お互いに新婚のときとは違う容貌を目の当たりにしたとき、「ここまでふたりで頑張ってきたな」と思えるか、「なんでこの人と一緒になってしまったんだろう」と思うのか……。
夫が定年退職「なんだか嫌な予感がした」
10歳年上の夫が65歳で定年を迎えた昨年のある日、サヤカさん(56歳)は、凝った手料理を作って「長い間、お疲れさま」とねぎらった。夫も少し照れたように「サヤカのおかげでここまでがんばってこられたんだよ」とつぶやいた。だが夫は寝るときに、「明日から会社に行かないでいいんだなあ。何時に起きればいいの?」と妻に尋ねた。
「そのとき、なんだか嫌な予感がしたんですよね。翌日からのことが目に浮かぶようだった」
夫は起きる時間から寝る時間まで、私に尋ねてくるのだろうか。自分で自分の生活を充実させる努力をするだろうか、と不安になった。その不安は的中した。
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パート先の妻に夫が電話をかけてきた
夫はもともと家事を何もしないというわけではなかった。休日に家族のために料理を作ってくれたこともあった。だから朝食と昼食くらいは自分でなんとかするだろうと思っていたのだ。「ところが私がパート先に着いてしばらくたったころ、夫から電話があったんです。具合でも悪いのかと焦ったんですが、『サラダだけ? パンはどこ?』って。私は職場だよと思わず強い口調で言ってしまいました。
夫が仕事をしているとき、私はそんなくだらないことで電話なんかしたことはありません。自分で好きなようにしてと言って電話を切りました」
すると今度は昼休み、夫からまた連絡がきた。「オレの昼飯は何?」と。定年になった夫は、いきなり「何もしない人」「何もできない人」になったのだろうか。不愉快な思いを感じたまま、サヤカさんは帰途についた。
ひたすら指示を待つ65歳の夫
その後も夫は、自分で生活していく気にはならなかったようだ。「朝ご飯は何? 昼ご飯は何? と毎日のように聞いてくる。たまには夕ご飯の支度くらいしてくれてもいいのよと言うと、『何すればいい?』と。“指示待ちくん”になってましたね。あなたが食べたいもの、私に食べさせたいものを考えてと言ったら、結局、何もしないまま私の帰宅待ちをしていました」
やる気がないのかやりたくないのか、あるいはすべてに気力を失っているのか。夫の真意がつかめないまま1年が経とうとしている。
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でも楽しい目標ならいいでしょと水を向けましたが、夫はこの1年、ほぼ何もしていない。このまま老いていくつもりなのかと、こちらが不安を感じました」
最近、サヤカさんがスーパーに買い物に行こうとすると夫がついてくるようになった。散歩がてら行こうかな、と。まったく動かないよりはいいかとサヤカさんも思うが、スーパーでの夫は「私にとっても、他のお客さんにとっても邪魔でしかない」という。
「ある程度の献立を作って行くこともあれば、食材を見てからメニューを決めることもありますよね。たとえば肉売り場に行って、何の肉を買おうか、牛肉ならどれが安くて使いやすそうか、いろいろ見ていると、夫は私の隣でただぼーっと立っているんです。
『ねえ、どれがいい?』と言っても『わからない』と。肉を見ようともしない。すると肉を見ようとしている他のお客さんの迷惑にもなるわけです。だからひとりでそこらへんを見てくればと言っても、私の横から動こうとしない」
夫が「本当に邪魔」で怒りが湧く
本当に邪魔だと怒りが湧くこともあるという。家の中でも、たまには手伝おうとすることもあるのだが、先を予見して動くことができないので、冷蔵庫に向かうサヤカさんの目の前に夫がたちはだかるような状態になり、イライラさせられることも多い。「つい先日も、私が行く方向に突っ立っているから、『ねえ、ほんっとに邪魔なんだけど』と思わず言ってしまったんです。夫は『えっ』と言ったまま固まっていました」
夫は横暴なタイプではないので、サヤカさんが何か言うと、すぐに怯えたように固まってしまう。それがまた彼女をイラつかせるのだ。
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自分の意志をもたなくなった夫には、もう人としての魅力も感じないとサヤカさんは言う。家を出て独立しているひとり娘に愚痴をこぼすと、「お父さん、子ども返りしちゃってるんじゃない?」と言われ、うんざりしたそうだ。
「頭の中で、毎日、夫が邪魔、邪魔と思ってる。私のストレスがマックスになりそうで困っています」
夫が邪魔。そう思う日がいつまで続くのか、サヤカさんはそれが怖いと言った。
亀山 早苗プロフィール
明治大学文学部卒業。男女の人間模様を中心に20年以上にわたって取材を重ね、女性の生き方についての問題提起を続けている。恋愛や結婚・離婚、性の問題、貧困、ひきこもりなど幅広く執筆。趣味はくまモンの追っかけ、落語、歌舞伎など古典芸能鑑賞。(文:亀山 早苗(フリーライター))