東京で「舟通勤」は定着するか? ノー渋滞で快適も、課題は山積み

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2024年05月03日 09:01  ITmedia ビジネスオンライン

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豊洲〜日本橋間に就航する「URBAN LAUNCH」

 会社に出勤しようにも、地下鉄はまともに立っていられないほど混み合い、バスやクルマは渋滞で動かない。こんな時、川を渡れる「通勤船」があれば、信号もなくスイスイ移動できるのに……。


【画像】船上から眺める豊洲の夜景


 東京都内でも、川や運河が多い東京湾沿いの地区に勤めるビジネスパーソンは、そう思ったことがあるかもしれない。鉄道・バスといった通勤の選択肢に「船」を加え、通勤・通学に使える小型船の定期航路を開設する取り組み「TRY!舟旅通勤」が、2023年10月から始まった。


 24年3月現在、「TRY!舟旅通勤」の一環として就航しているのは、江東区・豊洲船着場〜中央区・日本橋船着場間(晴海運河・隅田川経由)の1航路のみ。これに24年春から、中央区・晴海フラッグ北側の晴海船着場〜港区・日の出桟橋(朝潮運河・隅田川河口近辺経由)間の航路が加わる予定だ。


 この2航路を鉄道・バスで移動した場合、両航路とも地下鉄・都営バスなどの面倒な乗り換えを要する。船なら船着場まで直通、水上をすすむので信号も渋滞もない。こう聞くと、通勤手段としての船という選択肢を「これアリじゃない?」と感じる方もいるのではないか。


 「TRY!舟旅通勤」は東京都都市整備局によって何度か実証実験が行われており、22年10〜11月には「14日間で2848人」という、まずまずの結果を残した。


 しかし、この記事での結論を先にいうと、筆者は通勤手段として船が加わることに意義はあるが、現状ではまず定着しないだろうと考えている。なぜ、都は「舟旅通勤」の取り組みを続けているのか。現状はどのような問題があるのか、考察していきたい。


●通勤手段に「船」ってアリ? 乗船して分かったメリットと課題


 豊洲〜日本橋航路の運航委託を受けている「観光汽船興業」(東京都観光汽船の関連会社)は、普段は遊覧船やチャータークルーズ船(貸し切り)を運航している。


 乗船して感じた船で通勤するメリットは、やはり快適性。観光用の小型船を通勤用に就航させているだけあり、船内でノートPCやスマホを操作しても疲れない程度に乗り心地が良い。


 かつ船は移動経路に信号がなく、ものの20分でスムーズに到着する。これが陸上での豊洲駅〜日本橋駅間の移動だと、地下深い大江戸線のホームまで歩いたり、銀座を横切って銀座駅から銀座一丁目駅の徒歩移動を要したり、車内で揺られながらつり革の争奪戦をしたり……。なかなかの“痛勤”を要する。


 また、日本橋船着場(日本橋駅から300メートル圏内)、豊洲船着場(豊洲駅500メートル圏内、ららぽーと豊洲のすぐ横)ともにアクセスが良く、これまで実証実験で運航してきた航路の中では、最も使い勝手が良い航路といえるだろう。


 また通勤手段と銘打っているものの、観光資源としての価値は相当なものだ。日本橋では1911年に開通した重要文化財「日本橋」の全景をじっくり眺めることができ、豊洲周辺の海上からはIHI本社、晴海のタワーマンションなど、林立する高層建築の眺めを堪能できる。遊覧船でもこういったクルーズは可能だが、軒並み1000円以上の料金がかかるとあって、1乗船500円の通勤船は観光客であふれている。


 船の乗組員に話を聞いたところ、通勤での利用はそこまで多くないものの、鉄道の定期を所持している利用者が「通勤ラッシュも避けられるし、1回くらいなら」とお試しで乗船するケースが多いという。ただし現時点では運航が週3日(火・水・木)、夕方に5往復ということもあり、定期的に利用する人は多くないそうだ。


 東京都都市整備局によると、2024年春に開業予定の「晴海〜日の出航路」は、運航時期や時刻などはまだ決まっていないという。運航を委託するのは東京湾クルージング(東京都江戸川区)という所まで決まっているものの、詳細は決まり次第発表するとのことだ。


