ゴジラ上陸、宇宙人との接触、恐竜復活……現実で起こったらどうなる? ハードSFと最新科学から検証

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2024年05月02日 07:10  リアルサウンド

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もしも○○が本当にいたらーー宇宙人とのコンタクト

  SF作品の中で科学的な正確性を追求した「ハードSF」というジャンルがある。今回はハードSFの名作映画から、宇宙人との接触やゴジラ、ウルトラマンが現実にあった場合を最新科学を交えながら検証ていく。


※必要に応じて参考文献を挙げるが、本稿は『空想科学読本』シリーズとリック・エドワーズ/マイケル・ブルックス(著) 『すごく科学的: SF映画で最新科学がわかる本』を参考にしていることをお断りしておく。


 「もしも空が飛べたなら」は古代から人類の夢だった。その夢は20世紀になって実現するが、実は古代人が熱気球の発明に成功しており、「ナスカの地上絵」は気球から全体像を確認したというロマンのある説が存在する。本当だったらすごいことだ。


  空飛ぶ飛行物体で、存在が確認されていないものと言えばやはりUFOだろう。UFOは"Unidentified Flying Object"の略称であり直訳すると「未確認飛行物体」だ。実際には「物体」ではなく光などの形のないものをUFOと見間違える例も少なくないため、「未確認空中現象」(Unidentified Aerial Phenomena:UAP)という用語も用いられることがある。


  UFOの歴史は非常に古い。西洋や南米のイメージが強いが、古代の日本にもUFOの記録は残っており、日本各地の民俗伝承に登場する虚舟(うつろぶね)はその例である。享和3年(1803年)に常陸国に漂着した虚舟は鉄でできており、窓があり(ガラスが張られている?)丸みを帯びた形をしていたそうだ。記録に残るその形状はまるっきりUFOである。


  宇宙人と結び付けられることが大半のUFOだが、宇宙人との接触はSFでは定番の題材だ。宇宙人は『E.T.』のように可愛らしく友好的だったり、『宇宙戦争』のように交渉の余地すらなかったり様々だが、ハードSFにおける宇宙人とのコンタクトは一味違う。


 『コンタクト』は有名作品とは言い難いが、実にハードSF的な描き方で宇宙人とのコンタクトを描いている。原作者のカール・セーガンは作家であると同時に高名な宇宙物理学者でもあった人物だ。同作には未知とのコンタクトにありがちな派手なSF描写はほとんどない。政治、科学、宗教などの有識者が集まって「異星人からのメッセージと思しきものを受けとったがどうするか?」議論が交わされる場面が重要な要素して描かれている。実際問題として、そんなものを受け取ったらやはり人類はまず議論するだろう。「思考実験」と言うべき実に現実的な描写である。


  仮に異星人とコンタクトするとしたら、どうコミュニケーションをとるかも問題である。スティーヴン・スピルバーグ監督の『未知との遭遇』では大きな電光掲示板の光と音で交信を行ったが、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』はそこから一歩進んで異星人の言語を創作した。同作でアドバイザーを務めたカナダ・マギル大学言語学部のジェシカ・クーン准教授は劇中の文字について「架空の言語でありながら、一貫性がとてもしっかりしている」と評したが「一貫性」は重要だ。


  人類は数々の言語を生み出してきたが、その中には滅亡した「死語」も少なくない。まだ未解明のものもあるが、有名なヒエログラフをはじめ失われた言語を後世の人類が読解できたのはその言語に「一貫性」が存在するからだ。こういった死語を読解する手法で用いられる一般的なものが「頻度分析」である。頻度分析は暗号の読解にも用いられる手法だが、(その暗号が元々どこの言語で書かれているのか判明していて暗号文が十分な長さである前提を要するが)死語の読解にも応用可能な手法である。


  例えば、英語で最もよく使われるアルファベットはEである。暗号解読者はスクランブルのルールは知らなくても、平文が英語であることがわかっているとする。そうすると暗号文中にもっともよく出てくる文字、または記号はEではないかと推測できるといった具合である。一文字読めればほかの文字を読解する足掛かりにもなる。時代や文化圏によってもよく使われる単語は異なる。古代エジプトやメソポタミアではビールが日用品扱いでよく文書に登場したようなので、おそらくはそういったこともヒントになるのだろう。何にせよ言語であれば一貫性は無ければならないので、それも大前提である。一貫性がなければ文字の使用頻度も言葉の使用頻度もランダムになってしまうので、頻度の分析のしようがない。


