入試の点数は今でも覚えている だって人生で一番大事なことでしょう?

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2024年04月22日 08:11  @IT

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 国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回は日立造船で基幹システムの保守などを担当している張 冬堯(チョウ・トウギョウ)さんにお話を伺った。中国の大学入試は過酷で、「高校時代は勉強以外の思い出がない」という張さん。そうして勝ち取った大学で人生を変える出会いがあった。


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 聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。


●『スラムダンク』に夢中な幼少期


阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) ご出身はどちらですか。


張 冬堯(チョウ・トウギョウ 以下、張さん) 中国で育ちました。生まれた都市は、遼寧(りょうねい)省遼陽(りょうよう)市という小さな町です。同じ省では、大連と瀋陽(しんよう)の方が有名ですね。


阿部川 遼寧省遼陽市は、どういう町ですか。


張さん 有名なことはあまりないですね。農業が中心の小さな町です。


阿部川 小さなときは、どんなお子さんでしたか?


張さん とにかく話すことが好きな子どもだったと思います。テレビを見て、テレビのキャラクターと会話することもありました。


阿部川 キャラクターということはアニメでしょうか。当時見ていた番組を何か覚えていますか。


張さん アニメならバスケットボールを題材にした『スラムダンク』が一番好きでした。他にもいろいろです。当時の中国では日本のアニメがはやっていましたし、アニメ以外に中国のドラマも見ていました。


阿部川 勉強はどうだったでしょう。得意な教科は何でしたか。


張さん 数学ですね。といってもなぜ得意だったかは分からないんですけど(笑)。英語はちょっと苦手でした。日本に留学するまで英語を勉強していましたが、単語がなかなか覚えられなくて。でも数学の公式はすぐ覚えられました。


阿部川 スポーツはどうだったでしょう?


張さん 小学校のころ、7歳か8歳ぐらいからバスケットボールをやっていました。そんなに上手ではなかったですが。中国で人気のスポーツといえば卓球、バドミントン、バスケットボールですが、そのころはバスケットボールが一番人気だったと思います。


 やっぱり『スラムダンク』の影響がすごくて、放課後に友達と一緒にやりました。バスケットボールは少人数でできるところがいいですね。サッカーだと12人ぐらい必要ですけれど、バスケットボールは2人からできますので。


 はやっていましたね『スラムダンク』。5分か10分の短い休み時間に体育館に集まってわいわいしていたことを思い出します。ちなみに私は下手だったので端の方でドリブルの練習をしていました(笑)。


●高校時代、勉強以外の思い出はあまりない


阿部川 小学校は1クラス何人くらいなのですか。


張さん 1クラスが50人ぐらいです。とても小さい小学校だったので、1学年に1クラスで、全校生徒は多分300人ぐらいだったと思います。中学校は小学校よりは大きくて、1学年20クラスぐらい。1年生は1000人、全校生徒は3000人ぐらいいました。


阿部川 それは多いですね。いきなり大人数で学ぶので中学生になったらびっくりしたのではないでしょうか。PCを使った授業などもあったのでしょうか。


張さん コンピュータの授業は小学校のときにありました。すごく簡単な内容で大体タイピングの練習をしていました。自宅にPCが来たのも小学生のときですね。1台だけだったので、兄と共用でしたけれども。


阿部川 小学校から触っていたのですね。小学校、中学校と来ましたので、高校のお話も教えてもらえますか。


張さん うーん、高校時代は大学受験のために必死に勉強していましたので、勉強以外の思い出はあまりありませんね。1週間のうち月曜日から土曜日は全部学校に行って、日曜日だけ休み。ほとんどの時間を勉強に費やしていました。


阿部川 それだけ一生懸命勉強しなければならないのですね。大学入試はどういう受験制度なのでしょうか。何教科も受けなければならないとか?


張さん 中国の大学入試は、高校3年生が全国で同じ入学試験を受けます。その試験の成績で入れる大学のラインが決まるのです。有名な大学なら600点以上、他の大学は500点以上といった感じですね。1点でも多ければより良い大学に申請できますので、みんな必死に勉強します。私は600点だったので、上位30校の中から3つを選んで申請しました。


阿部川 やっぱり数学の点数が一番良かったのですか。


張さん 実は入試のときの数学の点数はそんなに良くなくて、150点の試験で126点でした。


阿部川 点数を覚えているんですね。


張さん はい、人生で一番大事なことだと思いますので。


編集鈴木 先ほど「ひたすら勉強していて、勉強以外何もしなかった」とおっしゃっていましたが、同じような話を以前インタビューした中国の方もしていたことを思い出しました。でも、勉強ってどちらかといえばつらいじゃないですか。その場合、勉強しないっていう選択肢はあるんでしょうか。もし勉強しなかった場合は、どうなっちゃうんですか。


