内陸国の“ラオス鉄道”に乗ってみたら、“まんま”中国の鉄道だった件【レポート】

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2023年12月09日 14:41  TRAICY

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ラオス人民民主共和国はタイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマー、そして中国に囲まれた内陸国である。首都のビエンチャンは、東京から直線距離で約4,000キロ。ベトナムのハノイやタイ・バンコクからは至近だ。

ただ、国土の多くを山岳や高原地帯が占めており、海がない内陸国であるため物資に乏しく、東南アジアで最も貧しい国の一つといわれてきた。そんな状況がいま変わりつつあると聞いて、筆者は、ラオスに向かった。

ラオスの首都ビエンチャンと中国は雲南省、昆明を結ぶ中国ラオス鉄道。国全体を走る鉄道がなかったラオスに対し、中国が技術含め援助する形で建設された。中国にとっては、初めての国境をまたぐ形での高速鉄道(正確には運行速度が時速160キロに制限された準高速鉄道)の運行となる。

中国の高速鉄道が、日本の新幹線と異なる点に、旅客列車と一緒に貨物列車も走行することがあることが挙げられる。中国ラオス鉄道も貨客両方で営業しており、両国間を旅客列車はもちろん、貨物列車も行き来することができる。並行して計画・建設中の高速道路とあわせて中国とラオスの間の大動脈が形成され、中国の「一帯一路」構想を強力に推進していくことになる計画だ。

ただ、昨今の新型コロナウイルス感染症の影響をもろに受け、強化された検疫体制のため、貨物列車は国境を越えた直通運転を行うが、旅客列車は中国国内およびラオス国内のみの運行という状況が続いていたが、感染症を取り巻く状況の鎮静化をうけ、念願の直通旅客列車が2023年4月から運行開始されることになった。

筆者は、各国への渡航が徐々にできるタイミングを見計らい、2023年2月にラオスに向かった。計画していた段階では、中国への渡航はまだ現実的に可能な状況ではなく、ラオスで中国の鉄道に思いを馳せるつもりであったが、執筆時点では中国を含めたほとんどの国でコロナ禍前と同じように渡航ができるようになった。今後も各国間の交流が活発になり、人々の移動を取り巻く状況も加速度的に変化していくだろう。

今回の記事では、中国ラオス間の旅客列車の直通運転が開始される少し前、2023年2月の中国ラオス鉄道のラオス側の様子をお届けしたいと思う。

筆者は東京在住なので、まずはラオスに向かわないといけない。日本からラオスへの直行便は運航されていないので、タイ・バンコクまで空路でアクセスし、バンコクからラオスとの国境の町ノーンカーイまでの夜行寝台列車に乗り継いだ。

今回は中国ラオス鉄道の記事なので、詳細は省くが、バンコクからノーンカーイまでの夜行列車は快適そのもの。2等車は空調完備の2段寝台。線路と平行して寝台が設置されており、下段なら窓から流れゆくタイの景色を眺めることができる。中国国鉄の寝台は枕木に平行の3段寝台であるが、同じクラスとして比較してみてみると、タイ国鉄のほうが快適かもしれない。寝台の大きさもゆとりがあり、少し大柄な筆者もほとんど窮屈することなく過ごせた。

ノーンカーイでは、ラオスへの国境列車に乗り換える。機関車に客車が2両。貨車と併結することもあると聞いていたが、この日は機関車+客車2両のコンパクトな構成だった。同じ旅程をたどったと思われる人が20~30人ほど、そして謎の自転車乗り団体が10人余。国境を渡る橋が自動車と鉄道の利用に制限されていることから、輪行するようだ。乗客全員がこの駅でタイ王国から出国する手続きが終わるのを待ったため、始発駅にも関わらず、およそ1時間遅れとなった。

珍しい併用軌道の橋を渡りながら国境を越える。併用軌道とはいっても、1日2往復の列車が走るときは車の交通を遮断するので、厳密にいえば空間的併用であるが、時間的併用ではないとでもいえばよいだろうか。

ラオス側ターナレーン駅にはものの数分で到着。ここから鉄道の接続はない。このため、筆者を案内してくれる大変ありがたい協力者の方が出迎えて下さった。普通は、ここから先は「ミニバス(東南アジアではおなじみ、ある程度人が集まったら運行する、時刻などが定められていない10人程度の乗合自動車)」がとまっており利用できる。これに限らず、ラオス国内の交通事情は非常に悪く、こういったミニバスによって交通が支えられているといっても過言ではない。

