5人制でも「山本麻衣」から「マイ・ヤマモト」へ......女子バスケ、パリ五輪出場の立役者が目指すさらなる高み

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2024年03月19日 11:01  webスポルティーバ

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山本麻衣インタビュー(後編)

前編「パリ五輪女子バスケ世界最終予選MVP・山本麻衣が振り返る、あのプレー」はコチラ

 ハンガリーで行なわれた女子バスケットボールのオリンピック世界最終予選(以下、OQT)。1位で大会を終え、MVPにも選ばれた山本麻衣の身長は163cm。けっして大きくない。むしろ世界の舞台に立てば、小さいほうから数えたほうが早い。しかも24歳。大きいほうが有利と言われるバスケットで、しかも経験の有無も差になると言われるバスケットで、小さくて若い彼女が、なぜ、あそこまでの結果を残せるのか。日本の山本麻衣が世界の「マイ・ヤマモト」になるまでの軌跡を聞いた――。

【各世代日本一でも心残りが......】

――お父さん(健之さん)はバレーボールの元日本代表で、お母さん(貴美子さん)もバスケットボールの元実業団選手。お姉さんもバスケット選手ですし、弟さんは甲子園に出場した経験があります。いわゆるスポーツ一家に生まれて、バスケットボールを始めたのは、いつからですか?

「小学校1年生からです。最初はバレーボール教室に行ったんですけど、『じゃあ、次はバスケットをやってみる』と言い始めて、バスケットを始めました」

――それが中学校は愛知県の学校に進みますね。どういう経緯だったのしょうか?

「2つ上の姉が中学に上がるとき、『強豪校でバスケットがしたい』と言って、家族みんなで愛知県に移り住むことになったんです。その1年前くらいかな、家族で、結果として私も入学することになる津島市立藤浪中学校に見学に行ったんですけど、その時にミニバスケットボール(小学生のバスケットボール)では全国的な強豪チームである昭和ミニバスケットボールクラブを紹介していただいて、昭和ミニバスから藤浪中へという流れですね」

――その後は高校バスケット界の名門、桜花学園にも進学します。小学生の頃からバスケットがうまくなりたい、あるいは強豪チームでプレーしたいという気持ちが芽生えてきていたのですか?

「実際に愛知県に引っ越すことになってからは、強豪チームでプレーすることの魅力も感じていたんですけど、昭和ミニバスの体験練習をさせてもらった時に、もちろん周りの子たちはうまいけど、どこかで"全部は負けてないな。自分でもできるな"と思っていました」

――そこから小、中、高、そしてWリーグを含めた各世代で日本一を経験しています。そう聞くと、山本選手はどこかエリート選手だと思われがちですが、それについてはどう感じますか?

「小学6年生の時を除いて、藤浪中でも、桜花学園高でも全国優勝を果たしたのが2年生の時で、自分の代では優勝していないんです。やはり自分の代で、自分の力で優勝させたいという気持ちは常に持っていました。結果として日本一にはなっていますし、主力メンバーには入っているけど、いつも、先輩たちがいてこその優勝だと......もちろん自分の代でもチームメイトがいなければ勝てないけど、当時は先輩たちに優勝させてもらったという思いのほうが強いです」

――トヨタ自動車に入社してからも、着実にステップアップして、3年前(2020-2021シーズン)と2年前(2021-2022シーズン)でWリーグを連覇しています。山本選手も中心選手だったと思いますが、そこは自分の力ではない?

「2回目の優勝のときは、そうした自負もありますが、1回目のときはまだですね」

【エリートの実績に隠れがちな苦労と我慢】

――つまりエリート街道を進んできたと思われがちだけど、そうではないと。

「はい。トヨタ自動車に入ったといっても、1年目から出られていたわけではありません。やっと主力として試合に出させてもらえるようになったのは、2度目の優勝を果たした3年目ぐらいからなので、それまでは苦しい時期でした。今でこそ日本代表にも呼んでいただき、トヨタ自動車でもスタメンで試合に出て、中心選手と呼ばれるようになってきました。多くの人は、結果が出たところしか見えていないと思うんですけど、トヨタ自動車に入った最初の2年間くらいは本当に苦しくて、試合にも出られないほうが多かったんです。そういう時代にじっと我慢して、きちんと準備をしてきたから、今の自分があると思っています。本当に苦しい時期だったけど、そういう時期があってよかったなと、今は思います」

――そういった苦しい時期に、トップレベルのスポーツを経験されたご両親からアドバイスをもらうことはありますか?

