近江佑璃夏、フルタイムで働く日本女子フラッグフットボールの第一人者 競技の魅力は「戦略があれば男子チームにも勝てる」

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2024年03月17日 14:11  webスポルティーバ

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近江佑璃夏インタビュー(前編)

 2023年10月。2028年ロサンゼルス五輪の追加種目として5競技が承認されたことが発表された。そのなかのひとつがアメリカンフットボールから派生して誕生したフラッグフットボールだ。

 インドのムンバイで開催された国際オリンピック委員会(IOC)の総会をライブ中継で見守った(フラッグフットボール代表チームを管轄する)日本アメリカンフットボール協会の関係者や男女代表選手らは、発表の瞬間、歓喜の声をあげた。その輪の中に女子日本代表の近江佑璃夏がいた。

 近江はアメフト一家に生まれ育ち、現在は会社員としてフルタイムで働きながら女子チーム「Blue Roses(ブルーローゼス)」の代表を務めるなど第一人者として活躍している。今回は彼女自身の経歴、フラッグフットボールの魅力、そしてオリンピック決定の喜びなどを聞いた。

【フラッグフットボールとは?】

 非接触型のアメリカンフットボール(アメフト)と言われ、第2次世界大戦中に米軍で生まれたとされている。アメフトで相手を止めるために行なうタックルの代わりに、選手が腰につけたフラッグを取ることで相手の攻撃を止める。国際ルールでは1チーム5人で対戦し、試合時間は40分(前後半20分)。70×25ヤード(約64m×22.8m)のピッチで行なわれ、両サイドにある幅10ヤード(9.1m)のエンドゾーンにボールを運ぶとタッチダウン(6点)となる。4回の攻撃権が終わると攻守が入れ替わるのはアメフトと同じ。日本には1990年代後半から本格的に伝わり始め、現在は世界100カ国以上で約2000万人がプレーしているとされている。2022年のワールドゲームズ(米アラバマ州バーミンガム開催)で初採用され、日本女子は8チーム中5位だった。

【競技も、仕事も、全力で打ち込める環境】

――近江選手は、フルタイムの会社員として働きながらフラッグフットボールの競技に取り組んでいるとのことですが、活動の内容を教えていただけますか?

「一般企業でコンサルタント営業として週5日働いていて、フラッグの競技のほうでは2022年の9月に『ブルーローゼス』という自分のチームを立ち上げ、毎週土日に六郷(東京都大田区)にある多摩川の河川敷で練習をしています。平日も、仕事の後にトレーニングをしています。

 日本代表は毎回、大会ごとにトライアウトなどの選考期間があり、選抜されると大会へ向けた代表活動に参加します。今年の1月から3月は、8月にフィンランドである世界大会へ向けての選考期間で、活動は4月から始まります」

――SNSを拝見していると、お仕事のほうも相当忙しいのがわかります。

「営業なので、緊急対応などがある時は、遅い時間まで働くこともありますが、毎日そういうわけではありません。忙しい時には週5でそういう日が続くこともありますが、最近は上長とも相談しながら予算を達成できるように仕事を効率化して、今は頑張ってできるだけ定時に上がるようにしています」

――就職したのは2年ほど前ですが、仕事選びをする際にはフラッグフットボールの活動がしやすい会社を選んだ感じなのですか?

「フラッグを念頭に会社を選んだということはないのですが、ただ、東京には行きたいと思っていました。代表の活動拠点が基本、東京エリアなので、やっぱり地元の関西で就職して土日だけこっちに来て帰って仕事、というのはきついと思っていたので、関東で働ける会社を選びました」

――仕事とフラッグフットボールの両立は大変でしょうが、充実していますか?

「そうですね。(会社に)入って1年目の7月にワールドゲームズ(2022年、米アラバマ州・バーミンガム開催)があった時には、部長はじめ快く送り出していただきました。

 昨年のアジア・オセアニア選手権(マレーシア・クアラルンプール)の時も同じような雰囲気で理解していただいたので、仕事とフラッグと両立しやすい環境をいただいているとすごく感じています」

【自由なフットボール一家でフラッグに親しむ】

――ご家族が皆アメフト、フラッグをプレーされていたとのことで、いわゆるフットボール一家ご出身ですけど、近江さんご自身のスポーツ歴はどういったものでしょうか?

「私が小学校の頃は結構いろいろ習いごともさせてもらって、水泳、器械体操、ダンス、トランポリンとかいろいろやっていたんですけど、中高で部活はバスケットボール部に6年間いました。

 大学は応援団チアリーディング部に2年間入って、カナダのバンクーバーの大学に留学してその間はサークルみたいなところに入りました。そして帰ってきてからはずっと、フラッグフットボールです」

――フラッグフットボールとの出会いはいつだったのでしょうか?

「両親がプレーしていて、私が3、4歳ぐらいになると週末は両親が土日に練習に行くので、一緒についていってサイドライン側で他の子供たちと遊ぶっていうような感じでした」

――お父さまは元々、アメフトの実業団の選手だったんですよね。

「阪急ブルーインズというチームでプレーをしていて、ポジションはディフェンシブバックでした」

――お父さまとお母さまが昨年フラッグフットボールをプレーされているのを動画で拝見しました。

「エキスポフラッシュフィールド(大阪府吹田市)で行なわれたハドルボウルですね。両親ともまだ大阪ハドルズというチームでやっています」

――近江選手がフラッグフットボールを本格的に始めたのはいつだったのですか?

