あの歓喜から20年。岡野雅行が白状する、劇的ゴールが生まれた真相

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2024年04月04日 16:21  webスポルティーバ

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『ジョホールバルの歓喜』から20年。
激闘の舞台裏を今、改めて振り返る(1)
――岡野雅行編(前編)

日本が初のW杯出場を決めた『ジョホールバルの歓喜』から、ちょうど20年。当時の日本代表メンバーで、イランとの第3代表決定戦(1997年11月16日)にも出場した"キーマン"たちに今回、改めて激闘の舞台裏について語ってもらった。第1回目は、劇的なVゴールを決めた岡野雅行氏。壮絶な戦いの場で何が起こっていたのか、その舞台を味わった彼は「地獄だった」という――。

――この時期は4年ごとに、取材が増えてお忙しくなるという話を聞きました。早速ですが、その発端となる『ジョホールバルの歓喜』の舞台となった第3代表決定戦について聞かせてください。相手のイランについて、岡野さんはどう見ていましたか。

「すでにヨーロッパでプレーしている選手が何人かいて、特に前線には(アリ・)ダエイ、(コダダド・)アジジ、(メフディ・)マハダビキアと、強力なタレントがいました。嫌な相手だと思っていました」

――試合は一進一退の攻防が続きました。岡野さんはベンチスタートでしたが、どんな気持ちでピッチを見つめていましたか。

「ほんとに選手は極限状態にあって、胃薬を飲んでいる人もたくさんいた。でも、僕だけはずっと元気だったんです」

――それは、どうしてですか。

「僕、あのときの最終予選においては、このイラン戦の延長しか出ていないんですよ。だからそれまでは、ずっと(試合に出られない)怒りを抱えていた。『なんで、オレを出さないんだよ』みたいな。

 それであるとき、監督の岡田(武史)さんにその理由を聞いたんです。そうしたら、『おまえは"秘密兵器"だから、敵に存在を知られたくない。"ここぞ"の場面で必ず出番はくるから、しっかり準備をしていてくれ』と言われたんですね。それで、最後のイラン戦は勝たなければいけない試合だったので、『ここで"秘密兵器"登場か』と、期待していた。その分、自分ひとりだけ元気だったんです。

 当時は僕も若かったので、自分のことばかり考えていて。むしろ試合では、(自分が出場できる)負けている展開を望んで見ていましたね。今だから、言いますけど(笑)」

――負けている状況ではありませんでしたが、実際に延長戦にまでもつれる拮抗した試合展開となって、いよいよ岡野さんの出番がきました。やっと出場機会を得られて、うれしかったのではないですか。

「いや、あのときは『やめてくれ』と(笑)。

 日本が先制したあと、後半の序盤に逆転されたときは、『これは"秘密兵器"の出番だな』と思って、ワクワクしながら監督の近くをバンバン走ってアピールしていたんです。それで、FWを一気に2枚代えるっていうから、『キターッ!』って思ったんですけど、城(彰二)と呂比須(ワグナー)が呼ばれて......。そのときは、『ふざけんなよ、岡田さん。オレのこと"秘密兵器"とか言っていたくせに』って、ふてくされていました。

 そうしたら、城がゴールを決めて同点になった。勝たなきゃいけないってことは、『もうひとりFWを出す可能性もあるな』と、また期待が膨らんだ。ただその一方で、同点になって以降、試合はどんどん膠着し始めるんです。当時、イランでは(試合に)負けたらムチ打ちの刑に処されるとか、そんな噂が流れていて、僕らも負けたら日本には帰れないと思っていたので、どちらも余計なことをしなくなって......。ボールを持ったら、長いボールばかり蹴り出した。

 あと、あのとき現地まで応援に来てくれたサポーターは本当にコアな人たちが多くて、『ドーハの悲劇』を経験している方ばかりでしたから、スタンドがざわつき始めるんです。『あれ、あのときと同じ展開じゃない?』みたいな。

 そうなってくると、それまで『(試合に)出してくれよ』と思っていた僕も、その異様な雰囲気を感じて、『出たくないな』と思うようになって。『こんな場面で試合に出るのは絶対に嫌だな。日本代表の試合って、こんなプレッシャーなのかよ。本気で命をかけてんな』と思って、試合に出るのが怖くなったんです。それからは、アピールなんか一切しないで、岡田さんと目が合わないように隅のほうに隠れていましたね(笑)」

――しかし、岡野さんの内心とは裏腹に、監督から声がかかりました。

「実は後半が終わったあと、延長に入る前の休憩のときに、本田(泰人)さんからVゴール方式だってことを教えられて、そこで初めてその試合のルールを知ったんですよ(笑)。それで、本田さんに『おまえ、バカじゃねぇの!』って怒られて、『すみません......。いや、それは大変ですよね』とか言っていたら、岡田さんから『岡野!』と呼ばれちゃって。『いやいやいや、"秘密兵器"でもここはやめましょうよぉ〜』って、心の中で叫んでいました(笑)。

 しかも、そのときに言われたのは『決めてこい』のひと言。これって赤紙じゃんって、本気で思いましたよ。そうして、ピッチに入ってからは、チャンスを3本も外しちゃって......。本当の地獄ですよ」

――チームメイトからは、何か声をかけられたりしませんでしたか。

「延長前半が終わったときに、みんなが励ましてくれたり、笑わせてくれたりしました。僕にとっては初めての予選でしたし、チームのムードメーカー的な存在でしたから、逆にこういうときは楽にさせてくれようとしたんでしょうね。『(シュートを)外したことは気にしなくていいよ。1本入れてくれたら、チャラにするからさ』とみんなが言ってくれて。ガチガチに緊張していたんですが、それで少し体がほぐれましたね。まだ、みんなに見放されていないんだな、と」

――決定機を作ってくれた、パスの出し手である中田英寿選手からは何か言われましたか。

「ヒデは、何度も『おまえしかいないから』と言ってくれました。実際、彼のキラーパスに追いつけるのは僕ぐらいだったんですよ。僕は、ヒデと一番呼吸が合っていて、練習でも彼のパスから何度も(ゴールを)決めていたりしたんです。ヒデがボールを持ったら、絶対にパスが出てくるから、僕は必ず走るようにしていた。それこそ、犬のように。

 だから、あのときも......。ほとんど覚えていないですけど、本能で走っていたんだと思います。ヒデがボールを持った、じゃあ走ろう、と。僕が外しまくっていたから、(最後の場面では)ヒデはシュートを打ったみたいですが、僕としてはいつもどおりに本能的に走り、そうしたらGKのこぼれ球が目の前にあった。そんな感じでした」

(つづく)

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