国境を越えて活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回はアイディスでゲーム開発プロジェクトを進めている韓相恩(ハン・サンウン)さんにお話を伺った。eスポーツブームもあり、小学生の時には「友達と集まってオンラインゲームで遊ぶ」のが当たり前だったハンさん。小学校、中学校、そして高校と進むたびに勉強の割合が増えていったが、ゲームへの思いは変わることはなかった。
聞き手は、AppleやDisneyなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
●PCゲームに漫画にアニメ、楽しいものに囲まれていた小学生時代
阿部川 “Go”久広(以降、阿部川) (背景を見て)後ろに見えるのは、ご担当されているゲームのグッズですかね。
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韓相恩(ハン・サンウン 以下、ハンさん) はい、キャラクターのアクリルプレートです。
阿部川 そういうグッズが並んでいる場所が会社にあるのですね! びっくりしました。
阿部川 ハンさんは韓国出身ですね。
ハンさん はい。生まれは韓国の首都、ソウルです。育ちもずっとその辺りです。
阿部川 小さいころは、どんなお子さんだったんですか。
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ハンさん 友達と遊ぶのが好きな、外交的な子どもでした。確か1998年ぐらいから韓国で「eスポーツ」がはやり出したので、小学生の時から当たり前のようにゲームをしていました。
阿部川 それは個人の家にPCがあって、そこで皆でゲームをしたということですか? それともゲームセンターのようにPCを利用できる場所があったのですか?
ハンさん 両方ですね。韓国には「PCバン」という皆でPCゲームができるところもあります。そこで皆が集まってゲームすることもあれば、学校が終わった後に家で友達とゲームすることもありました。
PCバン、調べてみると「オンラインゲームに特化したインターネットカフェ」ともいえる場所のようです。学校帰りに友達同士で集まり、皆でオンラインゲームを楽しむといった使い方をされているようです。
阿部川 ハンさんの時代であれば学校にもPCはあったと思うのですが、それでゲームすることはありましたか。
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ハンさん ないですね。学校のPCはあまりスペックが良くなかったので。やるならPCバンに行っていました。友達と一緒ならPCバン、一人の時は家で、といった感じでした。
阿部川 当時、流行していたゲームを教えてもらえますか。
ハンさん 有名どころだと「StarCraft」ですね。リアルタイムストラテジー(RTS)というジャンルで、韓国中でブームになっていました。他にはNEXONのオンラインゲームもよく遊んでいました。
阿部川 いいですね。楽しくて毎日ゲームばかり……といった感じでしょうか。
ハンさん さすがにそこまでではないです(笑)。勉強ももちろん頑張っていましたし、漫画もよく読んでいました。『ONE PIECE』とか『NARUTO』とか『DEATH NOTE』とか。
●「せっかく覚えたのだから日本語を使いたい」
阿部川 (今エンジニアなので)学校の勉強では、やはり理系が得意でしたか。
ハンさん はい、数学や物理は得意でしたね。
阿部川 韓国は受験が厳しいと聞きますが、勉強するときはゲームも我慢されていたのでしょうね。
ハンさん そうですね、中学校や高校の時にはそこまでやらなくなっていました。
阿部川 そのかいもあって高校は希望通りのところに進学できた、と。
ハンさん はい。結構特殊な外国語専門の高校だったのですが、無事に進学できました。日本語学科に入り、そこで初めて平仮名を学んだことを覚えています。
阿部川 なぜ日本語を専攻されたのでしょうか。
ハンさん 理由は幾つかあります。漫画の影響はもちろん、日本のアニメも理解できるようになりたいと思っていました。また、当時韓国で「J-POP」がはやっていたので、日本語を理解したいという思いが強かったのです。
阿部川 日本語に興味を持たれたということは、そのうち日本に行きたいと思っていたのでしょうか。
ハンさん はっきりとは思っていませんでしたが、大学に進学するときには、「せっかく日本語ができるようになってきたのだから日本と韓国の両方の大学に願書を出してみよう」と思いました。受験した後でどちらに入学するか決めればいいや、と。
日本でバリバリ活躍されているエンジニアは、こうした「思い切りの良さ」を持っていますね。自分に当てはめて考えてみたら「もし海外の方に受かったらどうしよう」だったので、私に海外は向いていないのかもしれません(笑)。