「本格的に活動をし始めたのは大学3年生の時からです。試合に初めて出たのは小学校6年生の時で母と一緒に全国大会に出て、優勝しました。それ以降も、ところどころでフラッグが私の人生にあるなと感じていて、中学の時には週6でバスケをしていたのですが、休みの時や週末オフの日などには母と父のフラッグの練習に行ったりしていました。

 中高一貫校に通っていて受験がなかったので、中学3年生の時には夏でバスケを引退した後、バスケ部とバドミントン部の子たちに声をかけてフラッグの大会に出て、日本一にもなりました。高校でもちょくちょく試合には出ていましたし、フラッグはところどころでやっていました」

――お父さんやお兄さんがアメリカンフットボールの選手で、近江さんご自身もやってみたいという気持ちはなかったのですか?

「なかったですね。そもそも私がバスケットボール部を選んだのは日焼けをしたくないっていう理由で、アメフトをやると首が太くなってしまうという結構、女子の部分があって(笑)」

――家族からは「アメフトをやってほしい」というプレッシャーはなかったのですか?

「自由にさせてくれましたが、父からは『(フラッグフットボールの)代表、受けてみたら』とは言われました。それで受けたという流れがあったので、それがなかったら代表に手を上げていなかったかなと思います」

――お兄さんもレシーバーとして日本のトップクラスでプレーしていますが、フラッグフットボールでの助言を求めることはありますか?

「たまに私が自分のプレー動画を送ってフィードバックをもらったりはします。ワイドレシーバーのスキルのことだと教えてもらえるんですけど、フラッグのスキルとなると兄はほとんどやっていないので、そこは『フラッグの男子代表の選手に聞きな』って言われます(笑)。

 年末に実家に帰った時などは一緒に公園へ練習をしにいったり、エキスポフィールドでも1回練習をして、ワイドレシーバーのルートを教えてもらったりはしました」

【戦略があれば男女問わず勝負できる】

――フラッグフットボールはアメリカンフットボールから派生してできた競技なので当然、似ているところはたくさんありますが、違うところもあるかと思います。近江さんから見てフラッグフットボールの魅力はどういったところにあると考えていますか?

「戦略を立ててプレーを考えながら体を動かすところです。ここはアメフトと一緒だとは思いますが、ほかのスポーツにはなかなかないので、そこが一番の魅力です。

 また、老若男女を問わず一緒にプレーができるところです。私も母と試合に出たことがありますし、今もブルーローゼスの練習試合は男性チームを相手にすることもあって、勝つこともあります。戦略があれば男女を問わずに勝負できるスポーツというのはなかなかないと思うので、大きな魅力だなと思っています」

――アメフトにしてもフラッグフットボールにしても「ルールが複雑そうだ」と敬遠されているところがありますよね。

「そうですね。確かにルールは難しそうだと、めっちゃ、言われます。でもルールは、野球などよりも簡単と、私は思っています。前に進むだけですし、馴染みがないだけでちょっと知ったら多分、すぐに理解できるのではないでしょうか」

――近江さんは世界一のワイドレシーバーになりたいとおっしゃっています。となれば、海外リーグへの挑戦なども考えていますか?

「はい。今年、アメリカでトライアウトがあると思うのでチャレンジしてみたいなと思っています。そこで生き残れなかったとしても、まだまだだなということがわかりますし、アメリカで活動していきたいです」

――ご自身のレシーバーとしての長所はどこにあると考えていますか?

「一番はキャッチ力と思っています。チアリーディングをやっていたことや今、ピラティスをやっていることもあって結構、柔軟性や(肩甲骨や肩の)可動域の広さには自信があるので、ロングボールとか逆リードのボール(進行方向の逆に飛んでくるパス)など、キャッチの範囲は広いかなと思っています」

――アメリカでトライアウトを受けるということは、十分通用する実力があるとご自身で感じているからですか?

「いえ、今はまだありません。やっぱり向こうの選手たちはスピードが速いですし、ここから基礎能力を上げていかないといけないなと思っています。ただブレーク(走る方向を急に変えること)やフェイク、そうした技術を使っての1対1の駆け引きなどでは戦えるかなと思っています」

――近江選手はバスケットボールをプレーしていたとのことですが、その経験はフラッグフットボールにも生きていると感じますか?

「ワイドレシーバーとして、ボールをキャッチすることやカットを踏む動きに生きていると感じます。バスケでもフェイクを使ってカットを踏んでいたので、動きとしては全身を使うスポーツという意味で似ていると思っています」

――練習や試合をする場所の日本における環境はいかがですか?

「まだまだ代表の練習でも河川敷でやったりしているのですが、大学のグラウンドを借りられたり、人工芝のグラウンドで練習できる機会は少しずつ増えてきています。とはいえ毎回できるわけではありません。フラッグフットボール専用の施設というものがないので、そこは今後も課題になってくると思います」

――近江選手が作ったブルーローゼスは運営等を近江さんが一手に引き受けているのですか?

「コーチは男子代表の方に来ていただいているのですが、運営のほうは所属選手が12人とそんなに大きなチームではないので、練習や練習試合を組んだりとかは自分がやっています」

後編「日本代表の江佑璃夏が描くフラッグフットボールの未来」に続く

【Profile】近江佑璃夏(おうみ・ゆりか)/1999年、大阪府大阪市生まれ。元社会人チームでプレーした父や、社会人Xリーグ・IBMビッグブルーに所属するプロ選手の兄・近江克仁を持つ「アメリカンフットボール一家」に育ち、さまざまなスポーツを経験しながら立命館大学では応援団チアリーディング部に所属していたが、カナダ留学中に本格的にフラッグフットボールを開始。現在、自身が代表を務めるチーム「Blue Roses(ブルーローゼス)」や日本代表で活動。2023年のアジア・オセアニア選手権に出場し優勝メンバーとなった。一般企業の営業職社員としてフルタイムで勤務に当たっている。

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