土居美咲が能登の被災地で考えた「アスリートとしてできること」 現役引退後、小型重機の免許を取得

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2024年03月28日 10:30  webスポルティーバ

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 2月下旬──。

 元テニスプレーヤーの土居美咲さんは、1月1日に日本海沿岸を襲った大地震の被災地・能登半島にいた。

 17歳でプロ転向した土居さんは、WTAツアー優勝や世界ランク30位などの戦果を上げた15年のプロキャリアに昨年10月、幕を引いたばかり。第二のキャリアを模索中でもあった彼女は、なぜ被災地に足を運び、そこで何を見て、何を思ったのか? 本人に寄稿してもらった。

   ※   ※   ※   ※   ※

 現役を引退すると決めた時、私は引退後の生活を思い描けてはいませんでした。

 何よりも大事にしていたのは、最後の試合に全力を注ぐこと。最後の試合で最高のパフォーマンスをファンのみなさんに観て頂くこと。セカンドキャリアは引退後に考えればいいや、と思っていました。

 しかし、そんななかでも、いろいろなことをやってみたい、経験してみたいという欲はありました。好奇心旺盛な性格なんだと思います。プロテニスプレーヤーとして戦い抜いてきた誇りもある一方で、テニス以外のことを何も知らないという劣等感もありました。

 引退して間もなく、他競技の友人経由でHEROs AWARDのパーティに招待していただきました。HEROsとは、アスリートが中心となって社会貢献活動をする取り組みです。自分の知らない世界を見てみたいと思い、思いきって参加しました。

 そのなかの活動の一環としてあったのが、小型重機免許の取得。小型重機を扱えることにより、災害があった時に少しでも役立つかもしれないとの思いから、重機講習会への参加を決めました。結果として能登半島地震が起きてから小型重機の免許取得に至りましたが、実は地震発生前から動いていたプランでした。

 テニス選手に、年末年始の休みはありません。なぜなら1月に開催される全豪オープンのため、年末から選手は遠征に出発するからです。

 昨年引退した私にとっては、約15年ぶりに実家でゆっくり過ごす正月。そんな時に入ってきたのが、能登半島地震のニュースでした。

【金沢から毎日片道3〜4時間かけて能登半島へ】

 初めはどのくらいの規模の被害なのかも定かではないなか、徐々に状況が明らかになってきます。ある意味、日本にいたからこそ、ダイレクトに知る出来事だったのかもしれません。

 被災地から、HEROsに「子どもたちと一緒にスポーツ交流や座談会をしてほしいという」リクエストが届いたのは、2月上旬のことです。

 これまでは災害が起こった時に、大変な現状をニュースなどで見聞きしても、「どのように支援すればいいのだろう」と、わからない部分がたくさんありました。チャリティや寄付は思いつくものの、このように現地に入るまでには至らなかったことも多くありました。今回、引退のタイミングで時間にも余裕ができたことで、HEROsの取り組みでアスリートとして災害支援ができるという点に、大きな意義を感じました。

 HEROsによる現地支援活動が先行して行なわれていたなか、私が能登半島に入ったのは2月27日でした。私たちの拠点は金沢。現地は普通の生活もままならない状態のため、もちろん私たちが泊まれる場所はありません。拠点の金沢から毎日片道3〜4時間かけて、能登半島へ向かいました。

 現地に入ってみて実際に見てみると、とにかくありとあらゆる物が壊れていて、正直、何から手をつければいいんだろう、というのが最初の印象。それくらい、街全体が見るも無惨な姿になっており、やはりニュースで知ることと、実際に見ることでは感じ方が違いました。

 1日目は小・中学生の学校訪問。体育館などが避難所となっているケースも多く、子どもたちは非常に限られたなかで生活しています。

 学校には地元の方々が多く出入りをしていて、炊き出しも学校の一室を使っているため、子どもたちの運動するスペースや時間が削られているのが現状です。そのなかで私たちアスリートは、狭いスペースでもできるアクティビティなどをレクチャーし、子どもたちと交流する時間を過ごしました。

