MSJ開発頓挫、型式証明取得まであと一歩…甘い需要予測という不都合な真実

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2024年05月23日 06:00  Business Journal

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MSJの機体(「Wikipedia」より/CHIYODA I)

 三菱スペースジェット(MSJ)開発断念は、三菱重工業にとっても日本の航空機産業にとっても痛恨の極みであったが、経済産業省は3月、この開発失敗の教訓を糧にしつつ2035年以降に次世代旅客機の事業化を目指す戦略案を打ち出した。戦略案の中では開発失敗の要因となった「事業化を可能とする能力の不足」是正の必要性を訴えている。この文脈に沿って、開発失敗の要因を徹底的に精査する観点で、一般にはほとんど語られていない失敗要因について述べたい。なお、本稿は三菱重工の責任を追及する意図はなく、あくまでも開発失敗の要因をすべて明らかにして、その教訓を糧として後世の旅客機開発に役立ててほしいという趣旨である。


 一般的には、航空機の型式証明を取得するためのノウハウが決定的に不足し、開発遅延と開発費高騰につながったことが主な失敗要因といわれている。それはその通りなのだが、要因はそれだけではない。そもそも論になるが、MSJという航空機製品の販路であるリージョナルジェット航空機市場のマーケット・アナリシス(市場の規模や特性・動向などの分析)で最初から大きな読み違いをしていた。具体的には、需要規模の過大評価と、最大販路である米国市場の特性の読み違いだ。


「リージョナルジェット市場は20年間で5000機の新規需要」の過大な需要予測

 2008年に三菱重工が三菱リージョナルジェット(MRJ)の開発を正式に宣言した際、開発着手の前提としてリージョナルジェット市場の需要が下記のように非常に大きいことを掲げた。

(1)今後20年で全世界の運航数が3倍に増加し、約5000機の新規需要が予測される。
(2)MRJが該当する70〜90席クラスは、3500機の市場規模が見込まれる。


 その後10年以上、三菱重工は一貫して記者会見、事業戦略説明会などさまざまな機会で上記の需要予測を掲げ、メディアもこれを引用した。開発開始11年後の2019年7月12日の事業戦略説明会では、改めて「今後20年間で5000機以上の需要」がある旨、図を示して強調している。



 しかしながら、三菱重工が描いた「20年間で5000機以上の新規需要」というのは過大な予測で、実際の需要はその半分程度しかなかった。これは2020年以降のコロナ禍による悪影響とはまったく関係がない。実はMRJの開発がスタートする2008年以前からリージョナルジェット市場に構造的な変化が発生し、航空機需要の急速な減少が起こっていたのである。そして、米ボーイング社はこの市場の構造的な変化と大幅縮小を的確に把握していた。


ボーイング社は知っていた「リージョナルジェット航空機市場の変化と急激な縮小」 

 ボーイング社は毎年、商用航空機市場予測レポート(Commercial Market Outlook/CMO)を発表し、20年先までの新規需要数を各カテゴリーの機材ごとに予測している。同社は狭胴機(単通路機)と広胴機(双通路機)のみを販売しているが、100席以下のリージョナルジェットについても需要予測を行っている。


 リージョナルジェットについて2004年までは20年間で4300機程度の新規需要があると予測していた。しかし、2005年から一転して減少傾向の需要予測となり、MRJの開発がスタートした2008年の段階では「20年間で2510機」にまで落ち込んでいた。(下の図を参照)これは三菱重工の予測の半分である。さらに、2009年のボーイング社予測では、さらに減って2100機にまで落ちている。





 このリージョナルジェット需要の構造的な変化と急激な需要減少は、世界的なパイロット不足、大手航空会社によるリージョナルジェットを運航する地域航空会社への運航委託が頭打ちとなったこと、リージョナルジェットよりも100席から150席の小さめの狭胴機(単通路機)に需要がシフトしたことなどを反映したものと考えられる。いずれにしても、このボーイング社の見立てが正しかったことは、その後のリージョナルジェットの納入実績によって実証されている。例えば、2004年から2023年までの20年間に納入されたMRJクラスのリージョナルジェット(70席から90席)は2000機程度であり、そのうちの300機あまりは中国とロシアの国産リージョナルジェットである。そしてこの納入実績は年々減少している。


 このようなリージョナルジェットの需要不振を受けて、カナダのボンバルディア社はリージョナルジェットからの脱却を図り、2008年から小さめの狭胴機(単通路機)Cシリーズ(最大160席)の開発に乗り出した。2015年に完成はしたが、経営不振など紆余曲折の上、それをエアバス社に売却譲渡している(エアバスA220へ名称変更)。さらにリージョナルジェットであるCRJ(カナディア・リージョナルジェット)についても、型式証明を含む知的財産と施設設備を三菱重工に売却譲渡し、民間航空機から手を引き、今はビジネスジェットだけを生産販売し安定した経営を行っている。


 一方、ブラジルのエンブラエル社はMRJ同様の燃費性能の高い新型エンジンを装備したEジェットE2シリーズを開発したが、販売実績は最大146席のE195-E2が大半であり、MRJ90の直接のライバルと目された90席のE175-E2は1機も発注がない。5月初めにエンブラエル社が狭胴機(単通路機)の開発に乗り出すかもしれないとのニュースが世界を駆け巡ったが、同社がリージョナルジェット市場の「オワコン」傾向を危惧したものと受け取られている。


