ダルビッシュ有とキム・グァンヒョン...14年前の歓喜と屈辱を経ての再戦 「こういう機会は最後かもしれない」の思いを胸に投げた【WBC2023人気記事】

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2024年03月04日 07:31  webスポルティーバ

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「PLAYBACK WBC」Memories of Glory

 昨年3月、第5回WBCで栗山英樹監督率いる侍ジャパンは、大谷翔平、ダルビッシュ有、山本由伸らの活躍もあり、1次ラウンド初戦の中国戦から決勝のアメリカ戦まで負けなしの全勝で3大会ぶり3度目の世界一を果たした。日本を熱狂と感動の渦に巻き込んだWBC制覇から1年、選手たちはまもなく始まるシーズンに向けて調整を行なっているが、スポルティーバでは昨年WBC期間中に配信された侍ジャパンの記事を再公開。あらためて侍ジャパン栄光の軌跡を振り返りたい。 ※記事内容は配信当時のものになります

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)プールBの1次ラウンドの日韓戦。日本の先発を託されたダルビッシュ有は初回、スライダーを左右高低に投げ分け、韓国のトミー・エドマン、キム・ハソンを内野ゴロ、3番のイ・ジョンフもレフトフライに仕留める。

 一方、韓国先発のキム・グァンヒョンもタテに落ちるスライダーを低めに集め、ラーズ・ヌートバーをセンターフライ、続く近藤健介、大谷翔平を連続三振に打ちとりガッツポーズ。

 両投手とも持ち味を発揮した、ベテランらしい立ち上がりを見せた。球数次第ではあるが、4イニングくらいまでは投手戦が続くか......そんな予感を抱かせるスタートだった。

【14年前の歓喜と屈辱】

 2009年、第2回WBC。ふたりは14年前の同じ大会で、同じマウンドに立っていた。ダルビッシュが22歳、キム・グァンヒョンが20歳の時だ。ふたりにとって14年前は、対照的な記憶として残っているはずだ。

 ダルビッシュは先発の一角を担い、準決勝のアメリカ戦からは抑えで登板。決勝の韓国戦では最後のバッターを大きく流れ落ちるスライダーで三振に打ちとり、胴上げ投手にもなった。

 かたやキム・グァンヒョンは、1次ラウンド2戦目の日本戦で先発マウンドに上がるが、まさかの2回途中8失点で降板。チームも2対14と7回コールド負けを喫し、韓国にとっては球史に残る惨敗となった。韓国は決勝まで勝ち進んだが、その試合以降、キム・グァンヒョンは先発することなく、中継ぎにまわった。

 歓喜と屈辱──あれから14年が経ち、ダルビッシュは36歳、キム・グァンヒョンは34歳になった。

 その間、ダルビッシュは日本ハム時代に2011年に18勝(6敗)を置き土産にメジャーへと渡り、テキサス・レンジャーズを皮切りに、ロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブス、サンディエゴ・パドレスでプレー。メジャーでも着実に進化を遂げていった。

 2015年には右ヒジを痛め、トミー・ジョン手術を余儀なくされるが、その後復活し、昨シーズンはナ・リーグ3位タイとなる16勝をマーク。オフにはパドレスと新たに6年総額1億800万ドル(約141億円)の契約をかわすなど、衰えを見せない。

 キム・グァンヒョンは韓国リーグの2010年に17勝で最多勝に輝くが、左肩を痛めてしまう。その後、2年間は騙し騙しの登板が続いていたが、一向に回復せず、治療のため来日。横浜の専門医ほか各地を回るなど、孤独な時間を過ごしたこともあった。

 その甲斐あって、2013年には10勝を挙げ復活。それからも2ケタ勝利を続け、2019年には17勝をマークして、翌年、セントルイス・カージナルスに入団してメジャー移籍の夢を叶えた。

 だが2020年はおもに中継ぎとして3勝、21年には7勝を挙げるもオフにFAとなり帰国を決意。古巣のSKワイバーンズ(現・SSGランダース)に復帰した。

 このふたりにはほかにも重なる部分がある。力でねじ伏せるピッチングから、変化球を丁寧に投げ分けるスタイルへの転身だ。

 ダルビッシュについて印象的な光景がある。今年2月、侍ジャパンの強化合宿でのブルペン。自身の機器を持ち込み、ピッチング時にボールの回転数や変化球の曲がり具合を1球1球確認していたことだ。感覚と数値をいかに一致させることができるか。イメージどおりの回転、曲がり幅を求めて投げていた。

 その根を詰めたピッチングは、彼がいかにしてメジャーの世界で生き抜いてきたか、わずかではあるがその一端を垣間見た気がした。

【不完全燃焼の日韓戦】

 WBC韓国戦の2回、ダルビッシュは4番のパク・ビョンホを134キロのスライダーで空振り三振、つづくキム・ヒョンスは一塁ゴロ、パク・コンウもライトフライとテンポよく終えた。球数も少なく、スライダーのキレもいい。不安はないように思えたが......。

 ところが3回、先頭のカン・ベクホに二塁打を許すと、8番のヤン・ウィジには135キロのスライダーをレフトスタンドに運ばれた。その後、味方の失策からさらに1点を許し、この回3失点。ここまで球数は48球。1次ラウンドの球数制限である65球までまだ余裕はあったが、栗山英樹監督は4回のマウンドにダルビッシュを送ることはなかった。

「今年初めての試合だったんですけど、球速もそこそこ出ていましたし、最初の試合にしてはよかった。ただ、3回に点をとられたところは、スライダーが甘く入ったところを打たれた」

 キム・グァンヒョンも、初回に続き2回も岡本和真、牧秀悟を連続三振に打ちとるなど、完璧なピッチングを披露。シーズンでも見ないほどの好調ぶりは、一方で飛ばしすぎのようにも感じられた。

 案の定、3回に源田壮亮、中村悠平を連続四球で出塁させると、1番のヌートバーにセンター前タイムリー。そして2番の近藤に二塁打を打たれたところで交代となった。球数は59球だった。

 その後、韓国は矢継ぎ早に投手をつぎ込むも、日本打線を止めることはできず、14年前の試合を彷彿とせる4対13の大敗となった。

 ダルビッシュにとってはぶっつけ本番での登板。打者との感覚はまだつかめていない印象を受けた。キム・グァンヒョンにいたっては、大会前、韓国のイ・ガンチョル監督から「大事な場面での起用」と、先発ではなくリリーフでの登板を示唆されていた。ところが初戦のオーストラリア戦に敗れ、急遽、日本戦での先発指令が下った。

 ともにベストとは言えない状態での重要な先発登板は、もどかしさの残る結果となった。

「日本で投げることが十何年ぶりなので、特別に感じていました。生まれ育った場所で、こういう機会は最後かもしれないと思って投げていました」

 試合後、ダルビッシュはこう述べた。そしてキム・グァンヒョンは韓国取材陣の前で立ち止まることなく、バスへと向かった。

 ふたりの実力からすれば、不完全燃焼に終わった日韓戦。それでもまだ登板の機会はあるはずだ。次にどんなピッチングを見せてくれるのか、ふたりから目が離せない。

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