尾花高夫は斉藤和巳のピッチングを見て「コイツをエースにできなかったら指導者失格」と惚れ込んだ

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2024年03月07日 17:21  webスポルティーバ

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尾花高夫インタビュー(中編)

前編:「名将の懐刀」尾花高夫が語るそれぞれの流儀はこちら>>

 尾花高夫氏は投手コーチとして、チームの勝利はもちろん、これまで30人を超す投手のタイトル奪取に貢献してきた。投手を育てる際、重要視していたことは何なのか。また、これまで育ててきたなかで、印象深い投手5人を挙げてもらった。

【一流投手になるための3条件】

── 投手タイトルを獲得するような投手を育て上げるにあたり、必要な「条件」は何になりますか。

尾花 条件としては、「武器(球種)を持つこと」「クイックで投げられること」「守備が平均点以上であること」の3つです。武器とは、ストレートを含めた絶対的な球種のことです。それがひとつよりふたつ、3つと増えていくにつれ、勝つ確率は高まっていきます。わかりやすい例を挙げれば、山本由伸(オリックス→ドジャース)はすべての球種がカウント球にもウイニングショットにも使えます。そして大事なことは、武器をどう使うか。相手打者の攻略法について、ワンポイントアドバイスを施すのです。

── 相手打者の分析は尾花さんがするのですか?

尾花 新しいチームに移籍した時は、前年度のチャートを見て分析します。分析は何時間かかっても、選手の頭に入りやすいようにミーティングで話すのは1分です(笑)。たとえば近鉄や中日などで活躍した中村紀洋は、年間で外角の球を打ったのはほとんどありませんでした。だから「初球はストレートでもいいから、安心して外角に投げなさい」とアドバイスします。ほかにも、野村克也監督がよく言っていた打球方向なら、「2ストライク前と、2ストライク後で変わるかどうか」「2打席目以降で変わるかどうか」というところも注視していました。よく調べれば、絶対に安全な"場所(ゾーン)"があるものです。

── 尾花さんが育成した投手のなかで、印象に残っている5人を挙げていただきたいのですが、まずはどの投手ですか。

尾花 斉藤和巳(ダイエー、ソフトバンク)ですね。95年のドラフト1位投手ですが、右肩を手術して、プロ入り後はほぼファームでした。99年にリーグ優勝したあと一軍に昇格させ、1イニングを投げて2失点ながら3奪三振。その時に「コイツをエースにできなかったら、自分は指導者失格」と思うほど能力の高さを感じました。

 以後、斉藤に「エースの教育」を施しました。本人は嫌がっていたみたいですが(笑)。「エースとは負けないことだ」「エースはチームの鑑(かがみ)でなければならない」など、考え方や立ち居振る舞いを教えました。のちに斉藤は、圧倒的な成績を残し「負けない男」と呼ばれるようになりました。

── 2003年20勝3敗、2005年16勝1敗、2006年18勝5敗など、驚異的な勝率を誇りました。

尾花 192センチの長身から投げ下ろすストレート、フォーク、カーブ、スライダーという武器を持っていました。先述したように、ワンポイントアドバイスを斉藤本人や捕手の城島健司に伝えました。そして斉藤には"度胸"があった。強いハートを持っているのも、好投手の条件です。

【テスト生の投手を新人王に】

── 2番目は誰を挙げますか。

尾花 山口鉄也(巨人)です。私が巨人のコーチに就任した直後の2006年秋、左のリリーフ投手育成が最重要課題でした。候補は5、6人いましたが、目を引いたのは山口の"心がけ"でした。ブルペンにロジンバックがないと、山口が用意している。そうした細やかな性格は、投球にも役立ちます。当時は育成選手で最速138キロ。上体が前に突っ込むクセを修正すれば、球速が5キロアップする確信があったので、清武英利球団代表にお願いして、支配下登録にしてもらいました。

── 印象に残っているシーンはありますか。

尾花 2007年5月9日の阪神戦でのリリーフの場面です。原辰徳監督に「ここで山口を投げさせるのですか?」と聞かれたのですが、「僅差でもメンタルを見ておきたいのでお願いします」と。結果は1回無失点。直後の攻撃で二岡智宏が藤川球児から逆転本塁打を放って、山口は育成出身投手初の勝利投手になったのです。投手にとって"勝ち星"は重要です。これで自信をつけた山口は、2008年に11勝23ホールドで新人王。メンタルが弱いと言われていて、登板する時も「こんな場面、絶対無理です!」と言いながら、開き直って抑えてしまう。それが山口の強みでした。