阿部川 韓国語も日本語もできるのだから両方出しちゃえ、といった感じですね(笑)。大学で勉強したいことは決まっていたのですか。
ハンさん PCを触ったり物理の勉強をしたりすることが好きだったので工学部を希望していました。
●ゲームの業界もプログラミングを生かせる仕事だと気付いた
阿部川 そして日本の神戸大学に合格します。高校卒業後、すぐ日本に来たのですか。
ハンさん はい。大学に受かったのは高校3年生のときで、その後、日本に来ました。ただ、大学で授業を受け始めたのは来日してから1年後です。その間、大学に用意してもらった機関(大学の学習カリキュラム?)で日本語を勉強していました。
阿部川 初めての日本はどうでしたか。
ハンさん 高校の修学旅行先が日本だったので、厳密には初めての日本ではありません。修学旅行のときも関西方面に来ていたので、初めての感じはそれほどなかったですね。
阿部川 工学科専攻ということでしたが専攻は機械工学科ですね。どんな勉強をしましたか? 工学科だと直接ゲームに関連するものではないですよね。
ハンさん そうですね、ただ、プログラミングの授業はありましたよ。勉強は流体力学など力学系がメインでしたが、その計算のためにプログラミングも学びました。思い返すと直接的には影響しなくても、仕事をする上で重要なことをいろいろ学んだと思います。
阿部川 在学中はゲーム関係に進もう、といった考えはありましたか。
ハンさん そこまで具体的には考えていませんでした。何となく材料系や制御系かな、と思っていましたが、プログラミングの方が面白いし、成績も良かったので、それを生かしたいとも思っていました。そういった感じで探していたら、もともと好きだったゲームの業界もプログラミングを生かせる仕事だと気付いたのです。
阿部川 プログラミングの授業を取っておいてよかったですね。大学時代のことで印象に残っていることはありますか。
ハンさん 当時は就職先を日本にするとは決めていなかったので、大学にいる間にいっぱい旅行に行こうと思って、冬休みなどの休みにはよく出掛けていました。沖縄、九州……考えてみたら日本全国ほぼ行きましたね(笑)。4年間、夏休みも冬休みも全部旅行に使いました。
阿部川 それはお金がかかりますね。アルバイトはしていましたか。
ハンさん そうですね、奨学金はもらっていましたけどアルバイトもしました。翻訳や通訳、居酒屋でも働きました。敬語は居酒屋のアルバイトで学びましたね(笑)。ああ、そういえば日本に来てから『PlayStation』などコンシューマー向けゲーム機をやり始めました。
PCゲームはマウスとキーボードを使うことが多いので、ハンさんはこのとき初めてコントローラーの使い方を知ったそうです。周りにいる、ゲームをする友達が男性ばかりだったので、やるゲームも格闘技やスポーツなど男性が好きなゲームに偏っていたそうです(笑)。
●そしてゲーム業界へ
阿部川 小さいころほどではないでしょうけれど、引き続きゲームは好きだったのですね。そして大学卒業後、ゲーム会社に入社されます。
ハンさん はい。1社目は本当に小さい会社で、先輩が5〜6人で作ったものでした。私はゲームの学校を卒業したわけではなかったので、いきなり大きなところに行くのではなく、小規模な会社で勉強しながら働こうと思ったのです。そこで今も使っている「Unity」(ゲーム開発環境、もしくはゲームの運用プラットフォーム)を独学で勉強しました。1年後にちょっと大きい会社に転職し、エンジニアとして仕事を始めました。
阿部川 それらの会社は神戸にあったのですか?
ハンさん ええと、先輩が作った会社にいるときは、基本オンラインでしたし、私もソウルと日本を行ったり来たりといった生活をしていましたので拠点は決まっていませんでした。その次の会社は東京にあって、そこからは私の拠点も東京になりました。
阿部川 それらの会社ではどんなゲームを作ったのですか。
ハンさん ジャンルでいうとRTSに近いもので、ユーザーを1対1でマッチングさせ、それぞれの持ちキャラクターが戦うゲームでした。プラットフォームは「Android」と「iOS」。先輩たちの会社で働いていた時は、モバイル端末内で完結する、サーバとの通信がいらないパズルゲームなどを作っていたのですが、2つ目の会社では他のプレイヤーとマッチングするサーバとのやりとりがあるゲームだったので、結構勉強しましたね。
阿部川 1社目で勉強したUnityのスキルを生かしたわけですね。そこからまた転職されますね。なぜでしょうか。
ハンさん 2つ目の会社がゲーム事業を畳むことになったのです。でも、自分としてはまだゲーム業界で仕事をしていたいと思い、転職を決めました。
阿部川 開発するゲームはやはりRTS系?
