ユーロ2024開催地で50年前に見たW杯 トータルフットボールを封じたドイツのサッカーは強く魅力的だった

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2024年06月18日 07:30  webスポルティーバ

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連載第2回 
サッカー観戦7000試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」

なんと現場観戦7000試合を超えるサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。第2回は先週末の6月14日に開幕したユーロ2024の開催国、ドイツのサッカーと歴史について。

【50年前のドイツで初めてのW杯観戦】

 今年のサッカー界の最大のイベント、UEFA EURO 2024(ユーロ2024)がいよいよ開幕。6月14日の開幕戦では、開催国ドイツがスコットランドに5−1と大勝した。

 ドイツはワールドカップ(W杯)では2大会連続でグループリーグ敗退に終わり、昨年秋にはホームで日本代表に完敗するなど低迷していたが、最新のテクノロジーやデータを駆使する若き指揮官ユリアン・ナーゲルスマン監督の下で完全復活したようだ。選手間の距離を短くしたドイツ代表は正確な高速パスを交換して、スコットランドが構築したコンパクトな守備を完全に崩しきった。

 フロリアン・ビルツという21歳の若手が先制ゴールを決め、さらに同じ21歳のジャマル・ムシアラが追撃弾......。まさに、新時代の到来を思わせる快勝だった。

 ただ、まだ1試合を終えただけではある。対戦相手のスコットランドは伝統国ではあるが、決して欧州の強豪というわけではないし、何といってもスコットランド戦では大きなホーム・アドバンテージがあった。

 ドイツ代表の主軸はバイエルン・ミュンヘンの選手であり、開幕戦はミュンヘンのアリアンツ・アリーナで行なわれた。まさに彼らのホームだったのである。

 さて、今年のEUROの舞台となるドイツは、僕にとって懐かしい国だ。

 というのも、今からちょうど50年前の1974年に、僕が人生で初めてW杯観戦に訪れた国だからだ(当時は、西ドイツ)。その後、2022年カタールW杯まで合計13大会を観戦してきたが、やはり初めての大会での印象は強烈だった。

【世界のサッカーをリードしていたドイツ】

 西ドイツW杯はフランツ・ベッケンバウアー(西ドイツ)とヨハン・クライフ(オランダ)の大会だった。

「トータルフットボール」と称されたオランダの近未来的なサッカーが旋風を巻き起こした。FWやDFといったポジションなどまるで存在しないかのように、選手たちが次々と湧き出てくるダイナミックな攻撃サッカーだった。

 それは当時としてはあまりにも革新的であり、そのメカニズムを完全に理解できた人などほとんどいなかったに違いない。まして、極東のサッカー後進国からW杯見物にやって来た日本人青年にとっては、ただただ驚きだけだった。

 だが、決勝戦では西ドイツのベルティ・フォクツがクライフを徹底的にマンマークして封じ込め、西ドイツが逆転勝ち。1954年スイスW杯以来20年ぶり2度目の優勝を飾った。

 その舞台となったのはミュンヘンのオリンピアシュタディオンであり、当時も西ドイツ代表の先発11人中ほぼ半数がバイエルン所属だったから、「ホームだから勝てた」と言われていた。

 オランダの超革新的なフットボールに話題を攫(さら)われたものの、西ドイツが当時の世界のサッカーをリードしていたことは間違いない。

 ドイツと言うと、ラテン系の国と比べてフィジカル能力が高く、「武骨な」印象が強い。だが、いつの時代にもひとりかふたりは小柄でテクニカルな選手を擁している。たとえば、Jリーグの初期に活躍したピエール・リトバルスキーとか、1990年代の低迷期に活躍したトーマス・ヘスラーといった選手は、ドイツ代表に独特のアクセントを加えていたものだ。

 そんなドイツには、多数のテクニシャンが揃う特別な時代が訪れることがある。1970年代前半は、まさにそんな時代だった。

【テクニックのある選手が集まった魅力的なサッカー】

 代表格が1974年西ドイツW杯では最終ラインからチームを操るリベロとしてプレーした主将のフランツ・ベッケンバウア−であり、また、左足を使った短いパスを交換することによって中盤を組み立てたヴォルフガング・オベラートだった。