ターナレーンでは、早速車で駅から少し離れて、乗ってきた列車がタイに戻る様子と、国境越えで運行されているバスを見学・撮影する。運行しているバスの中には、京都市バスから譲渡された日本製のバスも混ざっており、大変興味深い。またほとんどのバスは客を満載して走っており、タイ・ラオス間の人々の流動の大きさを感じることができた。

この日は、国境の町ターナレーンから少し移動して、ビエンチャンの街並みを楽しむことにしていた。といっても、ラオスの国は、タイ・バンコクやベトナム・ハノイと比較すると少し田舎っぽさが残る。街の公共交通機関はあまり発展しておらず、観光客はもっぱらバスで移動することになる。流しのタクシーもほとんどおらず、ラオス独自のライドシェア「Loco」を消去法的に使うことになった。日が暮れた後、タイ国境を眺めながら食事をとり、翌日の待ちに待った中国ラオス鉄道乗車のために、早めに休むことに。

ラオス2日目は朝6時、泊まっている市内南部のホテルから、中国ラオス鉄道のビエンチャン駅に向かう。駅までは中心地から約30分かかる。路線バスが列車の発着にあわせて運行されているが、宿泊したホテルはバスに乗るには不便な場所であったので、先述した「Loco」でビエンチャン駅まで乗りつけることに。

ビエンチャン駅は、とにかく巨大という印象を持たせる。中国形式の駅舎はもともと巨大なのだが、周囲になにも無かったことから、尚更巨大に感じる。この当時は1日3便(出発3列車・到着3列車)のみの設定だったが、列車はほぼ満席で、送り迎えの人もあわせて駅周辺は相当の人の数だ。早速駅舎の中に入る。駅舎に入るには、身分証+乗車券のチェックと、手荷物検査があるので、(切符売り場を除き)乗車する人しか立ち入れないのも中国流だ。

同じフロアに駅入口と改札、それにホームがあるシンプルかつバリアフリーな構造。中は、中国国鉄と同じく、人でごった返していた。中に入っても売店はほぼなく、レストランなどもない。ベンチに座って時間をつぶすくらいしかやることがないので、改札口には改札開始30分くらい前から徐々に列ができ、あっという間に大行列に。並んでいる人からは結構な頻度で中国語から聞こえるので、雰囲気は中国国鉄そのもの。

ビエンチャン駅の場合、改札開始は発車の約20分前。中国国鉄とは異なる様式のきっぷを1人1枚もち、人力の改札で、係員の持つスマートフォンによりきっぷ上のQRコードを読み取られ、ホームに向かうことができる。

ホームは10両ほどの列車をしっかり収容できる広さはあるが、ベンチや売店などはなにもないので、普通の乗客はすぐに列車に入る。筆者も写真撮影を終えて車内に入ると、乗車率は9割程と盛況だった。

ビエンチャンからはルアンパバーン行の区間列車が1往復と、国境の町ボーテン行の列車が2往復運行している。今回はボーテンまで、中国ラオス鉄道のラオス区間を、往路は動車組(CR200J型電車)で、復路は客車で乗り通すことにしている。

内陸国であるラオスの車窓は、風光明媚で飽きない。絵の中の世界かと勘違いするほど、切り立った山の風景が広がるところもあり、牧歌的にのどかな田舎の風景もある。山がちな地形にさえぎられて通信環境が芳しくないので、景色を眺めてアナログな列車旅に没頭したい。

乗客の流動は、各停車駅ごとにある程度あるものの、ラオス第二の都市ルアンパバーンでほとんどが入れ替わった。ビエンチャンとルアンパバーン間を結ぶ最も定時性の高い交通機関としての存在感が大きいようだ。

筆者はヴィエンチャンからルアンパバーン方面に向かい、中国との国境の街ボーテンまで乗り通している。動車組では約4時間ほど、客車列車では5時間ほどかかるので、食堂車でなにか摘まみたくなるところだが、あいにく往復ともに食堂車の連結はなく、往路の動車組のみ売店の連結があっただけというのが寂しい。中国と本格的に直通運転したら、乗車時間も最長で半日弱になるので、供食設備の充実を期待したい。

ビエンチャンから約4時間、はるばるボーテンまで来た。中国と直通運転をしていれば、この駅で国境を越える手続きをするものと思われる。今回の鉄道旅では中国に入国しないのでここで折り返す。国境の街は、ほぼ中国の雰囲気。中国っぽい麺をすすって現地滞在3時間程でビエンチャンに戻ることとした。

