38歳になる都倉賢が「生涯現役」宣言 「経験って力」「自分の心がダメにならない限り、きっと点は取れる」

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2024年06月15日 10:30  webスポルティーバ

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ベテランプレーヤーの矜持
〜彼らが「現役」にこだわるワケ
第4回:都倉 賢(いわてグルージャ盛岡)/後編

前編◆都倉賢のサッカー人生を変えたふたつのターニングポイント>>

 デンマークで過ごした1カ月間が自身にどれほどの影響を与えたのか、本当の意味で知ることになったのは、2014年に加入した北海道コンサドーレ札幌以降のキャリアだと言えるだろう。

 FCベストシェランとの話がまとまらず、日本に戻る決意した彼は、帰国前日になって代理人に札幌からのオファーが届いていることを聞かされる。

「札幌はずっと、水面下で『いつまでも待つので、もし日本に戻ってくることになったら札幌と契約してほしい』と言ってくださっていたらしくて。それを帰る時になって代理人に聞かされ、それならぜひお願いします、ということになりました」

 すでにJリーグは開幕していたこともあり、帰国したその日の羽田空港で札幌の三上大勝GMとの契約交渉の席につくという慌ただしさだった。

「海外移籍が実現した時のために、一着だけスーツを持っていたので、それを着てサインをしました。三上さんには『なんで、スーツを持っているんだ?』って驚かれましたけど。

 ただ、生活に関するものはほとんど捨てて日本を離れていたので、札幌で借りた部屋には当初、本当に何もなくて。家電も家具もイチからそろえなきゃいけなくて、しばらくは金欠で大変でした(笑)。でも、その経験をしているから今も、どんなこともゼロベースからでも始められるという、変な自信を持てているんだと思います」

 札幌で過ごした5シーズンは、デンマークで過ごした濃密な1カ月間を実感する毎日だった。なかでも"点を取る"ことに対する新たな気づきは、結果にも表われ、都倉は5シーズン中、4シーズンでふた桁得点を実現。2018年には自身にとって初めて、J1リーグでの"ふた桁得点"を達成した。

「海外の選手って、たとえばFWなら、ほかのプレーはイマイチだけど、反転してシュートだけはめちゃうまくて点を取れるとか、サイドバックなら、ドリブルにスピード感はないけど、パスが来た時にバシッといいところに止められるとか、クロスボールだけはひたすら精度が高いとか、自分の武器が際立っているんです。裏を返せば、そこを際立たせることを常に考えてプレーしている。

 そのことをデンマークで目の当たりにし、自分の武器、型をすごく大事に考えるようになったというか。それまでのように、いろんなプレーをできるようになりたい、という欲は捨て、ゴールから逆算して、自分の型にハメるための準備をシンプルに考えられるようになった。

 加えて、ミシャ(ミハイロ・ペドロヴィッチ監督)との出会いもサッカー観に刺激を与えてくれる出来事でした。それまでもサッカーをチェスや将棋に形容して話していた人はいたけど、ミシャはそれを本当の意味で教えてくれた人。自分が駒のひとつとして役割を全うすることを学び、それが数字ともイコールになっていった」

 しかも、その感覚は2019年から2シーズンにわたって在籍したセレッソ大阪で、より研ぎ澄まされた。

「"ミシャ・イズム"を論理的に落とし込んでくれたのが、ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督で、ボールを蹴るたびに『うわ、まじか!』と、パラダイムシフトが起きるような感覚もありました。FWとして局面に勝つか負けるか、ヘディングで競り勝てるか、キープできるかできないか、みたいなところでしか勝負してこなかった自分が、グループで点を取る面白さに開眼したのもこの時期。

 自分が相手DFを引きつけてピン留めすることで、味方の選手が空くとかって理論は、今の時代でこそ当たり前になったけど、当時の僕にとっては新鮮でした。それまでとはまったく違うサッカーの面白さを知り、毎日が本当に楽しかった」

 ひとつ残念だったことがあるとするなら、そのロティーナのサッカーに楽しさを覚え始めたばかりの2019年。レギュラーとして活躍する最中の5月に、横浜F・マリノス戦で右ヒザ前十字靭帯断裂、半月板損傷の大ケガを負い、それをピッチで体感する時間が大幅に削られてしまったこと。

「その日の夜の落ち込んだ気持ちも、辛かった記憶も、今も鮮明に覚えています」

 だが一方で、プロになって初めて長期のリハビリと向き合った経験は"サッカー"という括りを超えて、大きなエネルギーを得る時間にもなった。

「ケガをしてしまったのは残念でしたけど、今となってはあの経験があったから、今もこうしてサッカーができているのかなと思っています。9カ月間を通して自分の体のモニタリングがきちんとできるようになったのは、今のグルージャのような環境でプレーするうえでもすごく活かされていますしね。

