「冤罪ヒーロー」に困惑も…無罪確定後に別の殺人事件、小野悦男・無期懲役囚(87)が明かした現在の心情

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2024年02月18日 08:10  弁護士ドットコム

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〈片岡さん、お手紙ありがとう。元気で頑張って居られる様子、とても嬉しく思って居ります〉(2024年1月11日付け手紙)


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その無期懲役囚の男性から届く手紙は、冒頭にたいてい、何かしらお礼の言葉が綴られている。実際に会って言葉を交わしたことはないが、文通はかれこれ10年余り続いている。この男性は、小野悦男受刑者、現在87歳。その名前をご存じの方は多いと思われる。



1974年の夏、首都圏で女性が乱暴され、殺害される事件が多発し、そのうちの一件、「松戸OL殺人事件」と呼ばれる事件の容疑で小野受刑者が逮捕された。取調べで自白しながら裁判で無実を訴えた小野受刑者は、一審で無期懲役判決を宣告されたものの、1991年に二審で逆転無罪判決を受けて確定。小野受刑者を一連の「首都圏連続女性殺人事件」の犯人であるかのように報じた新聞各社が紙面で謝罪し、事件報道のあり方が見直される契機になった。



ところが、その5年後、事態は再び一変した。1996年4月、小野受刑者は5歳の女の子にわいせつ行為をしたうえで首を絞めるなどしたとして殺人未遂などの容疑で逮捕され、さらに同6月、同居していた女性を口論をきっかけに室内にあったバットで殴って殺害し、遺体を燃やしたうえで首を切断するなどしたとして殺人などの容疑で再逮捕されたのだ。



今度は裁判でも罪を認め、無期懲役判決が確定。現在は小野受刑者について、一連の「首都圏連続女性殺人事件」の犯人であったかのように言う人も少なくない。一部のメディアやインターネット上では、皮肉的なニュアンスで「冤罪のヒーロー」と呼ばれたりもしている。



小野受刑者は実際、どういう人物なのか。何をして、何をしなかったのか。この10年余りの間に届いた手紙をひも解きつつ、私の個人的な心証もお伝えしたい。(ノンフィクションライター・片岡健)



●心と心が通じる様になるといいですね



私が小野受刑者に取材依頼の手紙を出したのは2013年9月のこと。小野受刑者から最初に届いた返事の手紙には、次のように綴られていた。



〈片岡さんと文通をとおして心と心が通じる様になるといいですね〉(2013年10月24日付け手紙)   手紙の文面からは一面識もない私に対し、小野受刑者が心を開いている雰囲気が伝わってきた。それから10年。数カ月に一度、手紙をやり取りする程度のゆったりしたペースで文通は続いた。この間、小野受刑者はいつも日常の出来事を淡々と綴ってきた。



〈私の方は1月6日から作業がはじまります。今年も一日一日を大事に頑張って行きます〉(2014年1月6日付け手紙)



〈私の方は元気で作業に出て、木工場でタンスなどをつくる仕事をして居ります〉(2014年8月19日付け手紙)



〈夏は綱引き大会が行われるので、若い人たちは猛暑の中、練習をして居ります〉(同上)



〈私と同じころ、工場で一緒の人でも短い刑の人はもうすでに出所してしまっていませんが、私は舎房は6人で入って居りますが、無期の人は4人で、もう1人は30年の刑ですからね。あと1人は7、8年の刑です〉(2016年6月8日付け手紙)



〈今は運動は戸外週2回、戸内週2回行われて居りますが、戸外の時はソフトボールのチームに入れてもらってソフトボールを楽しんで居ります〉(2021年7月13日付け手紙)



小野受刑者は実際に会った人に対し、朴訥な印象を与える人物だと聞いてはいたが、私も手紙の文面からそのような印象を受けた。私の経験上、獄中者と面会や文通をしていると、何かと頼みごとをされることが多いが、小野受刑者は頼みごとを一切してこなかった。いつも手紙では、私のことを気づかうような言葉が最後に添えられていた。



〈忙しくされて居られると思いますので、風邪を引かないようにお身体には気をつけて下さい。又、手紙書きます〉(2013年11月27日付け手紙)



〈春も近づいて来ているので、一日一日を頑張って生活しています。片岡さんも、お身体に気をつけて色々頑張って下さいね〉(2014年3月5日付け手紙)



無罪になった松戸OL殺人事件の裁判中には、面会や文通をした多くの人が小野受刑者の「人柄」に無実を確信し、救援活動を行ったと伝えられる。私自身は「人柄」で無実か否かを判断したりはしないが、小野受刑者と文通してみて、当時無実を信じ、救援活動に乗り出した人たちの気持ちは理解できたような気がした。



●アジサイの花がきれいに咲いて居ります

小野受刑者は松戸OL殺人事件の容疑で逮捕される以前も窃盗や強姦などで服役を繰り返しており、成人後の人生の大半を獄中で過ごした。そのため、刑務所や拘置所、警察署の留置場(いわゆる「代用監獄」)のことに詳しく、手紙にも世間話をするような感じで獄中の実情をよく書いてきた。



〈平成19年頃、新法(引用者注・2006年に施行された「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」のこと)になって処遇も大分よくなって来たところもありますが、初めの頃は面会も出来ましたが、仮釈放の方はきびしくなって来ているのではないかと思いますね〉(2013年11月27日付け手紙)



〈新法になってから親族外の手紙のやりとりが出来るようになったり、自分の物をケースに入れて、舎房で持って使うことが出来るようになったり、私本も、読む期間もなくなり、ケースに入るだけ置いておける。多くなれば知人に送ることが出来ます〉(前同)



