



実は、刑法を読んでも「責任」や「責任能力」の定義は見当たりません。その位置付けからして、定まってはいないのです。



●そもそも「責任」とは?

責任あるいは責任能力の意味や位置付けについては、古くから日本の刑法学会でも議論されてきました。



日本の刑法学は、ドイツ刑法学の影響を強く受けています。そのドイツ刑法学では、「構成要件」「違法性」「責任」という3つの要素がそろって、初めて犯罪とする理論があります。日本でもこの理論が基本となっています。



構成要件というのは、刑罰法規(ルール)に触れる行為をしたということです。殺人罪でいえば、「人を殺した」(刑法199条)に該当したかどうかを考えることになります。



違法性は、類型的に悪いといえるかどうか、ということです。たとえば、正当防衛に当たるのであれば、類型的に悪いとはいえず無罪になる、ということになります。



そして責任は、その本質からしてさまざまな説があります。自分の意思でやったのだから非難されるという理論(道義的責任論)、行為者に危険性が認められるなら責任があるとする理論(社会的責任論)などがあります。



おおむね「適法行為ができるはずなのに違法行為をした」という法秩序の期待を破ったことが責任である(規範的責任論)と考えるとよいでしょう。



●「責任能力」とは何か

前述のおさらいになりますが、構成要件を満たし、違法性があり、責任も認められると、犯罪をしたことになります。



では、責任が認められるための能力、責任能力とはいったい何なのでしょうか。



先ほどの「適法行為ができるはずなのに違法行為をした」ということを掘り下げていくと、責任能力の外縁がみえてきます。



人が人を非難するとき、どんなことを考えているでしょうか。悪いことだとわかっていたのにやった、というのが非難の源だと思います。逆にいえば、悪いことだとわかっていなかったから、「適法行為を期待できなかった」ということになりますから、非難することはできないはずです。



自分のやろうとしている行為が悪いことなのかどうかを判断する能力(事理弁識能力)が、1つ目の肝になります。



一方、悪いことだとわかってやった行為であれば、すべて非難できるでしょうか。たとえば脅されるなどして、自分ではどうしようもなかったとした場合、非難はしないはずです。



悪いことだとわかったらそれを思いとどまる能力(行動制御能力)が、2つ目の肝になります。



つまり、責任能力とは2つの能力を意味します。



「適法行為ができるのに違法行為をした」
=悪いことだとわかっていて、しかも思いとどまらなかった
=事理弁識能力+行動制御能力



そして、日本の刑事裁判で心神喪失(心神耗弱)か否かを判断する際、このうえにさらに「精神の障害」(精神疾患など)が条件として加わります。



精神障害があって、事理弁識能力か行動制御能力がまったくなければ、心神喪失(非難できないので無罪)、事理弁識能力か行動制御能力のどちらかが著しく減退していれば、心神耗弱(非難しにくいので減軽)に当たります。



心神喪失というのは、言い換えれば「精神疾患の影響で非難できない状態」ということになります。



●責任能力の判断は誰がする?

実際の裁判で責任能力を判断する際には、「7つの着眼点・8ステップ」と呼ばれるものなどが活用されています。



その内容はあまりに専門的なので割愛しますが、要は、精神科医(鑑定人)と法律家の協同で責任能力が判断されます。



特に、最高裁判決(平成20年4月25日)で「精神障害の有無・程度、影響の有無・程度は鑑定人の意見を十分に尊重して認定すべき」とされて以降、専門家の意見を前提にした判断がされるようになっています。



責任能力判断の中で、専門家が入る主な場面は以下のとおりです。



(1)起訴する前



検察庁が、鑑定を求めます。これを「起訴前鑑定」などと呼んでいます。



数カ月単位で延長されるなど、身柄拘束が長期化する一因となっています。感覚的には、(a)殺人事件のうち精神疾患の入通院歴があるか事件自体に異常性があるもの、(b)放火事件のほとんど――が起訴前鑑定に付されるイメージです。



