伝説の「2004年アジア杯中国大会」決勝Tを中村俊輔×福西崇史が振り返る「あの頃のメンバーは何年経っても戦友」【新春スペシャル対談】

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2024年01月24日 17:41  週プレNEWS

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対談を行った中村俊輔氏(右)と福西崇史氏(左)


不動のボランチとしてジュビロ磐田の黄金期を支え、2006年開催のドイツワールドカップには、日本代表の中心メンバーとして出場。日本サッカーが世界水準へと飛躍していく瞬間をピッチの中央から見つめていた福西崇史が、サッカーを徹底的に深掘りする連載『フカボリ・シンドローム』

第86回は、引き続き中村俊輔氏を迎えてのスペシャル対談「中村俊輔×福西崇史が語るアジアカップ」のシリーズ第3回をお届けする。

2004年中国大会の決勝トーナメントは、準々決勝から死闘が続いた。伝説のPK戦、ジーコの勝負師采配、大アウェイの中国との決勝。今でも語り継がれる激闘を2人に振り返ってもらった。

【画像】アジア杯中国大会を振り返るふたり

■準々決勝 ヨルダンとの伝説のPK戦

――前回は2004年アジアカップ中国大会のグループリーグまでを語っていただきました。今回は決勝トーナメントについてお話を聞きたいのですが、今でも語り継がれるほどの死闘でしたよね。

まずは準々決勝・ヨルダン戦、延長戦を戦ってなお1-1と決着がつかず、決勝トーナメントに入っていきなりPK戦までもつれ込みました。

福西崇史(以下、福西) やっぱり今振り返ってもあのヨルダンのPK戦はすごかったよね。シュンは嫌がるかもしれないけど(笑)。

中村俊輔(以下、中村) そんなことないですよ(笑)。自分は外しちゃったけど、結果的にはみなさんに本当に助けられました。

――見ている人にもわかるほど芝に苦戦している印象でした。

福西 改めてあのペナルティスポットの芝は酷かったよね。

中村 本当に。芝の一部がずれるならまだしも全体の地盤がずれるみたいな感じでしたからね。

福西 どういう芝の敷き方したらああなるんだろう。

中村 本当にゆるくて、2番目がアレックス(三都主アレサンドロ)で、自分と同じ蹴り方をするじゃないですか。だからアレックスに言ったんですよ。全体がずれるぞって。でもまんまと同じ外し方しましたからね(笑)。もっとちゃんと伝えればよかった。

福西 でも、アレックスも蹴る前にいつもよりちゃんと地面を踏み固めていたんだよ。それでもダメだったから相当ゆるかったってことだよね。俺もあとから見たらあそこだけつぎはぎみたいな感じだった。

――反対の右利き側は問題なさそうでしたね。

福西 そっちは大丈夫だった。俺らとしては絶対に決めてくれる2人が外して、向こうは右利きが多いし、これは不利だなと思ったよね。ちなみに俺が3番目だって知ってた?

中村 いや、もう自分が外したことで、直後のことは全部吹っ飛んじゃって覚えてないんですよね。あれ、サイドを変える前に蹴ったんでしたっけ?

福西 いや、アレックスが外して、もう変えようってなったんだよね。それでツネ(宮本恒靖)が審判に言って、それでサイド変えてもらったんだよ。

――あのPKを行うサイドを変更したシーンは大会のハイライトのひとつと言えるくらい印象的でした。

中村 なかなか、あることじゃないですからね。でも、福西さんは変更したあとに蹴ったんだ。それは入るよ(笑)。

福西 いやいや、そうなんだけど、あれ外したらもう負けみたいなもんだったからね(笑)。我ながらプレッシャーはあったよ(笑)。

中村 福西さんの心理としては、前の2人が外したんだから開き直っていける感じじゃないんですか?

福西 俺としては3-0になったら終わると思っていたから。でも個人的には「お前ら外したんなら俺も外すわ」って感じだけどね。

中村 改めて思うと、福西さんが3番なんだね。それは自分で手挙げたんですか?

福西 いや、あのときはジーコだからジーコが決めるじゃん。

中村 そっか。福西さんはPK得意でしたっけ?

福西 全然得意じゃないよ(笑)。

中村 じゃあなんで3番蹴ってるんですか(笑)。

福西 PKの練習の時に「次誰行くの?」みたいな空気が流れたら「誰もいかないなら俺行くわ」みたいな感じで蹴ることが多かったんだよね。

中村 なるほど。たぶん、それで早めの順番で蹴っていたからジーコは自信あるんだろうなと思って3番に選んだんでしょうね。緊張しました?

