オリックス強力投手陣の礎をつくった? 増井浩俊が入団2年目の山本由伸に送ったアドバイス

0

2023年12月15日 06:51  webスポルティーバ

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

webスポルティーバ

写真

増井浩俊インタビュー(後編)

前編:増井浩俊が明かす野球人生のターニングポイントはこちら>>

 日本ハム、オリックスで13年間プレーし、先発、中継ぎ、リリーフを経験した増井浩俊氏。また、ダルビッシュ有、大谷翔平、山本由伸らとともにマウンドを守り、2017年のWBCでは日本代表として世界と戦った。現役を引退した今、何を思うのか。

【救世主となって日本一に貢献】

── 2016年は先発、抑えの両方を経験しました。30試合に登板して、そのうち8試合に先発(2完投)。10勝3敗10セーブ、防御率2.44。広島との日本シリーズにも2試合に先発し、日本一に貢献されました。

増井 シーズン前半にリリーフで打たれる試合が多くて、ファームで調整ということになった時、栗山英樹監督に「ちょっと長いイニングを投げて再調整をしようか」と言われました。でも僕は、ストッパーをクビになったと思って「嫌です。まだできます!」と提案を拒否しました。悔しかったですね。

── プロ入り当初は先発希望でしたよね。

増井 それがいつの間にかリリーフが好きになっていて、抑えの仕事に魅力を感じるようになってしまいました。チームの勝利の瞬間、マウンドでの握手......。"守護神"と称されるのは、チームでただひとり。そういう存在でいたかった。

── 2016年はソフトバンクとの最大11.5ゲーム差を、日本ハムが15連勝などで大逆転。先発に回った増井さんは"救世主"となって、高い評価を得ました。

増井 結局、先発として調整することになり、その時期にチームが上昇し、最後に戦列に加わって"救世主"的な扱いをしていただきました。でも、抑えに誇りを持っていただけに複雑な心境でした。そんなこともあって、翌年は希望して抑えに復帰させてもらいました。

── 2017年のオフにFA宣言してオリックスに移籍しました。FA移籍で結果を残すのは難しいと言われるなか、初年度にいきなり63試合に登板して2勝35セーブ、防御率2.49の成績を残されました。

増井 FA宣言をして、日本ハム、巨人、オリックスが手を挙げてくれました。なかでもオリックスは、守護神である平野佳寿さんのメジャー挑戦とタイミングと重なったこともあり熱心に誘ってくれました。双方の思惑が合致し、移籍となりました。移籍1年目はそれなりの成績を残せましたし、意地は見せられたかなと思います。

【強力投手陣の礎を築いた】

── 当時のオリックスは、12球団でもっとも優勝から遠ざかっており、いわゆる"暗黒時代"でした。

増井 ただ日本ハムにいた時から、若い投手が出てきている印象がありました。移籍してからは、僕は先発、中継ぎ、抑えを経験していることもあって、若手からいろいろとアドバイスを求められました。たとえば先発投手の場合、大事なことは"試合をつくる"ことです。リリーフ陣やチームのことを考えると、なるべく長いイニングを投げないといけない。そのためにはどういった調整をして、どういうピッチングをするのかなどを伝えました。

── 増井さんが移籍された時、山本由伸投手は入団2年目でした。

増井 当時、(山本)由伸は「打たれた時の切り替えがうまくできないんです」と言っていました。僕は「全試合抑えられる完璧な投手なんていないよ。次、やり返せばいいんだよ。1年間トータルして、最終的に好成績になればいいんじゃないかな」とアドバイスしました。2018年は由伸が中継ぎとして32ホールドを挙げてブレイクした年です。何かしらの好影響を与えられていたらうれしいですね。

── 増井さんから見て、山本投手のすごいところはどこだと思いますか。

増井 3年連続して投手四冠(最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率)といった結果もさることながら、由伸は「自分を持っている」ところです。やり投げトレーニングにしても賛否両論あったようですが、自分に合っていると信じたことを貫き通して結果を出しました。今年のすり足でクイックのように投げるピッチングフォームにしてもそうです。

── そういえば、日本ハム時代は大谷翔平選手とも同僚でした。

増井 投手として見た場合、ダルビッシュや由伸のほうが変化球は多彩で、器用さはあったと思います。ただ、165キロのスピードボールを投げる大谷のスケールの大きさはこの3人のなかでは一番でした。とはいえ、メジャーでは球の速い投手はいくらでもいるので、正直、もう少し苦労するかなと思っていました。しかし、スイーパーやツーシーム、スプリットなど器用に駆使していますし、奪三振率も年々上昇。さらなる進化を遂げているのは、さすがというしかありません。

【野球人生の誇りは?】

── 失礼ながら、2020年から増井さんの成績は下降線をたどり始めました。

増井 スピードボーラーが増え、まわりの投手の"スピード化"についていけない部分がありました。2023年の1月27日に現役引退の決意を固めたことを発表したのですが、現役続行の意思はありました。

── 現役13年間で通算551試合に登板して、41勝47敗163セーブ、防御率3.08。全球団からセーブを挙げるという記録も達成しました。

増井 プロ入り当初は「一軍で1勝できれば」と思っていたのが、1年目に3勝できたことで、次は「通算30勝」「通算500試合」など、どんどん欲も出てきました。大学・社会人ドラフト5位で、しかも26歳でのプロ入りだったということもあり、通算成績については満足しています。

── 現役時代に一番つらかったこと、悔しかったことは何ですか。

増井 オリックスは2021年から3連覇しましたが、そこに加われなかったことはつらかったです。日本球界に復帰した平野佳寿さんや比嘉幹貴さんら、自分より先輩の方がまだ頑張っています。そういう方の存在がなければ、もしかしたら自分の気持ちも割り切れたのかもしれません。いつも「40歳まで現役」「通算600試合登板」「少しでも多くセーブを......」という目標を掲げていたからこそ、プロの世界でできたのかもしれません。

── 逆にうれしかったことは。

増井 2017年のWBCで日本代表に選出されたことです。入りたくても入れないですからね、結果は準決勝でアメリカに負けましたが、日本の最高峰の選手たちと一緒に野球できたことはうれしかったですし、本当にいい思い出になりました。


増井浩俊(ますい・ひろとし)/1984年6月26日、静岡県生まれ。静岡高から駒澤大、東芝を経て、09年ドラフト5位で日本ハムに入団。11年に先発からセットアッパーに転向すると、12年には最優秀中継ぎのタイトルを獲得。14年からクローザーを任され、15年は39セーブをマーク。16年はシーズン途中から先発に転向し10勝をマークして日本一に貢献した。17年オフにFA宣言してオリックスに移籍。18年は63試合に登板し35セーブを挙げる活躍を見せたが、20年以降は思うような結果を残せず、22年に戦力外通告を受けた。現役続行を希望していたが、他球団への移籍はかなわず引退を決断した

    ランキングスポーツ

    前日のランキングへ

    ニュース設定