「大谷翔平に敵う選手はいなかった」プレミア12、WBCで世界と戦った平田良介がセパ交流戦で見た衝撃

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2024年02月15日 07:41  webスポルティーバ

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平田良介インタビュー(後編)

前編:「高校通算70本塁打の平田良介が落合博満監督から評価されたこと」はこちら>>

 平田良介氏は、中日で過ごした17年間の現役生活で6人の監督に仕えた。そのなかで最も影響を受けた指揮官は誰だったのか。また、17年間プレーしたなかで平田氏がすごいと驚愕した投手、打者を挙げてもらった。

【考えてプレーする谷繁野球】

── 2012年から2年間、高木守道監督時代の思い出に残るプレーは何ですか。

平田 落合(博満)さんから高木さんへ、プロ入りしてから初めて監督が代わりました。当然のことながら、「監督が代わると野球も変わるんだな」と思いました。高木監督の2013年、自己最多の15本塁打を打ったことが思い出として残っています。

── 2014年から16年まで谷繁元信監督が指揮を執りますが、この3年間は平田さんにとってどうでしたか。

平田 2014年はプロ9年目で初めて規定打席に到達しました。そして翌年は初めてベストナインに選出。2016年は103安打で73打点と、ヒット数の割に打点が多くてポイントゲッターに。その一方で72四球を選び、チャンスメーカーにもなっていたと言ってくれる方もいました。でもレギュラーとしてもっと数字を伸ばせたのではないかと、自分では物足りなかったです。

── 谷繁さんはどんな野球をする監督でしたか。

平田 すごく考えて野球をやるイメージがあります。打席に立ち、"根拠"を持って配球を読むようになったのは谷繁監督になってからです。たとえばスライダーを待つにしても、なぜその球を待つのかを説明できなくてはダメなんです。

 谷繁監督には2016年に「おまえがチームを引っ張りなさい」と言っていただき、仁村徹さん以来22年ぶりのキャプテンを務めました。ただケガに泣かされ、全試合出てチームを牽引できなかったのが悔しかったですね。監督からは「抜く時は抜きなさいよ」と言われていたのですが、性格上、途中でやめることができなくて......。よく言えば全力でやるタイプ、悪く言えば鈍感なタイプだったんです。

── 2017年から森繁和さんが監督に就任されました。

平田 2017年のシーズン前に第4回WBCがあり、私も日本代表に選ばれました。日本はベスト4でアメリカに敗れたのですが、最後、代打の準備をしていました。もし打席が回ってきたら、自信を持って臨めたと思います。このあたりから打撃にも自信がつき、翌2018年はキャリアハイ(打率.329=リーグ3位)の成績を残せたのではないでしょうか。

── 2018年はサイクル安打もありました。

平田 幸先よく先頭打者本塁打を放ち、その後、二塁打、二塁打、三塁打......最後にシングルヒットを残した状況でしたし、なんとなく達成できそうな気がしました。大差で勝っていたこともあり、本当はいけないことなのですが、フェンス直撃を打っても一塁を回ったらつまずいたふりをしてシングルにしようと考えていました(笑)。

── 50メートル5秒7の俊足、遠投110メートルの強肩を生かし、2018年に初のゴールデングラブ賞を受賞されました。

平田 走攻守のなかで、一番自信があるのが守備です。落合さんに「平田の守備はうまい」と褒めていただいていましたが、やっと結果を出せました。ゴールデングラブ賞6回の名手・赤星(憲広)さんにも当時「守備がうまいのは福留孝介と平田」と言っていただき、うれしかったですね。

── 守備ではどんなところを意識していましたか。

平田 打球方向を予測するポジショニング。打球まで最短距離で行く。捕球してから素早く投げる。バックホームの際は、ベースの少し右をピンポイントで狙う。そういうところを意識していましたね。2014年と18年の補殺9はリーグトップでした。

── 2019年からは与田剛監督が就任。森監督時代と野球が変わった印象はありましたか。

平田 森監督は落合監督時代にベッドコーチを務めていたこともあり、投手力を含めた守りを重視し、選手の役割分担などという部分は似ていた気がします。与田監督は、走攻守揃った選手を起用する堅実な野球というイメージがありました。

【衝撃だった藤川球児のストレート】

── 2022年から立浪和義監督が指揮を執りますが最下位。平田さんもこのシーズンを最後に現役引退。プロ17年で通算1227試合、1046安打、打率.268、105本塁打、484打点、41盗塁の成績を残しましたが、対戦した投手のなかで「ベスト3」を挙げてください。

平田 まず藤川球児さんです。ストレートは速いのですが、見えないということはありません。しかしホップしているのか、ボールのかなり下を振ってしまう。バットに当たらないんです。そんな感覚は藤川さんだけでした。

── 次はどなたですか。

平田 ダルビッシュ有さんです。ストレート、スライダー、ツーシーム、シンカー、フォーク......11種類とも言われた球種を駆使し、どのボールでも空振りがとれる。あれだけ完成度の高い変化球を何種類も投げられるのは、ダルビッシュさんだけじゃないでしょうか。

── 最後はどの投手でしょうか。

平田 阪神で活躍されたジェフ・ウィリアムスさんです。スライダーを打ったと思ったらストレートでした。左サイドスローから放たれるストレートは、それぐらいクロスファイアーでインコースに食い込んできます。威力十分のボールでしたね。

── 同じ打者としてすごいと思ったバッターはいましたか。

平田 まず大谷翔平です。セ・パ交流戦で試合前のフリー打撃を見たのですが、ひとりだけ打球速度が突出していて、度肝を抜かれました。当時は今のように筋肉質の体ではなかったですが、左中間スタンドに簡単に放り込んでいました。昨年、メジャーで本塁打王を獲得しましたが、ある意味ホッとしました。「あれで本塁打王を獲れないのなら、メジャーリーグは一体どんなレベルなのだろう」と。2015年にプレミア12、17年はWBCに出場し、多くのスラッガーを見ましたが、やはり大谷にはかないませんね。

── ほかに印象に残った打者はいましたか。

平田 柳田悠岐選手のフルスイングから放たれる逆方向への飛距離は段違いです。また、中日で一緒にプレーしたタイロン・ウッズも印象に残っています。とにかく彼が打席に入る時のファンの期待はすごかった。中日での4年間で155本塁打、426打点。本当に頼りになる打者でした。


平田良介(ひらた・りょうすけ)/1988年3月23日、大阪府生まれ。大阪桐蔭高では1年秋から4番を務め、3年夏の甲子園準々決勝で1試合3本塁打をマーク。2005年高校生ドラフト1巡目で中日から指名を受け入団。入団後はなかなかレギュラーに定着できずにいたが、11年に113試合に出場し、14年に初めて規定打席に到達。15年にはベストナインを初受賞した。16年には主将に任命され、翌17年はWBC日本代表に選出。22年シーズンを最後に現役引退。現在は解説者の傍ら、エースファクトリーベースボールクラブに入団し軟式野球に励んでいる。

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