【自分の経験は本当にちっぽけだと思った】

 最初は様子を見ながら参加していた子どもたちも、徐々に緊張がほぐれてきて、自然と笑顔があふれてきます。子どもたちが楽しんでいる様子を見て、避難所で生活している方たちやボランティアで来られている方たちも、最後には一緒に参加して、和気あいあいとした空気になりました。

 先生方にも「こんなにも生徒が楽しそうに、笑顔があふれて大声を出している様子を久々に見ました」とおっしゃっていただきました。

 この楽しい空間がある一方で、窓の外を見れば、全壊した家屋や土砂崩れによって通行止めになった道路、傾いた信号機や電信柱など、ありとあらゆる物が大きな被害を受けていて、言葉もありません。

 最後にお別れの時、男の子から「地震で怖い思いをしたけれど、今日一緒に身体を動かして一気に吹っ飛びました」と言ってもらいました。

 この言葉にあらためて、地震のすさまじさを実感しました。この後も続く大変な生活のなかで、短時間ではあるものの、私たちと過ごした時間をキッカケに、少しでも前向きになってもらえたらうれしいです。

 2日目は高校へ。こちらでは少しのアクティビティをしたあとに、高校生に向けて困難の乗り越え方や考え方など、アスリートとしての経験談を伝える役割を担いました。

 自分は被災経験がないなかで、何をどう伝えればいいのか、正直すごく悩みました。実際に足を運び、現実を目の当たりにして、自分の経験は本当にちっぽけだと思ったのも事実です。それでも、子どもたちが少しでも前向きになれる時間が作れればと思い、次のような話をさせていただきました。

 テニス選手は基本的に、コーチを雇うのも、どの大会に出るかを判断するのも、すべて自分。そのなかで私自身、大きな決断を下さなくてはいけない場面もいくつかありました。若い頃はほとんど英語もできず、ひとりで遠征している時に海外で負けが続くと、不安に押し潰されそうになることもありました。それでも夢や目標があったからこそ、逆境でも突き進めた──そのような経験を、気持ちを込めて伝えました。

【できる人が、できることをする。これが大切】

 今回2日間、被災地に足を運び、避難生活を送っている方々と触れ合い実感したのは、一回で終わらせてはいけないということ。今後も被災地に足を運んだり、継続したアクションを起こしていきたいと強く思いました。

 震災当初は「渋滞がひどい。現地にボランティアに行くのはむしろ妨害」との世論もありました。実際にそのおかげで、「現地支援活動を行なう自衛隊、救急、警察、支援団体等は大変助かった」と、現地支援団体スタッフの方から聞きました。

 しかし今は、震災当初の世論が浸透したことによる弊害として、現地支援活動のボランティアが少ない状況だそうです。

 然るべきタイミングで、できる人が、できることをする──。

 これが大切なのだと思います。

 私の小型重機の免許取得も、そのなかのひとつ。

 人によっては被災地に行くことだし、チャリティや募金による支援もあります。ニュースを見て知り、被災地の方たちに心を寄せることも、できることのひとつです。

 今は、必要な人材を必要な場所に派遣できるよう、体制も整ってきているそうです。ボランティアとして現地に足を運びたい方は、ボランティア登録を行ない、然るべき手順を踏み、活動に参加していただければと思います。

「アスリートとして、できることは何か?」──。

 この問いに正解はないかもしれませんが、今できる事を、できる人が。

 自分に何ができるか模索しながら、今後も活動していきたいと思います。


【profile】
土居美咲(どい・みさき)
1991年4月29日生まれ、千葉県大網白里市出身。6歳からテニスを始め、2008年12月に17歳8カ月でプロ転向を表明。2015年10月のBGLルクセンブルク・オープンでWTAツアーシングルス初優勝を果たす。2016年のウインブルドンでは初のグランドスラム4回戦進出。オリンピックには2016年リオと2021年東京の2大会に出場。2023年9月末に東京都・有明コロシアムで開催された東レ・パンパシフィックオープンを最後に現役引退。。WTAランキング最高30位。身長159cm。
被災地の現地の声はこちら>>「土居美咲公式Facebook」

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