ハンさん いいえ、そこからは多様なジャンルに携わるようになりました。RPG(ロールプレイングゲーム)や教育系、知育系、音楽のゲームも作りましたね。年に1回くらいの頻度でプロジェクトが変わったので、いろいろなジャンルに関われました。受託開発が基本だったので、複数のプロジェクトを同時進行するというよりは1個終わったら次、終わったらまたその次という感じでした。そこでは3年ぐらい働きました。
コンシューマー向けゲームは開発に数年かかることもあるので、そう考えるとモバイルゲームの入れ替わりが激しいのも納得できますね。一つ一つ集中しながら短期間(1年単位)で多様なゲーム開発に携われたことは、きっとハンさんにとって大きな財産になったのではないでしょうか。
阿部川 そこに3年ほどいらして、また転職したんですね。仕事上で何か変化はありましたか。
ハンさん そうですね、作るゲームは変わりませんが、サブリーダーやリーダーをやるようになりました。後は、スマートフォン以外に、『Nintendo Switch』(以下、Switch)のゲームにも関わるようになりました。
阿部川 サブリーダーやリーダーになるとやはり違いますか?
ハンさん はい。自分が手を動かすより、説明するタスクが多くなりました。与えられたのを実装するのではなくて、企画と話してこうした方がいいとか、これは難しいとか、そういうのを説明して決めないといけない。説明するにしても、企画に対しての説明だけじゃなくて、エンジニアに対してもこういう設計にした方がいいなどを説明しないといけなくなるので、仕事の進め方はだいぶ変わりましたね。
阿部川 全然違いますよね、プロジェクトを動かす責任が出てきますから。
●SwitchとAndroid、開発が大変なのはどっち?
編集中村 ゲーム開発について教えてください。Unityはマルチプラットフォームに対応しているので、プラットフォームが変わっても開発にはそこまで影響がないのでは、と推測しているのですが実際はどうでしょうか。AndroidやiOSなどのモバイル端末と比べて、Switchなどのコンシューマーゲーム機で苦労する点などありますか。
ハンさん モバイル端末とコンシューマーゲーム機の違いとしては、コントローラーの概念があるかどうかですね。モバイル向けのゲームとは操作部分の作り込みが全く異なります。Switchはコントローラーに加えてタッチ操作にも対応していますから、その点も注意が必要ですね。
編集中村 そうすると「Switchの開発の方がモバイルゲームを作るよりも難しい」といったことがあるのでしょうか。
ハンさん うーん、なんともいえません……ただ、Switchはハードウェアが1つなので、動作検証はしやすいですね。その点、Androidだと端末が無数にあるので検証が大変です。Androidは「この端末だけ動かない」といったこともあり得るので、その端末を用意するところからがものすごく手間がかかります。
編集中村 ああ、何かで見たことがあります。いっぱい端末を並べて、それぞれ確認するみたいなことですよね。
ハンさん そうですね。最近はさすがに「用意できないAndroid端末は諦める」という方向で考えています。
編集中村 確かに最近は「バージョン●●以下は対応しません」みたいな話もよく聞きますね。その「●●バージョン以降じゃないと対応しません」という線引きは、誰がどんな感じで決めるんですか。
ハンさん OSのバージョンの話でしたら、GoogleやAppleから「この日までに、このバージョンより上にしてください」と伝えられるのでそれに合わせることが多いですね。「このプロジェクトはこの日にリリースするから、この時期だったらここまで(このバージョンまで)かな」と予測することもあります。
「メモリが何GB以上」などハードウェア的なものの条件については、ゲームでどれぐらいグラフィックスやエフェクトを使うのかによって社内で決めますね。
編集中村 ハンさんはそういった「決めごと」をする場に参加されているのでしょうか。
ハンさん そうですね、最近はあまりしていませんが。ゲームで使うエフェクトサンプルをデザイナーから幾つかもらって、1つの画面内で同時に再生して「何個までなら使える」「これ以上だったら動かない」などを検証して「この性能以下の端末は諦めよう」といったことを判断していました。
もちろん「動くかどうか」だけでなく、バランスを取らないといけません。エフェクトをもっと派手にしたり、逆に少なくしたり。スペックが低い端末でもプレイできるようにするのかどうかなど、実際に動かしながら調整しました。
ゲーム、漫画、アニメ、音楽とさまざまなものに関心を持った少女は、より理解を深めるために日本語を学び、せっかく学んだからと日本の大学にも進む。そこで学んだプログラミングをせっかくなら仕事にしたいと思っていたら、昔から好きだったゲームに関する仕事を見つけた。自らの内から出る好奇心をスキルに結び付けてきたハンさんが今後実現したいこととは。後編は現在の仕事について詳しく聞いた。
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