【イップスの深層】強肩外野手・中根仁が「カットマンに返球できない」

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2024年02月07日 16:11  webスポルティーバ

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連載第9回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・中根仁(1)

(前回の記事はこちら)

 打撃練習中にボール拾いをしていると、傍らから耳をつんざく声が聞こえてきた。

「ティー上げお願いしま〜す!」

 声の出どころを確かめると、そこに苦手な先輩がバットを持って立っていた。自分がティーバッティングをするために、投げ手を探しているのだ。一度は聞き流してみたものの、再び怒気を帯びた声が聞こえてきた。

「ティー上げお願いしま〜す。......はよ来いよ!」

 周囲を見渡すと、先輩にもっとも近い位置にいる1年生は自分だった。

(うわぁ......、これは行かないとまずいか。いやだなぁ......)

 高校時代にティーバッティングでトスする「仕事」をしたことはなかった。大学に入学してからはなるべく免(まぬが)れるように立ち回っていたが、このときばかりは逃れようがなかった。

 憂鬱な思いを引きずり、足取りは重かった。この先輩には独特な打撃の感性があり、タイミングの取り方が変わっている。ボールをトスすることが難しいことは明白だ。そして先輩の少し陰気な性格も苦手だった。

 ボールを右手に握る。先輩が構える。どこに投げればいいのだろう......。逡巡(しゅんじゅん)していると、今度は自分がどうやって投げればいいのかわからなくなってきた。しまいには「自分の手がどこにあるのかわからない」という恐怖にも似た不安に襲われた。

 わずか5球を投げたところで、先輩は苛立たしげに「代われ!」と怒鳴った。それ以来、誰に対してもティーバッティングのボールをトスすることが怖くてできなくなってしまった。

「プロに入って、裏方さんから聞いたことがあるんです。『誰々にティーを上げるとき、手からボールが離れないんですよ。ティー上げイップスなんです』って。それを聞いて、あぁ、俺もそうだったなって(笑)。自分にとってイップスとのかかわりは、この大学1年時が最初でしたね」

 現役時代と変わらぬ端正な顔立ちに爽やかな笑顔をたたえて、中根仁は「ティー上げイップス」について語り始めた。

「ティー上げって、相手が準備して、構えて、いざ投げるときに『相手に合わせないといけない』と思い始めるんです。でも試合もそうですけど、本来は投げ手主導でバッターがタイミングを取るわけじゃないですか。それをお互いに『合わせよう』と考えているから、よけいにズレて『おい!』となるんです」

 プロでコーチになってからはリラックスしてトスできるようになったが、「ティー上げイップス」はしばしば目にすることがあった。ある監督が主力選手へのティー上げを買って出るも、実は監督が極度のティー上げイップスだったこともある。立場上とがめるわけにもいかず、対処に苦慮したという。

「やさしい性格の人とか、きっちりやりたい性格の人がティー上げイップスになりやすい気がしますね」

 中根は現役時代、東北高、法政大と名門校で腕を磨き、1988年にドラフト2位で近鉄に入団。強肩強打の外野手として活躍し、98年に横浜(現・DeNA)に移籍すると「マシンガン打線」の一角として日本一に貢献した。

 大学時代にティー上げイップスに悩まされた中根だが、プロではスローイングのイップスと人知れず戦っていた。

 きっかけはプロ1年目のキャンプでのことだった。当時の近鉄は「猛牛軍団」「いてまえ打線」と称されるように、豪快なチームカラーで知られていた。だが、こと守備に関しては繊細な一面もあり、仰木彬監督の方針で「外野手はカットマンに返球する」という約束事があった。

 その背景には、当時ベテランや守備の苦手な選手が外野陣に多かったという要因があるだろう。だが、アマチュア時代に強肩外野手として名を馳せた中根には、この方針が肌に合わなかった。

「今まで『カットに返す』ということをやってこなかったので、感覚が違うんですよ。中継に入るカットマンがすごく近くに感じて、『こんなに近いの?』と。カットマンへの返球がちょっと上にいっても怒られる。『なんで俺、低く放られへんの?』と思っていましたからね(笑)」

 そしてオープン戦で決定的な出来事があった。中根の記憶では「2対0か3対0で勝っている、藤井寺球場での試合」。9回表、ランナーを二塁に置いて、中根が守るセンター前に3本連続でヒットが飛んできた。

 1本目は打球を捕ると思い切り腕を振り、カットマンのやや上を抜ける送球になった。本塁はクロスプレーになったがセーフ。その間、打者走者の二塁進塁を許してしまう。2本目も同様に送球がカットマンの上を越えて本塁セーフ、そして打者走者は二塁進塁。3本目に至っては抑え気味に送球したもののカットマンがカットせず、みたび本塁セーフとなり、やはり打者走者には二塁まで進まれた。

(やべぇぞ......。これは絶対に怒られるな......)

 戦々恐々とする本人の想像通り、試合後、中根はコーチに「お前の肩なんか見たくないんじゃ! 何回打者走者を二塁に進ませとるんじゃ!」と激しく叱責され、そのままファーム行きを通告される。

 そして、中根は本格的に泥沼へと足を踏み入れていく。

 外野を守っていて、打球が飛んでくる前からムズムズと落ち着かない。何の変哲もないヒットの打球が飛んでくる。捕球し、カットマンを見る。体が硬直する――。

 ベースカバーに入った選手に思い切り送球することは簡単なのに、近距離のカットマンにピンポイントで返すことができない。当たり前にできる選手には極めて低次元に思えることだろうが、中根は「プロはこれができないといけないのか......」と絶望した。

 そして中根が取った窮余の行動は、「二塁ベースまで走る」だった。

「ベースまで5メートルくらいの位置までダッシュで近づいて、あとはペロンと軽く投げる。左中間とか、ランナーに進塁を許しそうな遠い距離なら、むしろ全力で投げられるので余裕なんです」

 そうして何とか切り抜けていくうちに、中根は5月になって一軍に呼ばれる。ところが、ここで中根のスローイングはますます悪化の一途をたどる。

「これまでセカンドベースまでワンバウンドで返すことはできていたのが、内野の先輩に『もっとピッと返せ!』と怒られてしまって......。力んで暴投を投げるのも嫌だと思っているうちに、投げられなくなってしまったんです」

 弱り果てた中根が取った行動は、「もっと速く二塁まで走る」だった。

「もう猛ダッシュですよ(笑)。それしかできなかったんです」

 プロ野球選手に限らず、投手、捕手、内野手でイップスに陥った選手の多くは、外野手に回される。だが、外野手がイップスになってしまった場合はどうすればいいのか。中根はイップスをごまかし、15年の長きにわたって現役生活を続けられた要因について語り始めた。

つづく

(=敬称略)

※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。

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