弁護人が求めても認められないこと、鑑定資料は捜査機関側から提供されること、鑑定人も捜査機関側が推薦していることなど、公平とはいえない状態が続いています。



(2)起訴された後



起訴された後、裁判所が認めると鑑定がおこなわれます。「50条鑑定」などと呼んでいます。



起訴前鑑定がないものの責任能力が疑われる場合におこなわれそうですが、起訴前鑑定がないと50条鑑定も認められないことのほうが多いです。



起訴前鑑定があるものの、他の専門家から疑義を呈された場合や超重大事案の場合などに50条鑑定が認められる傾向があります。



50条鑑定が認められない場合などは、弁護人が独自に専門家の意見を聴取し証拠として出すこともあります。



(3)カンファレンス・プレゼン



裁判員裁判の場合は、鑑定書をそのまま読み上げるということはほとんどなく、鑑定人がプレゼンする(主にパワーポイント)ことになります。



プレゼンの準備のために、当事者が集まって打ち合わせをすることもあります。これを「カンファレンス」と呼んでいます。



責任能力を争う事件を多く扱っている弁護士は、懇意にしている精神科医がいることが多く、主張する前に意見を聞くことがほとんどです。したがって、ある程度当たりをつけて主張することが多く、むやみやたらに責任能力を争うことは少ないと思います。



「精神疾患により非難できない状態」というのは、必ずしも法律家が独善的に決めているわけではなく、精神科医との協同の中で、精神科医の意見を尊重しながら判断されています。



●無罪になっても、いきなり社会に出るわけではない?

データでいえば、1審判決で心神喪失を理由に無罪となった事件は、2020年中で5件、2021年中で4件でした。つまり、年に数件無罪になるだけで、ほとんど認められていません。



では、精神疾患は問題になっていないのではないかと思われるかもしれませんが、実は多くは刑事裁判に乗らない、つまり「不起訴」という処理をされています。



不起訴になる(まれに無罪になる)と、そのまま社会に出されてしまうかというと、そうでもありません。また、心神耗弱になると執行猶予がみえてきますが、この場合もいきなり社会に出されるわけではありません。



「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」(医療観察法)というものがあり、検察官の申立てにより医療に繋げる手続きが用意されています。



2021年であれば、不起訴や執行猶予を含めた310件が医療観察法上の審判申立てがされ、237件に入院決定、24件に通院決定がされています。医療観察法上の入院期間には上限が定められているわけではなく、年単位の入院が多いです。



このほかにも、私の場合は、医療につなげる必要がある事案であれば、医療観察法上の入院だけではない入院(任意入院)を準備するなどしています。



●誰からみた「責任能力」なのか

以上のように、心神喪失がほとんど認められておらず、そのままでは社会に出せないケースでは、任意入院や医療観察法上の入院などの受け皿があり、時に非常に長期の入院も伴うことなども考えると、「基本的に非難できると考え、ときに医療につないでいる」という現在の体制は1つのありうる形だと思っています。



さらに、責任能力を議論するうえでは、誰からみた非難かという視点も重要でしょう。



被害者からみて非難できるかどうかであれば、責任能力が否定される場面は限定的になっていくでしょうし、社会防衛の観点から非難できるかどうかであれば、再犯防止のためには医療が必要となって責任能力が否定される場面は広がるでしょう。



責任能力の議論は、刑事裁判に何を求めるかということにもつながるので、制度や運用のあり方は社会全体で議論すべきであると考えています。




【取材協力弁護士】
神尾 尊礼(かみお・たかひろ)弁護士
東京大学法学部・法科大学院卒。2007年弁護士登録。埼玉弁護士会。一般民事事件、刑事事件から家事事件、企業法務まで幅広く担当。企業法務は特に医療分野と教育分野に力を入れている。
事務所名:東京スタートアップ法律事務所
事務所URL:https://tokyo-startup-law.or.jp/


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