  暗号の読解についてはサイモン・シン(著)『暗号解読』にその歴史、手法が詳しく描かれているので興味がある方はぜひ参照していただきたい。同書には古代の言語を読み解く方法についても書かれている。


■日本沈没、ゴジラ上陸、ウルトラマンと怪獣の襲来

  我が国は古くから特撮作品が盛んだった。先ごろの米アカデミー賞で『ゴジラ-1.0』が邦画・アジア映画史上初の視覚効果賞を受賞する快挙を達成したが、初代の『ゴジラ』はまだ戦後間もない1954年の作品である。


  そんな『ゴジラ』を「もしもゴジラが上陸したら?」という思考実験で描いたのが『シン・ゴジラ』である。モンスター映画としてはあるまじきことに、同作の序盤は閣僚たちが対応のための会議をしている場面が延々と続く。バカバカしくなってしまうほど地味だが、実際にゴジラが上陸するような事態が発生したら、まず行われるのは対応のための会議だろう。劇中のモブ役人が言っていたが「効率は悪いがそれが文書主義だ。民主主義の根幹だよ」なのだ。「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」という公開当時のキャッチコピーは実に端的に作品のエッセンスを表現している。


  結局、同作はモスラも光の巨人もオキシジェン・デストロイヤーも登場することなく、官民一体となって事態を解決する。前述の『コンタクト』は有識者間で議論が交わされたが、『コンタクト』の「もしも宇宙人が」を「もしもゴジラが」に変えたのが『シン・ゴジラ』とも言えるだろう。この人類の力だけでゴジラに対峙する展開は現時点の最新作『ゴジラ-1.0』にも受け継がれている。なお、余談だが元防衛省職員の筆者の父に『シン・ゴジラ』のようにゴジラの駆除を理由に自衛隊が防衛出動することは可能なのか意見を仰いだが、父の見解は「それは難しいだろう」とのことだった。


 『シン・ゴジラ』には我が国の古典SF作品にも類似性を感じさせるものがある。


  国産ハードSFの大傑作『日本沈没』である。星新一氏・筒井康隆氏と並び「SF御三家」と呼ばれていた大作家・小松左京氏の代表作『日本沈没』は気が遠くなるほどのディティールを積み重ねたハードSFの大傑作だ。船に積み込むバラスト(乗り物のバランスを取るための重し)の描写だけで1ページ近く、潜水艇の歴史と原理の説明だけ2ページ、発端となる名も無い小島の沈没には10ページ以上の紙幅を割いており、ほぼ狂気のレベルの細かさである。日本だけが都合よく短期間に沈没することは現実にありえない出来事であり、そのことは作者の小松氏自身も認めているのだが、図を交えた40ページをこえる田所博士の日本沈没のメカニズムの解説はあまりにも真に迫っており、ウソなのにまるで実在する理論のようである。


  『日本沈没』は何度か映像化されているが、原作のエッセンスを煮詰めて、ドライでシリアスな情感を表出した一度目の映画(1973)は出色の出来である。同作で多用される男性的ともいうべき緊密な構図と、歯切れの良い編集は『シン・ゴジラ』とよく似ている。おそらく『シン・ゴジラ』の制作陣はかなり同作を意識していたのではないだろうか。『日本沈没』は「日本が沈没したらどう対応するか?」の有識者による議論にかなりのボリュームが費やされており、様々な側面で『シン・ゴジラ』によく似ている。『日本沈没』は「日本が沈没するがゴジラの出てこない『シン・ゴジラ』」であり『シン・ゴジラ』は「日本が沈没しないがゴジラが出てくる『日本沈没』」だと筆者は思っている。