 また、その復帰の過程にしっかり向き合おうと、ハッシュタグに『返り咲きカウントダウン』とつけて、自分がこの困難な局面をどう克服していくのかをSNSで発信していたら、産後、仕事に復帰しようとしている主婦の方や、受験勉強中の人、リストラにあって次のキャリアに向かおうとしている人など、いろんな人が共感してくださって。それぞれの向き合っている困難から一緒に立ち上がろうという共感の輪ができた。

 その時に、人と人が共感し合いながら何かを起こすエネルギーはマジで力強いと感じたし、自分自身も共感の輪を広げながら復帰に向かえたことや、その過程で感じたいろんな気づきは、自分らしく人生を生きることへのエネルギーに変わりました」

 その後、2020年に戦列に戻った都倉は、契約満了を受けて2021年にV・ファーレン長崎へ移籍。3シーズンを戦い、今シーズンからは、いわてグルージャ盛岡に籍を置き、自身にとって初のJ3リーグを戦っている。

「正直、プロ3年目に(ザスパ)草津の環境を経験していなかったら、ここにきてカルチャーショックを受けたところはあったかもしれません。おそらく『なんで、自分で練習着を洗わなくちゃいけないの?』から始まっていたんじゃないかな(笑)。

 でも草津での経験がある分、また、この20年で、選手としての本質であるサッカーができる幸せを僕なりに見つけてこられたこともあって、何を目の前にしても動じないというか。なんなら、川崎(フロンターレ)からJ2の下位チームに行って、『何くそ』と思って戦っていた当時の自分が蘇って、ここからまた『這い上がってやる』という気持ちにさせられている。経験って力ですね」

 その盛岡は現在、最下位。5月上旬には監督が交代するなど、苦境に立たされているが、都倉自身のサッカーへの思いに揺らぎはない。相変わらず「サッカーって最高だなって思う毎日」のなかで、さらに欲を膨らませている印象すらある。

「毎日、もっとこうすればいいプレーができるかもなって発見ばかりですから。もちろんプロである以上、自分が楽しければそれでいいとは思っていません。FWとして点を取ることにもこだわっているし、この年齢でチームに在籍している責任も当然、感じています。

 でも、変な言い方だけど、この歳になると自分の心がダメにならない限り、きっと点は取れるし、結果も残せるんじゃないか、と。それは、札幌時代のチームメイトで、尊敬する偉大な先輩、(小野)伸二さんとイナさん(稲本潤一/南葛SC)が教えてくれた。真っ直ぐにサッカーと向き合って、いろんなことにチャレンジして、いろんな失敗もしながらサッカーを楽しむことがサッカー選手としての原点だ、って」

 そして、その思いがある限り、彼は現役選手であり続けるのだろう。

「サッカーの王様、ペレが言っていたんです。自分は一番ゴールを取った選手ではなく、一番シュートを外した選手だ、と。『シュートをたくさん外したから、そこから学んで、ゴールも取れた。人は"ゴール"にばかり注目するけど、その影ではゴールの10倍、20倍のシュートミスがあるんだ』と。

 人生も同じだと思うんです。いろんな選択の連続で、時に選択したことがうまくいかないことも、失敗することもある。でも、それってチャレンジしたから出る答えなんですよね。

 だから僕はこの先も、自分が信じたこと、やりたいと思ったことにチャレンジし続ける自分でいたい。グルージャも、今は苦しいところにいるけど、監督が交代してこの数週間で確実にチームは変わったし、競争力も出てきているのは間違いないので。この戦いを自分たちで正解にするために、自分たちを信じて全力でやりきるだけだと思っています」

 そう話す彼は、6月16日、38回目の誕生日を迎える。新しい年への抱負を尋ねたら「生涯現役」と目をギラつかせた。その熱のこもった歯キレのいい言葉は、まるで、この先のキャリアへの宣戦布告のようだった。

(おわり)

都倉賢(とくら・けん)
1986年6月16日生まれ。東京都出身。川崎フロンターレU-18を経て、2005年、在学中の慶應義塾大学を休学してトップチーム入り。2008年にJ2のザスパ草津(現ザスパクサツ群馬)に期限付き移籍。翌年、同クラブに完全移籍し、2010年にはヴィッセル神戸に完全移籍。以降、北海道コンサドーレ札幌、セレッソ大阪、后Ε侫 璽譽鹹杭蠅妊廛譟次持ち味となる高さを活かして、各クラブで活躍した。そして今季から、J3のいわてクルージャ盛岡に加入した。

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