2018年の時点で開発費6000億円を超え事業は破綻

 2008年にボーイング社が予測したリージョナルジェットの需要縮減を前提に置けば、MSJの売却可能数はライバルとの競争があるなかで20年間で800機から1000機とみるのが妥当だった。1機売却によって得られる利益は一般に4〜5億円といわれているので、20年間で得られる利益は3000〜5000億円。したがって、開発費はせいぜい5000億円までに制限すべきだった。最初の計画通り開発費1500億円で済んでいれば問題はなかったのだが、相次ぐ設計変更と遅延で、2018年の時点で開発費は6000億円超まで膨れ上がり、この時点で事業としては破綻していた。最終的に開発費は1兆円を超えたといわれており、三菱重工としてはMSJの開発撤退は企業として致し方のない、というより経営上当然の判断であった。


 三菱重工によるリージョナルジェット市場の需要予測の読み違えは、不幸なことではあったが、この予測の参考ベースには経済産業省がバックアップする一般社団法人「日本航空機開発協会(JADC)」やカナダのボンバルディア社などの過大な需要予測があったと考えられるので、三菱重工だけの責任とはいえない。ただ、惜しむらくは、三菱航空機はボーイング社とコンサルタント契約を結んでいた点である。もしボーイング社の需要予測に着目していれば、ボーイング社から的確なアドバイスを受けられていたかもしれない。


主戦場である米国市場の特性の読み違い

 アメリカはリージョナルジェットの世界最大市場(約7割)であり、アメリカを制することが航空機メーカーとしての生命線である。アメリカの大手航空会社は「ハブ・アンド・スポーク」と呼ばれる路線形態を形成し、自社は基幹路線(ハブ)を運航し、需要が小さな路線(スポーク)についてはリージョナルジェットを運航する地域航空会社に運航委託している。しかし、大手航空のパイロット組合から見れば、地域航空への委託が増えることは自分たちの職域を侵すものにほかならない。ましてやリージョナルジェットが大型化してきたことは看過できない事態であった。そこで、労使交渉の末、スコープ・クローズと呼ばれる協定を結び、リージョナルジェットの席数、大きさを制限することになったのである。航空会社で違いはあるが、代表的なスコープ・クローズによるリージョナルジェットへの制限は「席数:最大76席」「最大離陸重量:39トン(8万6000ポンド)」である。


 三菱航空機のMRJ90(88席)は最大離陸重量39トンを超えていたので、スコープ・クローズ条項の重量制限に抵触してアメリカでは飛べない機体だった。しかし、三菱航空機は同制限は緩和されるものと固く信じてMRJ90の開発を続けた。緩和されると信じた根拠は、2000年の同時多発テロによる旅客需要急減に対応するためリージョナルジェットの活用が約2.5倍に急拡大し、この際にスコープ・クローズ制限が50席から76席に緩和されたことだった。76席から90席までの制限緩和も自然な流れと考えていたのだが、これは一方的な思い込みであった。


 世界的なパイロット不足は、もともと強かったアメリカのパイロット組合をより強い立場にし、ましてや雇用の安定に関して何のメリットもないスコープ・クローズ制限緩和は労使交渉の場で俎上にすら載せられなかった模様である。


 三菱航空機もスコープ・クローズ制限緩和がないことを悟り、2018年にはMRJ90の開発後に米国向けにMRJ70(76席)を製造し型式証明を取得する方針を打ち出した。2019年6月にはMRJの名称を、「三菱スペースジェット(MSJ)」に改称し、MRJ90を「スペースジェット M90」と改め、またMRJ70をベースに米国市場に対応できる「スペースジェット M100」(76席〜88席)を外国人技術者を中心に設計し開発することを宣言した。この「スペースジェット M100」は、米国向けであると同時に日本向けにも使用可能であった。


 したがって「タラレバ」ではあるが、三菱航空機が開発の初期段階から外国人技術者を招聘し、かつ米国でのスコープ・クローズ制限緩和を当てにせずにMRJ90ではなく「スペースジェット M100」(76席〜88席)で開発を始めていたならば、型式証明も一度で済み開発遅延も小さく型式証明に行き着けたのではないか。この点は惜しまれる。


スペースジェット開発で得た知見と財産、北米で進む三菱のMRO事業

 MSJの型式証明取得作業は3900時間の試験飛行を含め8合目まで進行したものの、開発費がかかりすぎ無念の撤退となった。逆にいえば、型式証明取得のノウハウを8割方獲得したことは大きな財産といえる。一方で三菱重工はスペースジェットの整備・保守を北米で行う目的でCRJの型式証明を含む知的財産と施設設備を購入したのだが、これが今や大きな財産となっている。三菱重工の100%子会社であるMHIRJアビエーショングループ(MHIRJ、本社:カナダケベック州ミラベル)は米国に3カ所の整備基地を持ち、MRO(整備・保守・オーバーホール)事業者として北米の地域航空会社のリージョナルジェットCRJの運航を支えている。さらに、このMRO事業に資本を投下しリージョナルジェットの整備だけではなく対象を小型の狭胴機(単通路機)A220にまで広げようとしている。このMRO事業では米国連邦航空局(FAA)、多くの航空会社、航空機・部品メーカーとの折衝が必要であり、三菱重工は不足していた航空業界の多くのノウハウと知見を学ぶことができる。


 不幸にしてMSJの開発は失敗に終わったが、その教訓を糧にすると共に型式証明取得のノウハウ、三菱重工の100%子会社MHIRJが北米で展開するMRO事業から得られるノウハウと経験値が、次世代の航空機開発に活かされることを期待したい。


(文=橋本安男/航空宇宙評論家、元桜美林大学航空・マネジメント学群客員教授)


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  • 悲願の日本の翼 何を残したのか NHK ビジネス特集    三菱航空機元社長 「表現があいまいで、具体的な証明方法が示されていないものも多い」←【米国の参入の拒みだろexclamation ��2
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