  さて、『ゴジラ』は有名作品であるため、もちろん『空想科学読本』シリーズでもネタにされている。様々な側面から取り上られているが、柳田の推定によると「ゴジラは重すぎて生まれた瞬間に自重に耐えられず即死する」とのことだ。同様に日本特撮界の有名作品であるウルトラマンは身長40m、体重3万5000トンの設定だがこれも柳田氏によると「重すぎる」らしい。


  だが、これは初代ウルトラマンの話である。『シン・ゴジラ』と同じプロダクションで製作された『シン・ウルトラマン』のウルトラマンは「身長60m、着地点の陥没の具合から体重2900t」とはっきり劇中で描写されている。「この体重は身長185cm・体重85kgの人間が、身長60mに相似拡大した場合と、ピッタリ同じ」とYAHOOニュースのコラムで誰あろう柳田氏その人がお墨付きを与えている。


  同作には『空想科学読本』を意識したと思われる描写が幾度となく登場する。ネロンガの電撃については「推定50万キロワットの電気」、ウルトラマンのスペシウム光線については「イオン濃度が高い。大気がプラズマ化しています。一体何ギガジュールの熱量だったんだ?」


  ウルトラマンは音速を超える速度で飛行する設定だが、『シン・ウルトラマン』のウルトラマンは飛行するとベイパーコーン(物体が空気中で音速を超えると発生するコーン型の雲)の発生が描写されている。


  また、同作のウルトラマンは公式に身長60mと設定されているが、ゼットンはそのウルトラマンとも比較にならないほど超巨大だ。オリジナルのウルトラマンに登場するゼットンは1兆度の火の玉を発射する設定だが、柳田氏の試算だと、そのエネルギーは1秒間に380兆×1兆J(ジュール)、太陽の470兆倍に相当するとのことで、ゼットンがそれだけのエネルギーの炎を発射するには、地球の直径の約21倍の体格が必要になると結論付けている。『シン・ウルトラマン』のゼットンが巨大化しているのは制作陣の『空想科学読本』へのメッセージだったに違いあるまい。


  同作には誰あろう柳田氏も反応しており、YAHOOニュースのコラムで「いちいち数字にするのが、まるで自分を見ているようだ。」「最初の放送から56年経って、ウルトラマンはここまで来たのだ。しみじみ嬉しい。」と同作の科学描写にコメントしている。


■恐竜の復活は可能なのか?

  最後に恐竜の復活を描いた『ジュラシック・パーク』についても触れておこう。


  公開当時は現実的とされた『ジュラシック・パーク』の恐竜復活方法だが、現在では理論的に不可能とされている。『ジュラシック・パーク』に登場する恐竜は、琥珀に閉じ込められた蚊が吸血した恐竜の血液を使ってDNAを採取し、これを解析・復元した上で欠損部位を現生のカエルのDNAで補完、さらにこれをワニの未受精卵に注入することで復活したという設定になってる。だが、赤血球、白血球、血小板などの血液に含まれる細胞成分には寿命がある。赤血球は100から120日ほど、白血球は20日から25日ほどだ。


  細胞が死滅すればDNAもバラバラになるため、ジュラ紀や白亜紀の琥珀に保全された蚊から恐竜の血液を採取しても遺伝情報の復元は不可能である。また、柳田氏によると劇中で描かれた程度の人数で恐竜のDNA解析をした場合、1万5800万年かかる計算とのことだ。いずれにせよジュラシックパークの開業は現実的ではないと言っていいだろう。


  ただし、これは「『ジュラシック・パーク』の方法では」恐竜の復活は不可能という意味であり、恐竜のように古代に絶滅した種の再生は決して絵空事ではない。


 『すごく科学的: SF映画で最新科学がわかる本』によると、復活可能な絶滅した種でもリョコウバト、カモノハシガエルは有力候補で、さらにロマンのあることに日本のクローン技術専門家とハーバード大学の研究チームがそれぞれ違ったアプローチでケナガマンモスの復活に取り組んでいるらしい。ハーバード大学の研究チームを率いていたジョージ・チャーチはその後、マンモスを復活させるベンチャー企業を立ち上げ、なんと2028年にはケナガマンモスの赤ちゃんが誕生する予定とのことだ。


  本当に実現したらSF映画すら超えるような驚異の光景を見ることができるかもしれない。


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