黒地に際立つ白い「h」…年間売上100億円、誰もが憧れた「平成の伝説」 大ヒットブランド「djhonda」誕生の裏側と現在

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2024年05月22日 12:00  まいどなニュース

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この「h」を知っているか?

「a」といえばamazon。「C」といえば広島カープ。そして「M」といえばマクドナルド? それともモスバーガーか。有名なロゴマークの話である。日本でもっとも有名な「h」のアルファベットは……そう、djhondaだ。

【写真】「大量に作れば、ニセモノを作る理由がなくなる」とビジネス論を展開…こちらが「h」の仕掛け人です

平成の伝説「djhonda」ブランドはなぜ生まれた?

1990年代から2000年代のはじめ。黒地に白く「h」が刺繍されたキャップをあらゆる世代の日本人が被っていた。そのロゴが有名ヒップホップDJ「djhonda」氏のものだと知らない人も一定数いた。

「ホンダさんは、それで少しでも自分の音楽を知ってくれる人がいればいいじゃん、と笑っていました」

djhondaブランドを企画販売する株式会社サウスアンドウエストの竹平克巳社長は言う。アパレルショップだけでなく、大型スーパーでも売っていた「h」のアイテム。バッグ、財布、ノベルティでタバコまで作られ、出回っていた。全盛期の売上は、看板商品のキャップだけで年間およそ30万個、全商品でのトータル市場売上100億円。平成の伝説である。

しかし竹平社長は、当時ヒップホップを何も知らなかったという。

イチローのニュースで見た「h」

djhonda氏は90年に単身アメリカに渡り、92年に現地のDJコンテストで準優勝、ソニーミュージックからデビュー。ほぼ最初といえる日本人DJの成功者だ。いまも旺盛に楽曲を発表し若い世代のアーティストとの合作が絶えないレジェンド。

一方でサウスアンドウエストはライセンスビジネスの会社だ。アーティストやキャラクターと契約し、商品を作り、流通させる。なぜdjhondaと契約しようと考えたのか。

当時は1990年代半ば。

「当時、アパレル界にいままでにない業態が生まれていました。国道沿いなどのロードサイドにある、大型のアパレルのセレクトショップです。きっとこの業態は人々のライフスタイルを変える。その売り場に並べる商品を開発していました」

ライトオンやジーンズメイト。ユニクロもこうしたロードサイド店から始まった。店舗が増えれば売上も増えるだろう。広い店内で目立ち、勝てるブランドが欲しい……竹平社長はニュース番組で偶然「それ」を見つける。

国内ではすでに大スターだったイチロー選手。

「イチローが被っていた黒いキャップに『h』のロゴがついていました。人気のDJのグッズだというんですね。とてもシンプルで強いロゴでした」

「h」。これかもしれない。すぐに所属レーベルであるソニーに連絡をとった。

ブランド誕生の裏側は?

イチローがキャップを被っていたことからもわかるとおり、当時、djhonda氏はすでに自分のブランドを持っていた。アメリカのDJはオリジナルグッズをライブ会場で配布したり販売しながら音楽とファッションを融合させて売り込んでいた。いまでは当たり前となったアーティストのブランド化が始まった時期、djhonda氏もそのトレンドをとりいれていた。もちろんレーベルであるソニーもグッズを製作できるわけだ。

つまり本来はライセンス契約など必要ない。それでも商社やメーカーが音楽に詳しい担当者を揃えてdjhonda氏との契約交渉に動いている状況。その争奪戦にヒップホップを聴いた経験がない竹平社長が参加した。

そこで竹平社長がdjhonda氏に話したことは、他社と全く違った。

「私はヒップホップについては何も言いませんでした。ただ『このブランドを全国にもっと広めましょう』ということです」

djhonda氏のグッズは感度の高い芸能人やスポーツ選手が身に着け、しかも国内ではごく限られたHIP-HOP専門店でしか買えない激レアなもの。転売すればプレ値になり、そしてニセモノが出回っていた。本人が有名になればなるほど、その状況は加速する。  

竹平社長は「大量に作って誰でも買えるようにすれば、ニセモノを作る理由がなくなる」と説明した。一方で、それはグッズの希少性がなくなることを意味する、とも。

付け焼刃の知識で語るより、ビジネスの話で勝負した。

そしてライセンス契約が成立。そこでdjhonda氏の人柄にも触れることになった。

アメリカの厳しい音楽業界でのし上がったdjhonda氏と打ち解けたのは、意外なきっかけだった。

「私と同行した営業マンが、ホンダさんとの打ち合わせの直前に交通事故にあってしまって首にギプスをつけていたんです。それを見たホンダさんが……」

『おっ、お前! その首はどうしたんだ!!』

djhonda氏の反応が変わった。「いやぁ、クルマで事故っちゃいまして……ギプスつけてきましたよ」「そこまでして働かないといけないのか?」「そうなんですよぉ、休ませてくれないんです〜」。その会話から距離が縮まりはじめる。

こうして売り出されたdjhondaは、今年で27年目になる。

「H」ではなく「h」

現在「djhonda」は懐かしのグッズとしてだけでなく、「平成レトロ」に新鮮さを感じる若い世代からファッションブランドとして認知されている。ゴルフブランドなども展開してすそ野を広げ、看板商品のキャップは現在も年間5万個以上を売り上げる。「シンプルで強いロゴは、長く残る」という竹平社長の目利きが証明された。

なお印象的な「h」は「顔を出さなくても自分だとわかるように」というdjhonda氏の「音楽だけで勝負したい」という意志が示されたロゴである。

ちなみに大文字の「H」にしなかった理由は…「HONDA」では自動車メーカーと勘違いされるから、だそうだ。

【取材協力】
株式会社サウスアンドウエスト

(まいどなニュース/STSデジタルメディア・谷宮 武将)

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