 晴海船着場はマンション街「晴海フラッグ」内のマルチモリティステーション(晴海5丁目ターミナル)の一角にあり、東京BRT・都営バスのバス停と一体化した一大ターミナルが徐々にその姿を見せ始めている。設定される便数しだいだが、晴海フラッグから浜松町・芝・三田あたりに通勤する人なら、なかなか使い勝手が良いかもしれない。


●運賃が高くてラッシュ時輸送ができない……「舟通勤」の弱点


 ただ、通勤船には、数多くの課題が山積している。「TRY!舟旅通勤」事業を管轄する東京都都市整備局に現状のヒアリングをしつつ、課題を分析していこう。


 まず大きな課題は、交通機関としてのそもそもの競争力だ。通勤船の運賃(500円)は、遊覧船としての運賃から比べるとはるかに安いが、バス・鉄道の初乗り運賃(都バス・23区内210円、地下鉄180円)よりはるかに高い。


 生活移動を担う小型船が就航するフランス・リヨンやタイ・バンコクなどでは、日本円にして200〜300円台ほどで乗船できるが、物価・人件費も高い東京では、そこまで運賃を安くできないだろう。


 またバスと違って、水上での折り返しや発車に時間がかかる船では、バスのように「2〜3分に1本」といったラッシュ時の輸送ができない。今回の運航で使用する20トン以下の小型船では定員もバスよりかなり少なく、多くのビジネスパーソンに必要とされる、経営が成り立つ交通機関になれそうにない……というのが現状だ。


 「TRY!舟旅通勤」も、1日5万〜10万円(事業費の2分の1以内の範囲)という補助制度により、経営が成り立っている。


 また、船体が遊覧船仕様であるため、各地の小型船航路で強みとなっている「自転車積載の取り扱い」に関しては、現状でかなり曖昧(あいまい)な運用に。今後のユーザー獲得への課題だろう。


 豊洲〜日本橋間で就航する小型船は「URBAN LAUNCH」「リムジンボート」の2種類あり、自転車の搭載や車椅子への対応が可能なのは「URBAN LAUNCH」のみ。自転車で乗船する際は公式Webサイトなどで予約する必要がある。東京都都市整備局によると、当日の川の水位次第で船舶が変更になる場合があるが、積載できなくなった際は「メール連絡などで丁重に対応する」とのことだった。実際に乗船できるかは確実でない、ということになる。


 国内の小型船・渡し舟航路は自転車の積載を強みとしているケースが多い。特に大阪市営渡船では自転車の持ち込みが9割にも達するという(乗船は無料)。


 自転車積載の扱いが不明瞭で、「マウンテンバイクでオフィス街の船着き場に降りて、そこから自転車通勤」といった使い方が確実にできないようでは、船で通勤するメリットが薄れてしまう。


 それでも災害時の移動手段として、通勤船の航路を開設する意義はある。防災船着場を活用した遊覧船・通勤船の誘致が、災害時の避難経路の確保につながるのだ。


 都は災害時に水路を生かすべく、遊覧船や屋形船で避難者を運ぶ訓練を何度か行っている。遊覧船・通勤船の定期航路は、有事に船を動かせる人々の雇用維持かつ、船を出すための訓練といった側面を持つ。船会社は遊覧船で多少の利益も出せて、都にとっては、少額ながら着岸手数料が取れる。


 普通に暮らす人でも、一度でも通勤船に乗ったことがあれば「ちょっと前に船乗ったぞ! 船着場……あそこだ!」と、スムーズに避難行動に移れるだろう。いまや埋立地の端までタワマン・高層建築が立ち並ぶ東京の街で、移動手段の選択肢として、最低限の通勤船航路があってもいい。


