「一か八かの賭けに出るしかない」別海高校は甲子園出場を勝ちとるためにチーム一の問題児をキャプテンに任命した

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2024年03月18日 17:40  webスポルティーバ

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別海高校〜甲子園初出場までの軌跡(3)

 別海高校では伝統的に、引退する3年生と監督が話し合って次期キャプテンを決めている。

 今年の代に関しては、本当ならば議論の余地はなく、小学、中学でキャプテンを務めていたようにリーダーシップのある寺沢佑翔が、満場一致で選出されるはずだった。

【一か八かの賭けでキャプテンに任命】

「でもさ......」

 4人の3年生がチームの将来を案じるように、「もう一案」を切り出す。

「普通に考えたらテラ(寺沢)だけど、中道がしっかりしてくれないとこのチームは強くならないと思うんだよ」

 じつはそれは、監督の島影隆啓もひそかに思っていた人選だった。

「僕も寺沢で落ち着くと思ったんですけど、3年生も見抜いていたんですね。中道って本当は、誰がどう見てもキャプテンを任せられるような人間じゃなかったんです。むしろ、一番させちゃダメなタイプだったんですね。でも、1年生からチームの中心でやってきた選手だし、甲子園を勝ちとるためには中道が変わらないとダメだ。一か八かの賭けに出るしかない、と。中道を育てる意味で、最終的にキャプテンに指名しました」

 中道航太郎は、ちょっとした問題児だった。とはいっても、校内を荒らすような不良的行為ではなく、唐突に廊下で大声を出して歌うような、元来のお調子者気質が度を越してしまう行動が目立っていたのである。

 そんな中道を冷ややかな目で見る者も少なくなかった。寺沢もそのひとりだった。

「正直、1年の時の中道は苦手でしたね。先生たちに目をつけられるくらいのお騒がせタイプだったし、『ちゃんとやれよな』って心のなかでは思っていたんで」

 軽さと明るさは紙一重だ。中道には学校内で周囲を困らせる「軽さ」こそあるものの、いつでも人の輪の中心で場を照らす「明るさ」も持つムードメーカーでもあった。ひとたびユニフォームを着てグラウンドに立てば、つらい練習のさなかであっても声を張り、仲間たちを鼓舞する彼がいる。

 なにより中道は、キャッチャーなのだ。根幹には相手と向き合える度量がある。トレーナーの渡辺靖徳が中道の内面をこう見抜く。

「中道は"寄り添い型"の気質なんです。偉そうにしないんですね。バッテリーの関係性で言うなら、堺(暖貴)と『どうすればいいか?』と根気強く考えて、何度もディスカッションしていく。そうやってピッチャーのいいところを引き出してくれるんです」

 渡辺の言葉からも推察できるように、中道と堺は最初から相性がよかったわけではない。

 中道が要求したボールに渋々頷いた堺が投げ、打たれる。入学してからの1年間は、試合でそんなシーンが珍しくなかった。

「あのボールはちげぇだろ」

「俺だって考えてリードしてんだよ」

 険悪なムードになることはあっても、ふたりの間に亀裂が生じることはなかった。それは、中道が常に一歩下がって堺の言葉に耳を傾けていたからである。

 中道が当時を振り返る。

「『リードをこうしよう』というより、自分の考え方が変わっていったんですね。自分が投げさせたい球ではなくて、ピッチャーが投げたい球に気づけるために、コミュニケーションを大事にしようと思うようになりました」

 打たれて、話して、ケンカして......この繰り返しが、互いの信頼関係を深めた。堺が言う。

「『合わないな』と思っても、ちゃんと話し合ってきたから、だんだん意思疎通ができるようになったというか。自分たちの新チームになる頃には、中道が要求してくれる球と自分が投げたい球が一致するようになりましたし、今は呼吸が合っていると思います」

 グラウンドで打ち出す明るさと責任感。それこそが、監督の島影が中道をキャプテンにすることで一層、求めたかったことだった。

「チームで最も場を盛り上げて、時にバカにもなれるムードメーカーですからね。その中道をキャプテンにすることで、学校内での悪い面を出せないくらいの責任感を植えつけようという狙いもありました」

【波乱の新体制スタート】

 中道が2年だった昨年の夏、別海は釧根支部の代表決定戦で敗れた。監督は4番としてことごとくチャンスで凡退した中道に対し、あえて「おまえのせいで敗けたんだぞ」と厳しく突き放し、責任感を植えつけた。

 そんな様子を間近で見ていた寺沢は、「自分がキャプテンじゃなかったら、中道になってほしい」と、かつて苦手だった相手にリーダーを託すようになっていった。

「2年の夏あたりにはもう、だいぶ変わっていましたから。相変わらずお騒がせな面はあったんですけど(笑)、いつも中心にいるのは彼だったんで。自分たちの代になったら、チームのキーマンになるんじゃないかって」

 キャプテンが正式にチームに通達された直後、中道と副キャプテンとなる寺沢、マネージャーの中岡真緒、そして監督が意志を確かめ合い、本格的に新体制がスタートを切った。

 主軸として機能できず、3年生の夏を早々と終わらせてしまったことへの悔過(けか)。なにより、周囲の期待を込められたうえでのキャプテン任命に、中道の背筋が伸びる。

「自分がやるとは思っていなかったんですけど、キャプテンに選ばれたからには『やるしかない』って気持ちになりました」

 自立した4人の3年生に、ただついていくだけだった10人の2年生が中心となった新チームのスタートは順調ではなかった。

 野球部の連絡事項を伝える、1日の練習メニューを共有するといった、それまでの当たり前が滞るようになる。フリーバッティングの練習では、マシンの変化球を誰も設定できないなど、細かいところで支障をきたす。そんなシーンが目立つようになった。

 前キャプテンだった千田晃世の弟で、下級生時代からセカンドのレギュラーとしてチームを支えてきた涼太が、当時の苦悩を語る。

「兄の晃世とか3年生がしっかりしていたんで、自分たちは先輩に任せっきりだったというか。それが、新チームになって『誰かがやってくれるだろう』と甘えになって出てしまって。新チームになった最初のほうは、なかなかいい状況にならなかったですね」

 不安定な立ち上がりとなった新チームにおいて、精神的支柱となったのがキャプテンの中道と、彼を支える副キャプテンの寺沢だった。

 ミーティングで「一から練習の取り組みを変えていこう」と訴える。ムードメーカーの中道に軽さが見えれば、キャプテンシーが備わっている寺沢が引き締める。そうやって、エースであろうが4番バッターであろうが、皆と同じように道具運びをするといったように、やるべきことを共有できるようになった。

 元問題児のキャッチャー。プロ野球の名将として知られる野村克也の言葉を借りれば、中道は態度が変わり、行動が変わった。

「秋は全道でベスト4。夏は北北海道で優勝」

 キャプテンを中心に明確な目標を掲げた別海は、運命を変えようとしていた。

つづく>>

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