── 育成出身ながら、推定年俸は3億円を超えました。

尾花 9年連続60試合登板を果たすなど、チームにとって欠くことのできない投手でした。育ってくれてうれしいですね。

── 3人目は誰でしょうか。

尾花 三瀬幸司(ダイエー、ソフトバンク、中日)です。2003年秋、本人は「所属していたNTT西日本中国野球クラブの休部を機に草野球でもやろう」と、思い出づくりのために入団テストを受けたそうなんです。彼のピッチングを見て「ストレートとスライダーだけ? シュートは投げられないの?」と「投げたことはない」と。「こう握って投げてごらん」と教えると、鋭く曲がったんです。

 そのボールを見て「王監督、合格ですよ」と伝えると、「え? 27歳だろう」と。「左投手でいいシュートを投げられますので、必ず戦力になります」と言って、合格になりました。当時は育成制度がなかったので、ドラフト7巡目指名となりました。最初はワンポイントリリーフの予定でしたが、抑えにしたらハマりました。1年目の2004年は55試合に登板して4勝28セーブで、最優秀救援投手のタイトル獲得し、新人王にも選ばれました。

── スライダーとシンカーのコンビネーションがよかったのですね。

尾花 左投手のスライダーは、左打者にレフト方向にうまく打たれることがありますので、シュート系の球がないと厳しいですね。当時ロッテのイ・スンヨプが三瀬をとても苦手にしていました。年間でも、左打者にヒットを許したのは西武の小関竜也だけじゃないですかね。

【左投手は再生できる】

── 次の投手は誰になりますか。

尾花 篠原貴行(ダイエー、ソフトバンク、横浜)です。彼には緩急が使えるようにカーブを覚えさせようとしましたが、スライダーとカーブの中間球"スラーブ"を習得しました。篠原で思い出すのは、99年のダイエー優勝の年、中継ぎで14連勝をマークし、松坂大輔(当時・西武)と最多勝争いを繰り広げていました。

 そんな折、ダイエーでも活躍した山本和範(当時・近鉄)の引退試合があり、本人が代打で登場したのです。はなむけに「好投手を」と思い、篠原を登板させたら3ボールにしてしまい、ダグアウトの私を見てきました。「相手は現役最後の打席なのだから勝負しなさい」と合図を送ったら、あろうことかど真ん中に置きにいって、決勝のホームランを打たれたのです。これで最多勝のタイトルも、勝率10割の快記録も水泡に帰しました。それでも最高勝率のタイトルを獲得したのは、とても印象深いです。

── 最後の5番目の投手は誰ですか。

尾花 渡辺正和(ダイエー、ソフトバンク)です。ダイエーのフロントから「渡辺は99年限りで戦力外」の連絡がきました。でも私は彼のピッチングを見ていなかったので、「ちょっと待っていただけませんか」とお願いしました。それで二軍の試合を視察すると、シュートが得意な左投手なのに、その球を見せ球にして、あまり得意でないスライダーばかり投げさせていました。配球を変えればまだまだ使えると思い、「もう1年だけ残していただけませんか」と頼み込みました。

 渡辺本人には「シュートは全部ストライクゾーンに投げなさい。一度クビを宣告されたから身だから、怖いものはないだろう」とアドバイスし、とにかく投げさせました。2000年から4年間で、じつに211試合に登板しました。現在は福岡大で教壇に立ち、「スポーツ科学」を教えているそうです。プロ野球の経験を生かして、頑張ってほしいですね。

後編につづく>>


尾花高夫(おばな・たかお)/1957年8月7日、和歌山県生まれ。PL学園から新日鉄堺を経て、77年のドラフトでヤクルトから4位指名を受け入団。83年に11勝をマークすると、84年は自己最多の14勝を挙げた。後年は半月板損傷などケガに悩まされ、91年に現役を引退。引退後は投手コーチ、監督としてさまざまな球団を渡り歩き、多くの一流投手を育てた。23年2月から鹿島学園高(茨城)のコーチとして指導を行なっている。

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