張さん つまり進学しない場合のことですね。私の故郷が小さい町だからかもしれませんが、中学卒業後に高校に進学しない友達はたくさんいました。そういう人たちは実家の手伝いをしたり、何らかの技術を勉強して――例えば車の修理を勉強して、車の修理屋さんになったりします。


編集鈴木 なるほど。進学せずに働く道はあるけれど良い大学に入りたいなら勉強するしかない、と。ちなみに、日本には「浪人」というのがあって、高校を卒業したときに希望の大学に入れなかったら、1年さらに勉強して大学受験し直す人がいるんですけど、中国にもそういうやり方はありますか。


張さん あります。違う点といえば、日本の浪人は自分の家で勉強しますが、中国では高校に行って勉強する人もいます。もちろん家で勉強しても大丈夫ですけれど、学校に行って高校3年生と一緒に勉強してもオッケーです。


 中国ではどのくらい割合の人が高校で勉強する選択をするのか分かりませんが、日本で同じことをしたら、“現役の人”にやゆされそうな気がします……。中国ではきっと、周りの人も応援こそすれ、ばかにするようなことはないのでしょう。ただ逆に言えば、人生を左右してしまうかもしれない受験ということですね。いやはや、大変です。


●「日本でのアルバイトで初めてギョーザを作ったんです」


阿部川 大学は、大連理工大学に入学します。この時点ですでにエンジニアになりたいと思っていたのですか。


張さん いえ、そうではありません。大連理工大学には他にも学科が幾つかあります。当時は多分6つだったかな。いろいろ応募して、最終的にエンジニアリングの学科を受けたのです。


阿部川 最初からエンジニアを目指していたわけではないけれど、勉強の中心はエンジニアリングだったのですね。大学2年生のときに徳島大学に留学しますが、なぜ徳島大学だったんですか。


張さん 大連理工大学と徳島大学の間で交流するプログラムがあるんです。大学に入学するときに先輩からそのプログラムのことを聞いていたので、2年生のときに申請しました。このプログラムは今も続いていて、徳島大学以外の大学とも実施しているそうです。


阿部川 期間は1週間と短めですが、このプログラムには多くの学生が参加するのですか?


張さん そうですね。私のときは大連理工大学から4人が参加していました。中国の他の大学や他の国の大学生も来ていたので、全部で20〜30人ぐらいだったと記憶しています。


阿部川 このときが、張さんにとって初めての日本だったのですよね。日本語は問題なかったですか?


張さん いいえ。日本語は大学に入ってから勉強したので、そのときはそんなに話せなかったですね。留学生同士は英語で会話できたのでよかったですけれども。


 日本の第一印象は「きれい」。町がすごくきれいだと思ったことをよく覚えています。後は大学での生活の違いが印象に残っています。例えば、中国の大学生は基本的にみんな同じ寮に住んでいます。でも、日本の学生は(もちろん寮に入る人もいるけれど)大体が自分で家を探しますよね。


阿部川 なるほど。学校以外ではどこかに行きましたか。


張さん プログラムは1週間でしたが、その後の1週間で大阪と京都に行きました。高いビルがたくさんあったのが印象的でした。とても楽しかったのですが、中国に比べて食べ物や電車などの物価が高くて……。


阿部川 ああ、それはあるかもしれませんね……。1週間学んで1週間観光し、帰国します。その後、日本語を勉強するためのプログラムを作ったのですよね。これはどういうものですか。


張さん 私たちが一から開発したというわけではありません。日本語研究室のプロジェクトチームに参加して、もともとあったプログラムに機能を追加したのです。


 そのプログラムは、学生の作文などの文章をデータベースにしていて、手動で入力した単語などを基に文章を出力するといったものだったのですが、文章だけだとつまらないと思ったので、日本のドラマのせりふなどもデータベースに追加し、検索できるようにしました。


阿部川 それは面白そうですね。学生時代はアルバイトもしましたか。


張さん はい。来日当初は日本語が今よりもできなかったので、アルバイト先で日本語を勉強できました。それから、料理もできるようになりました。飲食店で私はギョーザとラーメンの担当で、そのとき初めてギョーザを作ったんです(ギョーザを作る手ぶり)。


阿部川 今も作りますか。


張さん 作りますよ。時間があれば、皮から作ります(皮を伸ばす手ぶり)。飲食店のギョーザは“焼き”が多かったのですが、家で作るのは、専ら“水”と“蒸”です。


阿部川 いいですね(笑)。


 張さんは身ぶり手ぶりがにぎやかで、見ているとほっこりした気持ちになりました。


 最初からエンジニアを目指していたわけではないと言いつつ、激しい受験競争を勝ち抜き、エンジニアリングの知識を吸収する張さん。きっとその原動力は「学びへの興味」だったに違いない。後半は日本の大学院に進んだ理由と、現在の目標について。


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