福西 相当緊張した。右に蹴ろうかなと考えてはいたけど、最終的にはGKを見てからどこに蹴るか決めようと思っていたんだよね。でも、相手のGKが結構動かないタイプだったから、もう右に蹴ろうって決めた感じだったかな。

――福西さん、中田浩二さんが決めて、川口能活さんが相手の4人目を止めて流れが変わりました。

中村 やっぱり能活さんがすごかった。

福西 能活っていつも自分の世界に入っているっていうか、あんな感じだよね。

中村 そうですね。

福西 自信満々だったなって思う。でも最初2人目まで逆に飛んでいたんだよ。そこで能活が言うには開き直ったらしいんだよね。そこからゾーンに入っていったんだと思う。

――そのあとは鈴木隆行さんが決めて、相手5人目が枠を外して3-3でサドンデス。6人目の中澤佑二さんが止められて、日本はまたピンチになります。

中村 相手としたら2回くらい勝つチャンスがあったんだ。

福西 そう、それを能活が触ってバーに弾かれて、その後に相手がポストに当ててくれて運もあった。伝説のPK戦とか言われるけど、あれは本当に能活がすごかったよね。

――その後7人目の宮本恒靖さんが決め、相手の7人目が失敗。まさに決勝トーナメント初戦からギリギリの戦いを制す形で準決勝進出となりました。

■準決勝、勝負師・ジーコの采配

福西 ヨルダンは能活のミラクルだったけど、準決勝・バーレーン戦はチームのミラクルだったと思う。0-1と1点ビハインドの状態で迎えた前半40分にヤット(遠藤保仁)が一発退場。その後は一人少ない中でお互いに点を取り合って3-3で延長戦に突入。最後は延長戦で玉田(圭司)が決めて4-3で勝ったんだよね。

中村 いま指導者をしていて改めて思うんですけど、あの試合みたいにMFが退場になったらFWを1人減らして4-4-1の形にするのがセオリーじゃないですか。でもジーコはDFを1人削って、俺が落ちて4-3-2にしたんですよ。それはその時の状況、いる選手、相手との力量を考えてだと思うんだけど、ああいうところの考え方はすごいなと思った。

――前半40分に遠藤さんが退場してから、44分に田中誠さんを下げて中田浩二さん、ハーフタイムに福西さんを下げて小笠原満男さんを入れていますね。

中村 福西さんそんな早く下げちゃったんだ。守備的なMF1人いなきゃいけないのに。

福西 でもそれで2トップを残したことは大きかったよね。1トップになったら奪ったあとに前線でキープできる可能性はかなり減っていたと思う。

中村 その中盤の3人(小笠原、中田、中村)だと、俺があんまり戻らないから3ボランチっぽくはならないんだけど、そのおかげで奪った後に1本のパスでいけたんですよね。福西さんがいないとって思うけど、でもその浩二のヘディングで同点に追いつくんだもんな。

福西 あのジーコの決断は早かったよね。本当に勝負師だったと思う。

■あの頃のメンバーは何年経っても戦友

――ジーコさんの決断、采配もあって、1人少ない中で延長戦の末に勝利して、開催国・中国との決勝戦を迎えます。あの試合はいかがでした?

福西 俺は決勝の相手がイランのほうが嫌だったから、中国が準決勝で勝ってよかったと思ってた。

中村 中国はなんか動きが固かったですよね。

福西 うん。あの頃から中国はロングボールを蹴ってくるサッカーではなくて、綺麗にパスを繋いでくるヨーロッパのサッカーになっちゃったよね。

中村 確かに。それまでのヨルダンとか、バーレーンのようにバンバン蹴られたほうが嫌だった。

福西 ブーイングとかはすごかったけど、シュンのFKから隆行の折り返しに俺が合わせて先制点を挙げたときに、サポーターが静まっちゃったんだよね。でもあの得点は気持ちよかった。

中村 ああいう得点はなかなかないですよ。昔はニアかファーを片手か両手挙げてくらいしかサインプレー的なものはなかったけど、それでもちゃんと反応してくれそうな人がいっぱいいるから、こっちはどこでも出せるって思うんですよね。

福西 確かに普通ならあのスピードのファーを狙ったボールはゴールラインを出ちゃうよね。動きが決まっているわけでもないし。

中村 そう、みんなが中央に入っていっちゃうんで。でも誰かが感じてファーで折り返してくれるんですよ。1点目の福西さん、2点目の浩二もうまく合わせてくれました。

――最後、後半アディショナルタイムに玉田さんが3点目を決めて3-1で優勝となりましたが、改めて当時の心境はいかがでした?

福西 ホッとしたのが一番大きい。どんなに個人のアピールができたとしても、やっぱり優勝したという実績が国内組の俺らには必要だったから、それを達成できてよかったと思いましたね。

中村 自分も同じですね。生き残らなきゃいけない、アピールしなきゃいけないと臨んだ大会で、結果を出せて、目標を達成できたのでホッとしました。W杯予選は1試合1試合の間が空いてしまう難しさがありますけど、短期決戦もまたそれはそれで難しさがありましたね。

福西 でも短期決戦だから、課題に対して選手たちで話し合いながら練習で解決しつつ、どんどんチームとして良くなって、関係も深まって勝てたというのは良い経験でしたね。

中村 そうですね。僕の引退試合のときもそうでしたけど、あの頃のメンバーは何年経っても戦友ですもんね。

――日本のサッカーファンにとってはもちろんですが、選手にとっても思い入れのあるチームだったんですね。前回に続いて貴重なお話を聞かせていただき、また貴重なお時間をありがとうございました。

構成/篠 幸彦 撮影/鈴木大喜

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