〈30年前、私が取調べを受けたころは、留置場の看守に捜査官がなっていましたからね。それに取調官が留置場に入って来て、出入をしていましたからね〉(2014年1月6日付け手紙)



獄中の身となった経験が無い私には、具体的にイメージしにくい話もままあった。ただ、小野受刑者が獄中の実情に詳しいことはよく伝わってきた。



他方、小野受刑者はずっと獄中にいるからか、世間の新しい話題はあまり知らないようだった。2020年以降、新型コロナウイルスの話題を手紙に書いてくることが増えたが、それ以外では時事性のある話題はほとんどなかった。時の流れを感じさせる記述は、自分自身の年齢のことくらいで、80歳の誕生日を迎えた時はこんなことを書いてきた。



〈あと何年生きられるかわかりませんが、自分ながら80年生きられるとは思っても見ませんでしたが、これからも一日一日を頑張って行きたいと思って居ります。舎房の窓から空き地を見ると、アジサイの花がきれいに咲いて居ります〉(2016年6月8日付け手紙)



おそらく小野受刑者にとって、世間で直接目にできるものは獄窓の景色くらいなのだろう。



●インターネットの記述は「いい加減なつくりごと」

小野受刑者が手紙に綴る文章はいつも穏やかだったが、文章から感情の昂ぶりが感じられたこともある。インターネット上で匿名の人物が小野受刑者について、本当は一連の「首都圏連続女性殺人事件」の犯人だったかのように書いていた事件記事らしきものをプリントアウトして送った時のことだ。



〈インターネットを読みましたが、ひどい。いい加減なつくり事を多く書いて居りますね〉(2021年8月3日付け手紙)



〈私は、放火の前科は一度もないのに、小野には過去に複数回放火による逮捕歴もありますと、いい加減なことを書いている〉(前同)



〈(引用者注・小野受刑者の家庭環境が複雑だったとする記述について)母親のことまで書くことはひどいことで。ひどい言いがかりでゆるせないことです〉(前同)



〈地元では有名な素行が悪かったと、まったくつくりごとを書いて居ります。16歳のころは、〇〇(引用者注・原本では、人の名前)と言う家で農業をしていたのに、調べもしないで、いいかげんなつくりごとを書いて居ります。ゆるせないことです〉(前同)



小野受刑者は、インターネットがまださほど普及していなかった1996年に逮捕され、それからずっと獄中にいる。インターネットのことはよくわからないはずだが、本気で怒っている感じは伝わってきた。



では、無罪になった事件と、その後に起こした殺人事件について、小野受刑者はどう語るのか。私は昨年末、手紙で改めて質問してみた。



●無罪確定後に起こした事件には「ただただ申しわけない」



――裁判で無罪判決を受けた時、どのように思いましたか?



〈無罪判決を受けた時、私は長い長い裁判で、私はやっと 私が犯人でないと言うことを判ってもらい、とても嬉しかったです。検察の上告はしませんでした〉(2024年1月11日付け手紙)



――現在も自分のことを首都圏連続女性殺人事件の犯人のように言う人たちに対し、どのように思いますか?



〈私のことを犯人のように言う人は、それはケイサツが言うことをよく調べないで、そのまま思い込んでいるのでしょう。マスコミもケイサツの言うことを、よく調べないで、そのまま書いたのだと思います〉(前同)



――メディアで「冤罪のヒーロー」と呼ばれることをどう思いますか?



〈私は無罪判決を受けた際、私は冤罪ヒーローなんて思ったこともありませんでした〉(前同)



――無罪判決が確定した後、同居していた女性の生命を奪ってしまったことについて、どのように思っていますか? 



〈同居していた女性の生命を奪ってしまったことは、ただただ申しわけないことをしてしまったと、はんせいしています〉(前同)



――同居していた女性の生命を奪ってしまったことについて、供養や償いを何かしていますか?



〈同居していた女性の生命を、けんかして奪ってしまってから、とてもこうかいし、心の中で、いつもすまないことをしてしまったと思って居り、供養については、命日には忌日読経でお坊さんにお読経を上げてもらい、手を合わせて冥福をお祈りしています〉(前同)



――自分のことを支えてくれている人やご親族について、どのように思っていますか?



〈私を支えてくれる人たちには、ただただありがたさを身にしみて居ります〉(前同)



――今後出所できたら、何かしたいことはありますか?



〈私も今年(引用者注・2024年のこと)6月2日で88才ですから、出所することは、とても無理と思っていますが、もし出所出来たら被害者の〇〇さん(引用者注・原本では、被害者の名前)に、はかまいりしてすまなかったとあやまりたいです〉(前同)



小野受刑者は私の計7つの質問に対し、このようにすべて回答した。そして手紙の最後に、こう書いていた。



〈今年も忌日読経願を出して居ります。私は6月2日で88才になりますが、元気なうちは木工場で作業を頑張って行きたいと思って居ります。



今、新聞が入りましたが、能登で1月1日におきた大地震で大きな被害で亡くなった人が多くなって来ていて、冥福をお祈りしました。



これから寒さが続くと思いますので、コロナウイルス感染しないように気を付けて下さい。



では又手紙書きます〉(前同)



以上、この10年余りの間に小野受刑者から届いた手紙をひも解いてみたが、読者はどう思われただろうか。私自身の胸の内を率直に明かせば、「無罪になった事件については、やはりシロだったのだろう」という心証を抱いている。



※小野受刑者の手紙の文章は、極力原文ママで引用しましたが、明らかな誤記と思える部分と句読点は改めました。


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