求人への応募は3倍に 愛知県の運輸会社が「年間1000万円」かける“本気の健康経営”

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2024年06月25日 08:31  ITmedia ビジネスオンライン

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鍋嶋洋行社長

 今年から始まった残業時間の規制により、ますます人手不足が深刻化する運輸業界。厳しい状況が続く中、愛知県瀬戸市の大橋運輸では県外からも求人に応募があり、6年連続で新卒も入社しているという。


【画像を見る】社内における喫煙率の推移。同社では禁煙採用も強化している


 社長の鍋嶋洋行氏は「今は、会社が人を選ぶのではなく人が会社を選ぶ時代」と語る。同社が選ばれる理由はどこにあるのか?


●「年間1000万円」もの健康への投資


 今年、大橋運輸は経済産業省から8年連続となる「健康経営優良法人」の認定を受け、その中でも上位の中小企業に冠する「ブライト500」に4年連続で入選している。


 鍋嶋社長によれば、社員の健康増進に力を入れるようになったのは15年ほど前。年金の支給開始年齢が段階的に引き上げられる中、長く働き続けるには健康が何より重要だと考えたからだという。


 「当時は、健康診断で病気の早期発見、早期治療をしましょう、ということが言われていました。しかし、ドライバーという職業では予防の方が大切だと考え、健康経営に取り組み始めました」(鍋嶋氏)


 始めた当初は年間数十万円だった健康への投資は、今では約1000万円にのぼる。従業員1人あたり約10万円程度の投資だ。「最初から1000万というわけにはいかなかったけれど、続ける中で十分に回収可能なコストだと分かってきた」と鍋島氏は振り返る。


●健康経営の効果 喫煙率、肥満率はどれだけ改善した……?


 目に見える成果としては、例えば喫煙率の低下がある。


 運輸業界は世間一般に比べて喫煙率が高く、2022年に心幸ウェルネス(兵庫県尼崎市)が実施した調査では喫煙習慣がある運送ドライバーは50%に達した。


 大橋運輸では、喫煙のリスクが分かりやすく描かれたアニメ『はたらく細胞BLACK』を紹介するなど頻繁に情報発信。禁煙を宣言した社員に対して禁煙外来受診料の補助、定期的なアドバイス、100日間の禁煙達成に対する表彰と副賞の授与などの施策でサポートしてきた。


 その結果、2016年は50%だった喫煙率が2023年には32%にまで低下、今年5月の時点で社内5部門のうち大型トラックを扱う部署を除く4部門で喫煙者ゼロを達成。最新の集計では喫煙率29%となった。


 他にも食事指導に加え、運動や睡眠などの健康情報の発信による従業員の意識改革が功を奏し、肥満率は2019年の39%から19%に低下、定期歯科検診受診率は64%に達するなど、社員の健康に対する意識の向上が数字に現れている(いずれも2023年の実績)。


●トップダウンで独自の福利厚生を実行


 健康経営の具体的な取り組みは、鍋島氏と健康推進室の室長で管理栄養士の太美善(たい みそん)さんの二人三脚で実施している。「ES(社員満足)施策はトップダウンで、CS(顧客満足)施策はボトムアップで」というのが鍋嶋氏の持論だ。


 「福利厚生について社員の希望を聞いても、予算感が分からないでしょうし、遠慮もあるでしょう。まずはトップや責任者が考えて施策を始め、それから社員の皆さんの意見を聞き、よりニーズに合ったものにしていく方が効率的です」(鍋嶋氏)


 多岐にわたる施策の中でも目立つのが、食に関する取り組みだ。朝食習慣を付けるために各営業所でバナナ、ゆで卵、トマトジュースを毎朝提供。他にも病気にかかりにくい身体を作るために週に2回、乳酸菌飲料(ヤクルト)を配布、季節ごとに旬の野菜や果物、肉や魚などを社員の家族の分まで提供――といった取り組みを長年続けている。


 バナナやヤクルトの配布に関して、社員からは開始当初「自分たちは猿じゃない」「子ども扱いしないで」といった声もあったが、今では「健康は食から」という考えが浸透した。


 社員の健康意識の向上に大きな役割を果たしたのが、2018年から雇用を始めた管理栄養士の存在だ。太さんはその3代目に当たる。


 健康診断で異常所見があった社員には、その原因やリスク、食事や運動のアドバイスをしたためた手紙を送る。それ以外の時期でも希望があれば健康相談にのる。コロナ禍で直接相談を受けるのが困難になった時期からは、LINEでの情報発信および相談の受け付けも始めた。


