【イップスの深層】暴投のガンちゃんを救った先輩捕手たちの気づかい

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2024年02月07日 16:11  webスポルティーバ

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連載第2回 イップスの深層〜恐怖のイップスに抗い続けた男たち
証言者・岩本勉(2)

(前回の記事はこちら)

「神宮球場のブルペンで投げられないピッチャーって、いっぱいいるんですよ。あそこはファウルグラウンドにブルペンがあるでしょう。もし暴投を投げたら、タイムがかかってゲームが止まってしまいますから」

 元・日本ハムファイターズの岩本勉はプロ野球界の"秘部"とも言える実情を明かして、こう続けた。

「やっぱり、イップスになる一番の原因は『人の目』やと思うんです。周りにどう思われているか。それが気になって、ひどいときはキャッチボールから自分の体が操作不能になってしまう」

 幼少期からイップスの気(け)があったという岩本が、本格的にその症状に苦しむようになったのはプロ3年目だった。前年に一軍で5試合に登板し、防御率2.00と上々のスタートを切っていた岩本だが、大きな落とし穴が待っていた。

「東京ドームに先輩のバッティングピッチャーを務めに行ったんです。でも僕、プロ野球のピッチャーなのに、バッティングケージにもボールが行かなかったんですよ。目の前のL字型ネットに『コーン!』と当たって。それを見たバッティングコーチが飛んできて『ケガ人が出るから替われ!』と。それはそうですよね。バッターにもコーチにも生活があるわけですから。コーチの言葉に悪意はないんですけど、でもあの『替われ!』っていう言葉はキツかったですね......」

 岩本は周囲に「自分がイップスである」ということは公言していなかった。野球選手としては致命的な弱みのようにも思えた。しかし、本人があらたまって口にしなくても、誰の目に見ても岩本がイップスであることは明白だった。

「『自分は投げられない人間なのかな?』と勘違いする。それで、どんどん病んでいくんです」

 二軍での練習中、キャッチボールを終えてシートノックに移る直前のこと。岩本は「ちょっとすみません」と言ってボールを1球手に取り、ホームベースからバックスクリーンに向かって思い切り放った。そのボールはぐんぐん加速して、センターのフェンスを越えてバックスクリーンに直撃。そこで岩本は「あ、オレ、投げられるんや」と実感し、そのままブルペンに入る。

 しかし、ブルペンで岩本は絶望を味わうことになる。18.44メートル先にいるはずのキャッチャーが、とてつもなく小さく見えるのだ。

「遠近感が取れないんですよ。それに自分がどうやって足を上げていたのか、思い出せなくなる。それでもキャッチャーから『どうでもいいから投げてこい!』という声が聞こえてくるんです」

「足を上げるんだ」と自分に言い聞かせながらなんとか1球を投げ込むと、ボールはホームベースのはるか手前でバウンドする大暴投になった。

 気まずい雰囲気が流れそうになった刹那(せつな)、捕手が明るく「きました、ガンちゃんのモグラ殺し!」とはやし立てた。思わず苦笑いがこぼれ、投球を再開する。すると、今度は空高く舞い上がるようなすっぽ抜け。それでも捕手は景気のいい口調で「はい、ヒバリも一匹!」となごませる。岩本はこの捕手の気づかいに救われる思いがしたという。

「ファイターズのキャッチャーはみんな心が広くて、優しい人ばかりでしたね。『ええねん、ガンちゃんがコントロール悪いのは知ってるから、今日は何匹でもいこうか!』と言ってね。山中潔さんに岡本哲司さん。丑山努(うしやま・つとむ)さんもそうやったな。こうやって冗談にしてくれるのが救いになるんです」

 山中と岡本はトレードで日本ハムに移籍してきた捕手だった。他球団でも同様のケースに遭遇してきたのだろう。たとえ「何やってるんだ!」と声を荒らげても、若手投手が余計に萎縮するだけということを知っていたのだ。

 イップスに苦しんでいるのは岩本だけではなかった。あるベテラン選手が言った「おい、ルーキー、ここしか捕らんぞ!」という冗談を真に受け、体が硬直してしまった内野手もいた。その人物はそのまま引退したのだが、球団職員として打撃練習の手伝いをしている姿を見て、岩本は衝撃を受けたという。

「バッティングピッチャーにボールを投げて渡している人を遠くから見て『あいつ誰や?』と思って近づいたら、そいつやったんです。現役のときは右投げやったのが、左で投げていたんですよ。『どうしたんや、お前もしかして......』と聞いたら、『えぇ、いまだに投げられないです』って。今は本人も笑い飛ばしていますけどね」

 プロ3年目にして本人も「大イップス」と語るような難題にぶつかり、岩本は野球人生の岐路に立たされた。いくらドラフト2位という上位指名で入団したホープとはいえ、投球がままならない投手にタダ飯を食べさせるほどプロは甘い世界ではない。

 もちろん、それは本人が誰よりも痛切に感じていることだった。岩本はプロ4年目、ある決意を持って臨むことになる。

(つづく)

※「イップス」とは
野球における「イップス」とは、主に投げる動作について使われる言葉。症状は個人差があるが、もともとボールをコントロールできていたプレーヤーが、自分の思うように投げられなくなってしまうことを指す。症状が悪化すると、投球動作そのものが変質してしまうケースもある。もともとはゴルフ競技で使われていた言葉だったが、今やイップスの存在は野球や他スポーツでも市民権を得た感がある。

(前回の記事から読む>>)

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