2試合連続KOで栗山監督からリリーフ転向の打診 難色を示していた斎藤佑樹を翻意させた中嶋聡の言葉

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2024年03月01日 17:01  webスポルティーバ

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連載「斎藤佑樹、野球の旅〜ハンカチ王子の告白」第49回

 2015年、斎藤佑樹はプロ5年目を迎えた。ここまでの4年間で13勝16敗。前年の先発は6試合で、5年目もローテーションに入れる保証はなかった。このシーズン、ファイターズのローテーション候補は大谷翔平、ルイス・メンドーサ、浦野博司、木佐貫洋、吉川光夫、中村勝、上沢直之、新外国人のビクター・ガラテ。ここにベテランの武田勝、ルーキーの有原航平も加われば激戦は必至だった。

【大量リードもまさかの4回途中で降板】

 あの年はキャンプから思うように調子が上がらず、紅白戦でもオープン戦でも結果が出たり、出なかったりのまま、開幕を迎えました。それでも4月(2日)の千葉でのマリーンズ戦は開幕から2カード目、6試合目です。僕はその試合での先発を告げられました。

 栗山(英樹)監督からは「いいフォームで投げられているし、体調も状態もいい。だからこそいいボールが投げられるわけで、でも、だからといって勝てるとは限らない。今年はいいボールを投げるというだけじゃなく、佑樹ならではの勝ち方を思い出してくれ」と言われていました。

 あの日は立ち上がりからいいテンポで投げられました(3回までに対戦した12人のうち10人に初球ストライク、残りの2人にも2球目までにストライク)。初球からどんどんストライクゾーンへ投げていくことができていたんです。細かいコントロールは気にせずにストライクゾーンで勝負する、その思い切りのよさがもたらすボールの勢いがあればバットを押し込める......見た目よりも強いボールが来ることでバッターはタイミングをずらされて、差し込まれていました。その結果、いいリズムで投げることができていたんです。

 しかも打線の援護があって、4回表を終わった時点で8−0という大量リードの展開になりました。そのせいではないと思いたいのですが、4回裏、ストライク先行のピッチングが一変してしまいます。

 初球、ストライクを投げられなくなってしまいました。4番の今江(敏晃)さんにボール球を続けてしまって、ツーボールナッシングからの3球目、アウトローへのカットボールをライト前へ運ばれます。次の5番、井口(資仁)さんに対しても初球、2球目とストライクゾーンへ投げることができず、ボール先行の3球目、インハイへ投げたシュートを合わされて、レフト線へツーベースヒットを打たれました。

 これでワンアウト二、三塁となって、6番のルイス・クルーズにも初球、2球目とボールが先行。3球目のインコース低めのツーシームをレフト線へ2点タイムリーを打たれてしまいます。3人とも2ボールからの3球目を打たれる同じパターンでした。いずれもコースは悪くなかったし、それなりの手応えもありました。ボールが先行したことで、ほんのわずか、置きにいってしまったのか......プロ5年目、勝つことの難しさを痛感させられて、1つ目の勝ち星がほしいという気持ちがそうさせたのかもしれません。

 8点差がピッチングを変えたと言われたら、それも否定できません。8対3とされて、なお5点をリードした5回裏、(2本のヒットを打たれて)ワンアウト一、三塁となったところで栗山監督がダグアウトを出ました。この回を投げ切れば勝ちがついたのに......ここ(76球)でピッチャー交代です。

【栗山監督からのリリーフ転向の打診】

 今となっては、監督って大変だなと思います。もちろん選手だった当時、いろいろと思ったことはありましたし、たしかにこんなに早い交代なのかとも思いました。

 あの日は風がすごく強くてスライダーはやたらと曲がるし、フォークもよく落ちていました。ツーシームにもまるでシンカーのようなキレがあると感じていた覚えがあります。それでも僕が持っている感覚と監督が持つ感覚が違ってくるのは、選手には決してわからない監督の仕事だということなんだろうなと、今なら思えます。

 ただ、ピッチャーにとって白星は何よりの良薬になります。僕は高校の時、(早実の)和泉(実)監督に「9点を取られても10点を取り返せば勝てる」「最後の1点を取られないように必死で抑えろ」という野球を教わってきました。

