【イップスの深層】中根仁が証言「木塚はイップスを認めずに克服した」

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2024年02月07日 16:01  webスポルティーバ

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連載第12回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・中根仁(4)

(前回の記事はこちら)

 とあるローカル球場での高校野球の試合中――。どこにでもある日常にひびが入ったのは、投球をキャッチした捕手が投手に返球しようとした刹那(せつな)のことだった。

 両ヒザを地面に着けたまま、白球を握った捕手が右手を上げる。ところが、捕手は右腕を振り下ろしながら本来離すべきタイミングでもボールを離せず、そのままバランスを崩して前のめりに倒れてしまった。

 この光景をバックネット裏で見つめていた中根仁は「嫌なものを見てしまった......」と、冷や汗をにじませていた。15年間の選手生活を終えた中根はベイスターズの球団スカウトに転身し、高校野球の視察に訪れていた。現役時代に送球イップスと戦い続けてきた中根にとって、この捕手の挙動は他人事ではなかった。

「プロにもこういうキャッチャーがいましたからね。(返球するため)普通なら左足を前に出して投げるのに、右足を前に出して投げたり、タイミングが定まらなくてホームベースの前まで歩いてしまって『はよ投げぇや!』とヤジられたり......」

 ボールが指から離れない――。これもまた、イップス特有の感覚だろう。中根はこの高校生捕手を目当てに球場を訪れていたが、返球中に倒れ込むシーンを目撃して「プロでは難しいかもしれないな」と感じた。

 中根はこの捕手以外にも、イップスを理由に獲得を見送った選手がいた。

「バッティングが素晴らしい大学生ショートがいてマークしていたのですが、どうもスローイングが危ない。イップスの気(け)がある選手は、ボールの離し方を見るとわかるんです。だいたいフィニッシュで手のひらが『パー』になりますよね」

 自身がイップスを経験しているだけに、無意識のうちに他人のイップスにも敏感になっていた。そんな中根にとって救いになったのは、くだんの高校生捕手がのちにプロ入りし、別のポジションにコンバートされ成功を収めたことだった。

 2年間のスカウト生活を経て、中根はコーチとして現場に復帰する。8年間のコーチ生活でも、さまざまなイップスの選手を見てきた。

 注目されて入団したある選手は、人前でキャッチボールすることができなかった。全体練習中は別メニューをこなし、練習後、誰もいなくなったグラウンドに戻ってくる。カラーコーンを目標物にして、延々とスローイング練習を繰り返す。その選手は結局イップスを克服できず、わずかな在籍期間で戦力外通告を受けた。

「僕は主にバッティングコーチだったこともありますけど、そうした選手に軽はずみに声をかけることはできませんでした。僕の余計な一言が、今まで積み上げてきたものをゼロにしてしまう可能性もあるじゃないですか。『大丈夫、気にするな!』と言っても、選手は『お前にはわからないよ』と感じてしまうかもしれないし......」

 本稿も一因になっているが、「イップス」という言葉が世に広まるにつれ、ちょっとしたコントロールミスや送球ミスをしただけで「イップスでは?」と疑われるケースが増えているのかもしれない。なかにはミスを機に「自分はイップスかもしれない」と必要以上に思い込み、深みにはまってしまう選手もいるのだろう。

 中根は基本的に「イップスを認めて、人に打ち明けたほうがいい」という考えを持っている。だが、かたくなに「自分はイップスではない」と言い張り、見事に克服してしまった例も見てきたという。

「木塚(敦志/現DeNA投手コーチ)なんて、現役時代は変則的な投げ方だったでしょう。大学の下級生の頃は、ボールがとんでもない方向に出ていって、自分でもどこで離したかわからないくらいひどい状態だったらしいです。でも、木塚は『自分は下手なだけ。練習不足』と言ってイップスとは認めなかった。それで木塚は復活したわけですけど、どこかで自分に言い聞かせていたという部分もあったのかもしれないなぁ」

 そして中根は「イップスはスローイングだけに限らないのではないか?」とも考えている。

「フライの距離感がわからなくなる『フライイップス』の選手がいましたし、なんでもないゴロなのにバウンドが合わせられなくなる『ゴロイップス』もいました。他にもバントができない選手や、明らかにバッティングがおかしい選手もいました。ただ、どこまでを『イップス』と言っていいのか? という問題もありますよね」

 なんでもかんでも「イップス」と呼ぶことには違和感がある。だが、プロに進んだ選手としてはありえない、「イップス」という言葉でないと収まりがつかないような事例があるのだ。

 中根は打撃コーチ時代、こんな打者に頭を抱えたことがあったという。

「打ちにいく瞬間、軸足のヒザが変なふうに動くんです。しかも、動き方が一定じゃない。外側に動くこともあれば、違う動きをすることもあるし......。日によってクセが出る日と出ない日もあるし、本人も自覚がないようなんです」

 ある日のバッティング練習中でのこと。その打者が低めのボールをスイングしようとした際、例のヒザが動くクセが出た。するとスイングは波打ち、バットでホームベースを叩いてしまった。プロ野球選手とは思えない現象に、選手の顔はみるみる紅潮する。ケージの後ろにいた中根は、そっと後ろを向いて見て見ぬふりをした。

「かわいそうで見ていられませんでした。でも、違う日の夜間練習を見ていると、普通にガンガン打っているわけですよ。これは何なのだろう? 脳に何かアクシデントでもあったのだろうかと。そうじゃない限り説明がつかないようなことだったんです」

 選手、スカウト、コーチ、そして現在は野球解説者とさまざまな視点から野球を見てきた中根だが、イップスの正体はいまだ見えないままだという。

「もしイップスを治せる人間がいるなら、プロ球団はその人に1億でも2億でも払って契約しないといけないでしょうね」

 いま現在、イップスに苦しむ選手にエールを送るとしたら、どんな言葉を掛けますか? そう問うと、中根は爽やかな笑みをたたえて、こう答えた。

「僕自身、『引退までこれと付き合うんだろうな......』と思うと嫌でしたけど、一番ダメなのはエラーになること。『ようはアウトにすればいいんだろう』とごまかしながら付き合ってきました。プロでもこれだけ(イップスを)持っている選手がいるのですから、当たり前のこと。大したことじゃないと思ってほしいですね。せっかく楽しい野球がつまらなくなりますから」

(つづく)

※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。

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