「その苦しい時期でもお母さんから『腐らずにやりなさい』とはよく言われていました。そんな1、2年目の選手がすぐに試合に出られるわけじゃないし、そこで必死にやると周囲から『ヤバいやつ』だと見られるかもしれないけど、とにかく腐らずに自分のやることをきちんとやること、そして謙虚にしなさい、とお母さんからよく言われます。私自身、腐ることはほとんどないですけど、それでも苦しい時期に我慢して頑張りなさいということは言われますね」

――そうした言葉を受けながら、苦しい時期を乗り越える時に何をしてきましたか?

「とにかく自主練習です。オフェンスでも、ディフェンスでも、自主練習を惜しまずに、毎日、自分がしなければいけないことを常にやっていました。やはり常に成長し続けることが大事だと思います。むしろ私は、自分にできないことを見つけるのが楽しいんです。負けず嫌いだから、できないことをできるように絶対したくなる。できないことをそのままにしておくのが嫌なので、その積み重ねという感じですかね。オフシーズンにはワークアウトのためにアメリカへ行くんですけど、本場のバスケットに触れると心を動かされます。本場のバスケットを見るのは違うなって。そうやってまた突き動かされて、もっとやらなければと思えるんです」

――自分の得意なところを伸ばす選手も多くいます。山本選手はそうではないんですね。

「私は自分にできないプレーがあると悔しいタイプです。確かに人それぞれ得意なプレーがあります。私のなかにも得意なプレーはあるけど、ほかの選手の得意なプレーがあったとして、私にそれがなければ、やりたくなっちゃう(笑)。人の得意なプレーも自分のものにしたくなる感じです」

――とにかくすべてできる選手になりたいと。

「そうですね。身長以外は(笑)」

――身長に関しては現実を受け入れながら、いかに究極の自分を目指していくか。

「そうです、この身長でも、シュート力もある、パスもできる、ゲームコントロールもできるっていう、オールマイティーなプレーヤーになりたいです」

【パリ五輪、そしてWNBA】

――今後のキャリアについては、ご自身ではどう考えていますか?

「やはり海外に......WNBAに挑戦したい気持ちはあります。チャンスがあれば、行きたいですし、そのチャンスをもらえるように、しっかり日本代表に選ばれて、国際大会で結果をしっかり残していきたいなと思っています」

――3x3のときにもありましたが、今回のOQTでも、それを終えたあたりから、SNSを中心に「マイ・ヤマモト」と言われるようになりました。そう呼ばれる感想は?

「結構うれしいですね。3x3の中では『マイ・ヤマモト〜』って言ってくれる人も結構いるんですけど、それが5人制でも言ってくれるようになって、素直にうれしく思います」

――山本選手にとって、アメリカも含めて世界の舞台は「挑戦する」という感覚よりも、「勝ちに行く」、あるいは相手が強豪国であっても「倒すべき相手」と、本心からそう思える感覚でプレーをされているのですか?

「そうですね、確かに世界の強豪国は強いし、うまいけど、自分たちにもできるところはあると思っています。5人制ではまだアメリカと対戦したことがなくて、たぶん本当に強くてうまいと思うんですけど、でもやってみないとわからないと思うところはあります」

――たとえアメリカでも、10回やったら1〜2回は勝てるんじゃないかと。

「そうですね、どこかしらで勝てる要素はあると思っています」

――もちろんアメリカ以外の国も強いし、オリンピックはワールドカップよりも参加国が絞られます(組分けは3月19日に発表予定)。

「どの組に入っても『死のグループ』になると思うのですが(笑)、そこも楽しみですね」

【Profile】山本麻衣(やまもと・まい)/1999年10月23日生まれ 広島県出身 愛知県に移り住み、昭和ミニバス、藤浪中学、桜花学園でそれぞれ日本一を経験。高校卒業後、トヨタ自動車アンテロープスへ入社。東京2020オリンピックは3x3女子日本代表として出場し、ベスト8。それ以降は5人制の日本代表に選出されるようになり、中心選手としてプレーしている。精度の高い3ポイントシュートと、海外選手にも当たり負けしないフィジカルの強さが持ち味。また、ここという場面で決めきる勝負強さも光る。オフの日は愛犬モナと遊ぶことが多い。

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