復路はボーテンからビエンチャンまで直通の客車列車(25G型客車)にのり、硬座(日本でいう普通席、ボックスシート)を利用する。客車の検査場所は昆明と記載があり、一部ラオス語表記が多少足された以外は基本的に中国仕様の列車だ。

帰りの客車列車のほうが速度が遅いとはいえ、それでも路線を通して停車駅が少ないので快調に運行する。硬座は座席の向きが固定のため、進行方向と逆向きの席がアサインされた。まわりは中国人の団体客に囲まれ、雰囲気は完全に地方の中国国鉄である。

乗客は、8割中国人、残りの2割弱はラオス人、ごくわずかに欧米人がいるというところだろうか。ラオスは植民地支配の時代背景から、ヨーロッパ系の観光客を見かけるのがユニークなポイント。動車組の列車では自動放送があり、中国語とラオス語、英語が案内される。日本人からすると、ほぼ中国国鉄に乗るのと同じくらいの難易度だと感じる。中国国鉄に乗りなれていれば、ほぼ戸惑うことはない。

ほぼといったのは、この中国ラオス鉄道、訪問時点では外国人がネットなどで直接予約することはできず、旅行代理店に依頼するか、現地のわずかな空席をもとめて窓口に並ぶくらいでしか、チケットを入手できない。

団体旅行が盛んな中国に影響されるように、中国ラオス鉄道でも多くの団体旅行を見かける。そして、どの列車も滞在中はほぼ満席で、チケット入手はノープランでは難しいようだった。ほとんど旅行会社のツアー旅行に抑えられていると思っても差支えないようだ。外国人観光客や中国との運転に伴う本格的な運行への移行にあわせ、販売チャネルは拡大しつつあるが、どこまで利便性が向上するかは未知数だ。

復路ではビエンチャンに向かうにつれ、日が暮れていく。この日が暮れるタイミングにあわせ、バンビエン付近では気球を目にすることができた。大きな夕日と気球のシルエットを、車窓から眺めるのはなかなか趣がある体験で、まさにラオスならではの景色ではないだろうか。

日が完全に暮れて、しばらく単調なジョイント音とともに揺られ、列車はほぼ定刻にビエンチャン駅に到着した。降りた風景は完全に中国国鉄そのもの。適度な疲労感とともにビエンチャン駅から中心部へ公共バスで向かい、同行者とラオスのグルメを堪能し宿に戻った。

今回のラオス旅は、ビエンチャンの滞在が2泊3日。鉄道旅の翌日はもうラオス滞在最終日となってしまった。この日は、ビエンチャン全体で建築ラッシュが進む中、特に中国人が集まり、コミュニティが形成されている市場に足を伸ばした。ここでは、多少のラオス語こそあれど、漢字が大きいサインのみが並ぶ。中国に来たといっても充分に説得力がある写真ではないだろうか。今回は、純粋にラオスに惹かれて渡航したが、想像以上に中国の勢いがとんでもない事を実感させられるばかりの旅行だった。

ビエンチャンからの帰路は、ベトナム・ハノイ乗継をチョイス。ベトナム航空の運航便の接続が良く、ビエンチャンを午後7時台にでれば、ハノイから深夜便で東京成田など日本主要都市に翌朝につく。筆者はラオスの余韻そのままに職場に向かうことにするというハードモードな選択をする羽目になったが、そこまでしなくとも、いままさに経済発展の夜明けを迎えようとしている、あまり数の多くない国の1つを見に行くには、充分過ぎる近さだろう。

今回乗った中国ラオス鉄道は、あくまでラオス国内の暫定運行の雰囲気が強いものだったと感じる。これもいい経験である。というのも、2023年4月からはいよいよ待望の中国への旅客直通運転を開始したからだ。本領を発揮する中国ラオス鉄道が、ますます発展し魅力を増していくのが待ち遠しい。中国ラオス鉄道から目が離せないこと間違いなしだ。そう断言できる、濃いラオス旅行は幕を閉じた。

このラオス旅行の、中国ラオス鉄道の乗車レポートは、中国ラオス鉄道を含む中国国鉄13万キロの時刻を収録した「中国鉄道時刻表 2023春夏 vol.11」にも掲載している。時刻表には日本の10倍以上の路線網を縦横無尽に走る列車の時刻はもちろん、コロナ禍で変化した中国国鉄の乗車に役立つ営業案内などのコンテンツが凝縮されている。公式サイトでも購入できるほか、一部の委託書店や即売会で手に取って閲覧することができるため、是非このラオス鉄道の記事から、時刻表への興味を抱いていただけると幸甚である。

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