 ただ現状では定着にはほど遠く、積極的なPRも皆無。「お試し乗船」「自転車をセットにした乗船体験の訴求」など、もう少し積極的に乗船率を上げたいところだ。


●国内の他事例 108人乗りの船に「平均利用者4人」も……


 東京だけでなく、国内・海外各地での通勤船事情を見てみよう。定着しているものもあれば、事業として見込み違いとなり、撤退してしまう場合も多い。


 大阪市では、淀川の支川・大川を経由して公団住宅街や市街地を結ぶ船(大阪水上バス「アクアライナー」)が運航されていた時期がある。


 この地域は最寄りの鉄道駅から遠い上に、市営バス・34号系統(当時)が平日朝に2〜3分おきで発車するほど通勤ラッシュが激しく、船は通勤の流れを分散する手段として期待されていた。市の参画要請を受けた京阪電鉄グループが全額出資で引き受け、運航を開始したことからも、それなりに期待されていたことが伺える。


 しかし実際には、開業10年後の時点で「108人乗りの船に平均利用者4人」(1993年時点)。先に述べた「ラッシュ時に次々と出航」「迅速に折り返す」ような通勤ラッシュへの対応をとれず、おおよそ使えない時刻設定・運航本数であったことが敗因だろう。


 また、冬場の船待ちの極端な寒さや、水辺にある発着場と住宅街の徒歩ルート(河川敷なので街灯もまばら)など、基本的な課題が全く解消されていなかったようだ。


 ただ、運営元の「大阪水上バス」は遊覧船事業が後に採算に乗り、京阪電鉄グループの運輸事業の柱に成長している。東京でも「観光汽船興業」「東京湾クルージング」が遊覧船でしっかり収益を上げるための手助けがあれば、都が推進する通勤船にもう少し協力してくれるかもしれない。


 国内ではほかに、広島県尾道市向島(尾道渡船・福本渡船など)や、北九州市(若戸渡船)で、船が通勤・通学に使われている。既存の橋はあるものの地上との高低差があり、どちらの航路も自転車での利用が多いという。


 ただ両地域とも、片道100円内という破格の運賃に据え置いた上で、補助や赤字ありきで運航を続けている。東京で同様に通勤船を展開する場合、メリットがある臨海部以外の「赤字・不採算への理解」が必要となるだろう。


●海外の事例から探る


 海外の都市部では、ヴェネツィア(イタリア)、バンコク(タイ)などで、船が日常の移動を担っている。中でも先に述べたバンコクでは、センセープ運河・パーシーチャルン運河などの定期船が、渋滞を避ける移動手段として定着。タイ政府からの支援も手厚く、今後は27年までに13億2000万バーツ(約50億円)を投じて、設備の近代化や鉄道駅との接続強化、航路の新設を行う方針だという。


 今後は、24年10月に就航するソウル市(韓国)の定期船「漢江(はんがん)リバーバス」に注目したい。1970年代に建設したマンション街の再開発が進む汝矣島(ヨイド)から、1988年に開催された「ソウル五輪」のメイン会場がある蚕室(チャムシル)までを30分で結び、「ラッシュ時15分に1本」「料金3000ウォン(約330円)」「自転車積み込み可能」と、生活移動の手段としてかなり使える仕様になっている。


 余談だが、最近では韓流ボーイズグループ・2PMのJun.kさんがTV番組で「漢江の渋滞はひどい!」「ただ車の中で座っているだけなのに」と嘆くひと幕も。川幅が1キロ近くある漢江をまたぐ聖水大橋・盤浦大橋の一帯での渋滞は昔から慢性化しているようで、リバーバスは川を使った「ヨコ移動」の手段としても期待できる。


 ただ、開業前の試算では「開業後6年間で約80億ウォン(日本円で9億円程度)の赤字」「初年度の乗船率は20%」と、かなりの不採算を覚悟で就航させるようだ。


 東京の「TRY!舟旅通勤」は、こういった国内外の定期船ほどの覚悟がある施策とは思えないが、移動中の空気はおいしく、たまに乗船する分には快適であることには間違いない。


 運航経費補助の期間は3年間。どこまで利用者を増やせるのか、どこまで「船通勤」に有益性を見いだせるかが注目される。


このニュースに関するつぶやき

  • 豊洲・日本橋は使えそうだが、晴海・日の出は条件が限られるな。東芝に勤めている人とか。
    • イイネ!13
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