 そして、西ドイツW杯ではほとんど出番が与えられなかったが、1972年の欧州選手権(現在のEURO)で大活躍したギュンター・ネッツァーもいた。オベラートが短いパスをつないで組み立てるのに対して、ネッツァーはロングレンジのパスを駆使してチームをダイナミックに動かした。

 こうした主役級だけでなく、その周囲にも何人ものテクニシャンがいた。決勝ではクライフを徹底したマークで消してしまったフォクツにしても、本来は非常にテクニカルで攻撃センスあふれるDFだった。

 彼らはいずれも1940年代半ばに生まれ、第2次世界大戦で敗れたドイツで育った。戦後の瓦礫のなかでボールを追って遊ぶなかで、テクニックを身に付け、その後、西ドイツ政府がスポーツ振興政策を充実させたことによって、適切な指導を受けて育った世代だ。

 こうしてテクニックのある選手が次々と現われると、もともとドイツが持っているフィジカルの強さや組織力と融合して、あの非常に魅力的で強いチームが完成したのだろう。

 たとえば、当時のイングランドはロングボールの蹴り合いと肉弾戦が繰り広げられるオールド・スタイルのままであり、また、イングランドのサッカー場は古色蒼然としたものばかり(それも魅力のひとつではあったが)。

 その点、正確でスピーディーなパスを駆使してゲームを組み立てる西ドイツは、とても近代的な印象だったし、W杯を前に改修、新設された各地のスタジアムもとてもモダンに見えた。

【低迷期にはヒール役のような存在に】

 こうして、1972年の欧州選手権、74年W杯、そして1976年の欧州選手権と主要大会を3連覇した西ドイツだったが、ベッケンバウアー世代の選手たちが引退するとドイツは長い低迷期に入っていった。

 たしかに西ドイツは1982年から90年までW杯で3大会連続決勝に進出し、90年イタリアW杯では優勝を果たし、イングランドで開かれたEURO 96でも優勝を遂げた。

 だが、そのサッカーは1974年優勝当時の優雅さとはかけ離れたものだった。

 大きなスペースを見つけたら、早いタイミングでラフな大きなボールを蹴り込んで、そのパスを追ってつなげていく。たしかに効率的かもしれないが、ミシェル・プラティニを中心にパスを回したフランスのシャンパン・サッカーや、ディエゴ・マラドーナを擁したアルゼンチン、あるいはブラジルの"黄金の4人"に比べたら、ドイツのサッカーはまるで面白くなかった。

 誰もが楽しみにしていたプラティニのフランスや、マラドーナのアルゼンチンを苦しめる、ヒール役のような存在でもあった。

 イングランドの得点王、ガリー・リネカーが「フットボールというのは90分間22人の選手がボールを追いかけ、そして最後にはドイツが勝つスポーツだ」という"名言"を残したのは1990年イタリアW杯の時だった。

 ドイツ人のなかにも、自国の悪口を言う人がいた。

 1986年のメキシコW杯の時、西ドイツ代表が試合をしているはずの日に他会場で観戦していたドイツ人サポーターに「ドイツの試合は、見に行かないの?」と尋ねたら、こういう答えが返ってきた。

「今の西ドイツ代表は面白くないから、見たいとは思わない。まあ、決勝にでも進んだら見に行くけど......」

 そして、この大会で西ドイツは実際に決勝に進出した。

 そんな低迷期を経て、1990年代に入るとドイツは協会(DFB)が育成部門を全面的に見直した。W杯優勝など結果は出していたのに、それでも「今のままではいけない」と判断して改革に踏みきったのだ。

 こうして、21世紀に入るとサミ・ケディラやメスト・エジル、マルコ・ロイスといったテクニシャン・タイプの選手が次々と育ってきた。いずれも1980年代末に生まれた世代である。その結果が、2014年ブラジルW杯での完璧な優勝につながったのだ。

 現在のドイツ代表の今後も、若い世代の選手にかかっているのは間違いない。

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