中垣内祐一が語る外国人監督が結果を残す理由「日本の指導は良くも悪くもガラパゴス化」

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2023年12月18日 10:21  webスポルティーバ

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中垣内祐一インタビュー(後編)

前編:日本代表が急速に力をつけた要因を聞くはこちら>>

 近年の日本のスポーツ界は、外国人を代表監督に登用した競技が顕著な結果を残している。ラグビーしかり、バスケットボール、バドミントン、そしてバレーボールもまたそうだ。なぜ、必ずしも文化やメンタリティーが同じではない外国人監督が、好成績を残すことができるのか。その理由を東京五輪で日本男子バレーボールの指揮を執った中垣内祐一さんに聞いた。

【日本指導のガラパゴス化】

「海外研修に行き、多くの指導者と出会うなかで感じたのは、日本の指導は良くも悪くもガラパゴス化しているということでした。特有の進化しかしない。バレーに限らず、日本のスポーツは大学、あるいは企業を中心に発展してきました。ですが同一企業での経験しかないと、常に同じ環境、スタッフ、風土のなかで強化していくので、新しい意見や考え方が入ってきにくい。ですから、企業の監督から代表監督になったとしても、視野の広さも含め、自分の経験に限定されがちです。また"あのチームから代表を選ばないわけにはいかない"という、企業チーム特有のしがらみもある。

 だけど外国人の指導者は、常に『負けたらクビ』の状態です。日本の指導者が足の届くプールで安心に泳いでいるとしたら、彼らは海の真ん中にいるようなもので、必死で泳がなくてはいけませんから、勝つためにいいと判断すれば即座に採り入れるし、情報は常にアップデートし、選手やスタッフもどんどん代える。もちろん、特定の企業に対する忖度など入り込みません。そして選手もそういう環境で育ちますから、自分が指導者になった時はこうしよう、ああしようと自分のバレー像を描いていき、何世代も続きます。それが技術的、戦術的なハイブリッドにつながっていく」

 だから自分がチームを率いるにあたり、外国人コーチの手腕を導入することになんの躊躇もなかった。

 そこで招いたのが、かつてフランス代表を率いた経験のあるブラン氏だ。最初はぶつかることも多かったというが、聞くところによるとむしろ、「東京オリンピックまでは自分が名目上監督となるが、それ以後はブラン氏に」と最初から決めていたという。そして、そのブラン監督率いる日本代表が、パリ・オリンピックへの出場を決めた。奇しくもチームは、指揮官の母国へ乗り込む、というわけだ。

「今回の日本の戦いを見て、あまりのうれしさに、フェイスブックに自分なりの感想を書きましたよ。それも5回も(笑)。それともうひとつうれしいのは、自分たちの時代より"会場に男性のお客さんが増えている"という声を聞くことですね。我々の時代、会場は女性ばかりでしたから」

"ガイチ"の現役時代のバレー会場は、それはもうすごかった。誤解をおそれずにいえば、アイドルのコンサートのようで、試合展開などそっちのけの歓声と「ニッポン、チャチャチャ」の拍手、それにストロボのシャワー。

 筆者などは試合後、「裏口に、タクシーを呼んでおいてくれませんか」と頼まれたことがたびたびある。むろん、体育館前で「出待ち」する女性ファンを避けるためだ。そこへいくと男性の観客が増加したというのは、スポーツとしてのバレーを楽しむ、いわば硬派なファンの目も引きつけたということだろう。これも、日本が強くなったことの証しだろう。

【米づくりと大学教授の二刀流】

 いま中垣内さんの日常は、基本的には朝5時起床、7時半に「農好社」(コメづくりは会社組織になっているのだ)に出社し作業の打ち合わせ。8時に福井工業大学に向かい、夕方5時半まで教授として教鞭を執る。大学と高校、学園全体のバレー部の総監督でもあり、多忙の合間をぬって田んぼでの作業をこなす。農繁期は大学の夏休みにあたるから、そのへんはうまく融通が利くようだ。

 この夏の日本海側は酷暑、あるいは水不足に悩まされたが、中垣内さんの田んぼ周辺は、九頭竜川からひかれた農業用水のパイプラインによって水不足とは無縁。すでに、約33ヘクタールほどの新米の収穫は無事にすませた。

「コメづくりについては、小学生時代からトラクターに乗って手伝っていましたが、本格的に始めたのは去年から。また大学の授業は今年からで、まず1年間は授業の準備が大変です。科目はキャリアデザイン、基礎健康科学、スポーツ施設論......など週に7コマ。得意分野ならまだいいんです。たとえばスポーツ施設。フロアの特性や維持管理のことなら、多少は知っていますから。ですがそれがプールや芝生についてとなると、一から勉強ですよ。

 その点、新しいことを知りたがる自分の性格が役に立っていますね。話す内容の重要性は、フィリップ(ブラン監督)から学んだことでもあります。自分が指導者の時、ミーティングでは出たとこ勝負で話し出すことも多かったんですが、彼は毎日話すべきことをメモに取り、確認しながら、事前にリハーサルまでやっていました。ですからミーティング内容には説得力があり、ロジックの破綻や大事なところの漏れなどもなくなるわけです。それは、授業の時にも大事な要素。話す内容を考えたり、スライドや動画をつくるのは一仕事ですが、若い学生と接するのが、だんだん楽しくなってきました」

 福井屈指の進学校・藤島高から、バレー推薦ではなく一般入試で筑波大に進んだ中垣内さん。もともと知識欲は旺盛で、授業の準備で机に向かうのは性に合っているのかもしれない。冒頭の「コシヒカリは福井がルーツ」というウンチクも、情報としてずっと頭に入っていたのだろう。

 帰京後。持たせてくれた新米の『ふくむすめ』をいただいた。めっぽううまかった。


中垣内祐一(なかがいち・ゆういち)/1967年福井県生まれ。中学からバレーボールを始め、藤島高校では同好会レベルのチームに所属。筑波大から本格的にバレーボールに取り組み、在学中に全日本メンバーに選出、ワールドカップで脚光を浴びる。大学卒業後は、新日鐵(現・堺ブレイザーズ)に入社。1年目からリーグ優勝に貢献し、史上初の最高殊勲選手賞と新人賞のダブル受賞。また、全日本でもエースとして活躍し、92年のバルセロナ五輪では6位入賞を果たした。04年に現役を引退。11年から13年まで男子日本代表のコーチを務め、17年から監督に就任し、21年の東京オリンピックで7位の結果を残し、代表監督を勇退。22年に福井工業大学教授に就任。また、系列の中学、高校のバレーボール部の総監督にも就任した

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