甲子園を沸かせた秀岳館・川端健斗が空白の2年を経て社会人野球で再スタート「まだプロは全然あきらめきれていない」

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2024年02月09日 10:21  webスポルティーバ

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 鮮やかなブルーのユニホームが、かつての勇姿を思い出させる。熊本・秀岳館高で2016年センバツから4季連続甲子園に出場した川端健斗は今、栃木にいる。1月10日、社会人野球チームのエイジェック硬式野球部に合流。チームの雰囲気にも「だいぶ慣れてきました」と柔和な笑顔を見せる。

「長い間、こうやって団体で練習するということから離れていたので、久しぶりにチームで練習することに楽しさがあります。体の張りとかも多少ありますけど、それもすべて新鮮ですね」

 地元の京都で練習を積んできたが、久しぶりにユニホームを身にまとって体を動かすと、心地よい疲労感が全身を包む。忘れかけていた感覚。ボールを持つ左腕にも自然と力が入る。

「振り返ってみると短い感じもするんですけど、よくよく思い出してみたら結構長かったですね」

 偽らざる本音だろう。短いようで長かった「空白の2年」を経て、ようやく次のステージへと進むことができた。

【高校時代は4度の甲子園出場】

 秀岳館では2年春・夏、そして3年春と3季連続で甲子園ベスト4入り。3年夏の甲子園は2回戦で敗退したが、通算11試合に登板し、48回2/3を投げ57奪三振とイニング数を大きく上回る奪三振数をマークした。

 大会後に同じ左腕でダブルエースを形成していた田浦文丸(現ソフトバンク)とともにU−18日本代表に選出され、カナダで行なわれたU−18ワールドカップに出場。先発した米国戦で15三振を奪い、世界に衝撃を与えた。
 
「高校に関しては、僕のなかではできすぎで、いい思い出しか残ってないくらいに充実した3年間だったと思います」

 ノーワインドアップからグラブをはめる右腕を高々と上げ、真上から投げ下ろす独特のフォームから繰り出す最速148キロの直球と、大きく縦に割れるカーブはまさに圧巻。プロのスカウトも色めき立ったが、東京六大学リーグの立教大へ進学し、4年後のプロ入りを見据えた。

 立大では1年春のリーグ戦から7試合に登板して2勝0敗、防御率1.93、同年秋も1勝2敗、防御率2.84と順調なスタートを切ったかに思われたが、「フォームに違和感を感じていた」という。そこから自分本来のフォームを見失う。

 川端の持ち味であった力強さは消え、球速も130キロ台前半まで低下。制球にもズレが生じた。3年からは左ヒジに痛みを抱えながらオープン戦に登板。痛み止めの注射を打ちながらアピールを続けたこともあった。

「進路のこともあったので、最後のほうは無理してやっていました。高校でいい成績を残せて、大学に入って周囲の期待に応えることができず、苦しんでいる時は、その期待が自分にとってはしんどいなって思うことがありました」
 
 結局、2年秋を最後にリーグ戦で登板することはなかった。わずかな望みをかけてプロ志望届を提出も、ドラフトで名前を呼ばれることはなく、進路も決まらないまま、大学野球を終えた2021年11月にトミー・ジョン手術を受けた。
 
「痛みもありましたし、左腕にまったく感覚がないので、自分の腕じゃないみたいな感じでした。ここからどういう風に投げられるのか、本当に不安でしたね」

 大学に籍を残し、孤独なリハビリの日々が始まった。手術から半年が過ぎた頃にはキャッチボールが再開できるまで回復も、"就職活動"は思うように進まない。プロや独立リーグ、社会人側からすれば、手術明けで、長らく実戦から離れている投手の採用に二の足を踏むのは当然だろう。"浪人生活"も気づけば2年目に突入していた。

「リハビリをやって1年くらい経った頃は『本当に野球を続けられるんかな』っていう気持ちになりました。でも、野球を辞めたいなとか、そういう気持ちになった時、両親の顔がパっと思い浮かぶんです。それを考えると辞められないですよね」

 まだ野球を続けたい──。その一心でリハビリに励んだ。投球後には指先までしっかりとストレッチを行なうなど、ヒジの入念なケアはもちろん、肩の故障を防ぐために、インナーマッスルの強化にも時間を割いた。同時に上半身のウエイトトレーニングも積極的に取り入れ「筋肉量は多分増えたと思います」と手応えを見せる。

 大学時代に苦しんだ投球フォームも「新しいものを一からつくり上げる」ことを意識。右足が着地した際、左腕のトップの位置にこだわり、体が横に流れることなく「狭い枠の中で投げきる」ことをチェックポイントに、フォームを固めていった。

【ライバルの活躍も刺激に】

 そして手術から2年近くの月日が流れた昨年10月。知人を介し、栃木県に拠点を置くエイジェック硬式野球部の練習に参加することが決まった。

 エイジェック硬式野球部は2018年創部とまだ歴史が浅いが、昨シーズンは22選手の大型補強を行ない、企業チームとしては最多の49名体制で活動するなど、都市対抗、日本選手権出場、そして日本一を目標に力を入れている。

 川端は難波貴司監督の前で捕手を座らせブルペン投球を披露。変化球を交え30球ほど投げたところで「合格」をもらった。

「ヒジの状態はエイジェックさんのほうにも伝えていて、7割くらいの力で投げたのですが、130キロくらい出ていました。また野球が続けられるなっていう安心感が大きかったです」

 練習参加後すぐ、秀岳館時代の恩師だった鍛治舎巧さん(現・県岐阜商監督)に電話で報告した。鍛治舎さんは南都ボーイズ(京都)で4番手投手だった川端の秘めたる才能を見抜き、スカウトしてくれた大恩人。「無事に決まってよかったな」と祝福され、胸が熱くなった。2年間の苦労が、報われた瞬間だった。

 エイジェック野球部は寮がなく、ひとり暮らしをする選手が多いが、立大野球部の寮を出てからは1年半ほど家を借りてリハビリを続けていたため、自炊もお手のものだ。現在は体重72キロからベストの74〜75キロに向け増量中とあって「朝、おにぎりをつくって、練習の合間にこまめに食べるようにしたり、工夫しています」と笑った。

 今後は左ヒジの状態を見ながら出力を上げていき、5月から始まる都市対抗栃木県予選での登板を見据える。

「今のフォームで全力に近い力を出せるとなれば140キロを超える感覚はあります。5月の予選までにしっかりと体をつくって、全力で投げられるようになったら、都市対抗優勝という目標もあります。ケガをしないよう、そこにしっかりと貢献したいです」

 秀岳館時代の同僚であり、よきライバルでもあった田浦の活躍にも刺激を受けている。田浦は昨季、ソフトバンクでキャリアハイとなる45試合に登板し、防御率2.38をマーク。貴重な左のリリーフとして、今季も活躍が期待される。

「高校時代、ふたりで一緒に注目されて、もう一度同じレベルに自分もいきたいという気持ちがよりいっそう強くなりました。まだプロは全然あきらめきれていないので、2年後、絶対に行けるように頑張ります」

 1月26日には24歳になった。だが、その闘志はいささかも衰えることはない。川端健斗は、最短で2025年ドラフトでのプロ入りを目指し、エイジェックでアピールを続けていく。

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