 だから6回3失点で自分なりのピッチングをしたとしても、チームが負ければ「仕事をした」という感覚はありませんでした。もちろん高校野球とプロ野球は違いますから、栗山監督の采配は指揮官としてチームが勝つためのシンプルな決断をした......そこは当時もそう受け止めていました。それでも、ひとつの勝ち星がとにかくほしかったというのは正直な気持ちでした。

 2度目のチャンスはすぐに与えてもらいました(4月17日、イーグルス戦)。寒い仙台で2度目の先発を務めて、4回途中でノックアウトされました。その直後、栗山監督からリリーフをやらないかと持ちかけられました。でも、すぐには受け入れられなくて......やっぱり長年、先発としてやってきたプライドがあったんだと思います。

 その夜、仙台で中嶋(聡、現在のバファローズ監督、当時はファイターズのバッテリーコーチ兼捕手)さんと食事をした時、「リリーフもいいんじゃないか」という話をしていただきました。その話を聞いてから、今までこだわってきた先発のプライドって何だろうと考え始めたんです。

 中嶋さんは「短いイニングなら100パーセントの力で腕を振れるから、おまえの持ち味を発揮できるはずだ」と言ってくれました。「いい時の腕の振りはバッターのタイミングをずらせている」とも......そう言ってもらってから、僕はリリーフとしてのピッチングをイメージするようになりました。

 実際、中嶋さんに「先発の時に先を見て力を分散させてしまっていなかったか」「9回まで全力で投げ切るスタミナがあったとしても勝手に力をセーブして1イニングごとに全力を注げていなかったんじゃないか」と訊かれて、「だから強いボールを投げられないんだろう」とも言ってもらいました。ならば、中継ぎのつもりでまずは1イニングを全力で投げる、その感覚を身につけるためにリリーフに回るのも悪くないんじゃないかと思い始めました。

【リリーフは合っているんじゃないか】

 プロに入ってからずっと、中嶋さんは僕にとってすごく近い存在でした。叱るのが上手な方です。中嶋さんに叱られても嫌な感じがまったくしない。すぐに「わかりました」と思えました。厳しいし、的確なことを言ってくれる。でも優しいし、愛情がある。

 プロ1年目か2年目だったと思いますが、戸田のスワローズとの試合で僕が先発したとき、中嶋さんが「オレが行く」と志願してバッテリーを組んでくれたことがありました。その時、僕はけっこう打たれてしまったんですが、中嶋さんは「俺のサインのせいだ」ってジェスチャーで示してくれました。ベンチに戻ってから、よかった時には「今のはよかった」、悪かったら「ここにしっかり投げてくれば打たれない」「打たれたら俺のせいだから」と言ってくれるんです。あんなに実績のある大先輩がそんなふうに言ってくれたら、この人のことを信じて投げ込もうと思いますよね。

 僕はもともと肩ができるのは早いし、気持ちのスイッチを入れるのも苦手ではありません。もしかしたらリリーフは僕に合っているんじゃないかと考えるようになっていた時、栗山監督の覚悟に触れたんです......あれは5月になってすぐ(4日)のことだったと思います。

 鎌ヶ谷でのイースタンの試合(ライオンズ戦)で先発するはずだったのに、急遽、ブルペンへ入るよう言われました。栗山監督から二軍の首脳陣に「今日から佑樹をリリーフで起用してくれ」と連絡があったと聞きました。

 僕は監督の意向を知っていましたし、そう言われてから時間も経っていました。中嶋さんの話が響いていたこともあって、僕はブルペン待機を受け入れることができました。

*     *     *     *     *

 5月から斎藤は二軍でクローザーを任された。チームの勝ちを消してはならないという責任感から、今までとは違うアドレナリンが出てくることを感じることができたのだと斎藤は言っていた。その経験を生かして、シーズン終盤には先発に戻り、一軍で勝ち星も挙げた(9月16日、千葉でのマリーンズ戦で6回77球、1失点)。それでもプロ5年目の斎藤は1勝3敗、防御率5.74と、またも不本意な成績に終わる。クライマックス・シリーズへシーズン2位で勝ち進んだファイターズは、3位のマリーンズに敗れて1位のホークスとの決戦に進めなかったのだが、もしファイターズがホークスと戦うことになっていたら、その第1戦には9月に勝って上り調子の斎藤が先発することになっていた。しかしながらチームは敗れ、その舞台が実現することはなかったのである。

次回へ続く

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