 一定の期間中に歩数を競い、上位の個人やグループに賞品が授与されるウォーキングイベント、LINEグループへの登録を条件とした抽選会など、「楽しさ」や「お得さ」を感じられる企画で関心を引き、行動を促す工夫も欠かさない。そのかいあって、今では社員の9割がLINEに登録し、食事や運動、睡眠やメンタルヘルスなど、健康に関する幅広い情報を受け取っている。


●「仕事と人生を楽しむ」ための取り組みも


 「楽しくお得」な制度としては、2021年に開始した「趣味応援企画」もユニークだ。社員の趣味や挑戦したいことを金銭面でサポートするもので、趣味や挑戦への思いとお金の使い道をまとめた企画書を提出し、選ばれれば最大10万円を受け取れる。


 年に3回、5〜6人に支援金を提供している。選ばれた社員の挑戦が後日社内報でレポートされることもあり、選考では共感が得られる企画かどうかが重視されるという。


 「例えば『還暦を迎える前に日本で一番高いバンジージャンプに挑戦する』という企画で選ばれた社員がいます。それも『趣味だからやりたい』ということではなく、それができたらさらに勇気が出て他のことにも挑戦できそうです、というストーリーが共感を得られたのだと思います」(太氏)


 鍋嶋氏は「仕事と人生を楽しむ」というテーマのもと、この企画を始めたのだと語る。


 「以前は『仕事を楽しんでほしい。そのためにも健康でいてほしい』と考えていました。でも、人生が楽しくないと、仕事の活力も沸かないですよね。仕事もプライベートも充実させて、より良い人生を送ることを応援したいと思っています」(鍋嶋氏)


●求人への応募は3倍 心身の健康を起点に好循環を生む


 2008年に鍋嶋氏が社長に就任した頃、大橋運輸は赤字経営が続き、人手不足に苦しんでいた。しかし現在は、健康経営に取り組み始めた頃と比較して求人への応募数が3倍以上に増加。これは健康経営も含むさまざまな取り組みの結果だ。


 鍋嶋氏はこれまでに経営面でも社員の健康を重視するため、会社の在り方を見直し、数多くの改革をしてきた。


 まず、大手の運送会社から安く引き受ける下請け仕事を極力減らす、長距離輸送からは撤退、近隣のメーカーなどとの直接取引きで付加価値の高い仕事に集中――といった改革を断行し、経営を正常化させた。


 人材不足の解消のためには早期から女性の採用を強化した。週3日勤務で管理職になった女性社員もいる。外国人やLGBTQなどの採用にも積極的で、LGBTQ当事者や支援者が集うイベント「名古屋レインボープライド」には毎年協賛を続けている。


 最近は、特に地域課題の解決に注力している。ビジネスとしては、生前整理・遺品整理、引越しなど個人向けの事業に進出。地域密着型のきめ細かいサービスで大手との差別化を図り、業績を伸ばしている。


 そしてCSR活動の一環として太さんを中心に取り組むのが、「地域健康プロジェクト」だ。地域住民の健康寿命を伸ばすことを目標に、他の地域団体や専門家などとも連携し、誰でも気軽に集える「おはなし広場」、バランスボールや太極拳、ヨガなどの運動教室、各種セミナーなどを無料で開催している。


 鍋嶋氏は「地域課題に挑戦する」という会社の姿勢が社員のモチベーションにも良い影響を与えていると指摘する。


 「売り上げや利益がモチベーションになったのは過去の話で、これからは自分が成長すること、それによって誰かの役に立つことが、仕事への活力になるのではないでしょうか。地域の課題を解決しようと思えば新しいことを学ばなければいけません。月に3冊まで本を買える制度があるのですが、その利用状況を見ていると、学ぶ社員が増えているなあと感じます」(鍋嶋氏)


 過去の成功法則をなぞる、与えられた仕事にまい進する、というやり方では生き延びていけない時代になった。そんな中にあって大橋運輸は、健康、プライベートの充実、そしてやりがいのある仕事が人の活力を引き出し、会社の成長につながるという好循環を見いだした。創業70年という老舗ながら時代の変化に適応している優れた事例だといえよう。


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