あれから20年。いま日本人が「ドーハの悲劇」を振り返る意味

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2024年03月23日 23:01  webスポルティーバ

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 カタールは一般的な国とは少し国情が違う。1993年10月。アメリカW杯アジア最終予選の期間中、外からやってきた報道関係者は、ドーハ市内の「ラマダホテル」に半ば強制的に滞在させられることになった。

 このときの最終予選は集中開催方式で行なわれ、期間はおよそ2週間。限られた空間で毎日を送っていたので、少なくとも日本人とは、ものの2、3日でほぼ全員と顔なじみになる。

 暇そうな相手を見つけては、朝昼晩、それこそ四六時中、至るところでサッカー談義に花を咲かせていた。みんな血気盛んだった。W杯本大会をここまで身近に感じた経験がなかったこともある。ウブだったので、談義はしばしば口論に発展した。W杯に「行ける。行けない」で、大いに盛り上がった。

 僕は火に油を注ぐ係として貢献した。「行けない」派であったことは言うまでもない。「他国より戦力で劣っている」と最初から言い張り、多くの人の反感を買った。

 参加6ヵ国中、日本より劣っていたのは北朝鮮1チーム。いま振り返ってもその意見に変わりはない。そこで日本は3位になった。最後のイラク戦に引き分け、日本の願いは潰えた。最後の最後で同点ゴールを浴びるまさかの敗戦ではあったが、順当といえば順当な結果だった。

 オフト元代表監督に話を聞いたのは、いまから8年前。12年経てば、当時を客観的に語ってくれるだろうと思ったからだ。会話を弾ませようと「運がなかったですね?」と水を向けると、老眼鏡の奥を光らせ、怒ったような表情でハッキリとこう断言した。

「運がなかった? いや違うね。いいかいキミ、想像してみてくれ。イラクにあれだけゲームを支配されていたんだぞ。ずっと危険だと思っていたし、チームも操縦不能な状態に陥っていた。私は最後の最後まで勝利を確信することができなかったよ。12年前、ドーハで起きた出来事は、きわめてノーマルな結果だといまでも思っているよ」

 とはいえ、劇的であったことも事実。さすがの僕も、同点ゴールを奪われた瞬間、絶句した。周囲に座る記者の中には、涙する者も少なくなかった。だが、ほどなくすると僕は我に返り、拍手を送りたくなっていた。

「世の中に、これ以上のエンターテインメントはあるだろうか」

 その現場に立ち会えた喜びがこみ上げてきた。映画を見て泣く人はいるけれど、スポーツを観戦して泣く人は多くない。事件が起きたのはロスタイム。最後の最後にとんでもない事故に見舞われたわけだ。天国から地獄、を地でいくシーンに遭遇できたことを、僕はラッキーに感じていた。後にドーハの悲劇として語られることになったこの事件は、紛れもないエンターテインメントだった。

 ヨハン・クライフへのインタビューが叶ったのは、その直後だった。そこで彼は名言を吐いた。

「勝つときは少々汚くても良いが、敗れるときは美しく」

 すぐさま連想したのは、ドーハの悲劇だった。気がつけば、日本の敗戦(イラク戦は引き分けだが)を重ね合わせていた。日本はその最終予選で、6チーム中3位になった。W杯本大会出場を惜しくも逃した恰好だった。5番手と踏んでいた当時の日本の実力を考えれば、3位は大健闘、大善戦に値する。本大会出場は逃したけれど賞賛に値した。最大級のエンタメ性を含んでいたことを考えれば、絶賛に値するといってもいい。

 それから20年。だが、日本サッカー界は、ドーハの悲劇以上の敗戦に遭遇できずにいる。ドーハの悲劇のような「美しい敗戦」。これがないと、弾みはつかないのだ。

 93年10月以降、日本サッカーは事実、思い切り盛り上がった。以後、ジョホールバルの勝利(97年11月16日、日本はマレーシア・ジョホールバルで行なわれたアジア第3代表決定戦でイランを3−2と下し、W杯初出場を決めた)にいたるまでの4年間は、日本サッカーにとって最良の時だった。

 メディアも元気だった。次こそは。記者、ライターが書く原稿にはその思いが込められていた。現在より数段、情熱的だった。フランスW杯の予選中の記者会見では、当時の加茂周監督に更迭を迫る厳しい質問も飛んだ。

 加茂監督はその結果、更迭の憂き目にあった。そして、バトンを引き継いだ岡田武史監督は、まさにドロドロの戦いを演じながら、W杯初出場を手にした。ジョホールバルの一戦は、言ってみればまさかの勝利。その一連の戦いは、決して美しいモノではなかった。

 クライフが言う「汚い勝利」になる。「勝つときは少々汚くても良いが、敗れるときは美しく」。ドーハの悲劇とジョホールバルの勝利は、クライフの言い回し通りの、まさに「対」の関係にあった。ドーハの悲劇がジョホールバルの勝利を陰で演出していた。

 美しい敗戦と、汚い勝利を立て続けに味わうことができたこの4年間に、サッカーの魅力は凝縮されている。僕はそう思う。結果至上主義、勝利至上主義に陥る現在の日本サッカー界に、つけるべき薬だとも思う。ジョホールバルのような勝利が欲しいのなら、ドーハで味わったような悲劇を体験すべきである。つまらない相手に勝利を重ねてもエンターテインメント性は上がらない。サッカーの魅力は伝わらない。日本にいま必要なのは、むしろ絶句するほど劇的な敗戦だ。ドーハの悲劇から学ぶべき教訓だと確信する。

 日本代表は、ブラジルでもスペインでもドイツでもアルゼンチンでもない。W杯本大会の、どこかで必ず敗れるチームだ。そこでどんな敗れ方をするか。前回W杯のパラグアイ戦のような敗れ方ではダメだ。

「W杯は敗れ方を競うコンテスト」とは、日本人である僕の持論だが、ドーハの悲劇はその大きなヒントになっている。日本のレベルが上がったいま、敗れる舞台はW杯本大会だ。そこでどう劇的に敗れるか。劇的であればあるほど、美しければ美しいほど、次への起爆剤になる。

 ドーハの悲劇をもう一度。あえて僕はそう言いたい。

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