「百貨店閉店でにぎわいが消えた」キャンペーンに、新聞が“チカラ”を入れる理由

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2024年06月26日 07:11  ITmedia ビジネスオンライン

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「百貨店閉店=にぎわいが消えた」は本当か

 地元で長く愛されてきた百貨店が閉店したことで「街のにぎわい」まで消えてしまいましたとさ――。最近そんな暗いニュースが続いている。


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 分かりやすいのは『南日本新聞』(6月24日付)の記事だ。2024年1月、島根県で唯一の百貨店「一畑」が閉店。そこから街がどう変化したのかを現地取材し、こんな風に報じた。


「百貨店が消えたまちを歩いた。にぎわいは程遠く、駅前は活気を失った。若者はそっけなく『買い物はイオンか通販』…高齢女性は本音を漏らした『やっぱり「一畑」の紙袋で包んで渡したい』」(6月24日 南日本新聞)


 ほぼ同じ時期に『朝日新聞デジタル』も、埼玉ローカルの百貨店が閉店することを受けて、住民の不安をこんな調子で取り上げている。


「丸広百貨店(本店・埼玉県川越市)の東松山店が、建物の老朽化や売り上げの減少のため、8月に閉店することになった。現在地に店を構えて半世紀以上。地元からは中心市街地の空洞化を懸念する声があがる」(6月22日 朝日新聞デジタル)


 では、なぜこのような「百貨店が消えたら地方はおしまいだ」という「ノストラダムスの大予言」のような終末論が増えてきているのか。それは、2024年5月に話題となった「山形屋ショック」の影響も少なくない。


●「山形屋ショック」が与えた影響


 鹿児島県唯一の百貨店にして、創業270年の名門企業である山形屋が借入金の返済に行き詰まり、グループ会社16社とともに私的整理の一種である「事業再生ADR手続き」に入っていると報じられた。百貨店業界以外にも大きな衝撃を与えたのは記憶に新しいところだ。


 その後、事業再生計画は成立。山形屋は現在も営業しているが、「また経営が傾いたら閉店するのでは」という市民の不安が払拭(ふっしょく)されたわけではない。そこで前述したように鹿児島の地元紙『南日本新聞』が、「百貨店ゼロ県」の島根県松江市へ取材に行った。つまり、この記事は「山形屋再建」をテーマにした連載で、「百貨店がなくなった街がどんなに寂しいか」ということを鹿児島市民に知らしめる目的でつくられたものなのだ。


 このような話を聞くと、なぜ新聞はそんなに「百貨店閉店でにぎわいが消えた」という方向へ話を持っていきたいのかと不思議に思う人も多いはずだ。


 前出『南日本新聞』の記事に対して専門家なども指摘しているが、今日本の地方都市で起きている現象は「百貨店閉店でにぎわいが消えた」ではなく「にぎわいが消えたから百貨店が閉店した」が正しい。


 では、なぜ“にぎわい”が消えたのかというと、ごくシンプルに人口減少だ。


 2024年4月に総務省が発表した人口推計によると、2023年は前年比で59万5000人減っている。これは山形屋のある鹿児島市の人口と同じだ。


●活気が失われている本当の理由


 この国は今、わずか1年の間に鹿児島市が丸ごとごそっと消滅するほど人口が減っている。しかも、年を追うごとに高齢者の比率が増えていくのだ。身近にいる70歳や80歳を見てみるといい。病院には足しげく通うが、繁華街や市街地の大型商業施設などはそれほど通わないのではないか。シニアになるとどうしても外に出るのが“おっくう”になるので“にぎわい”と無縁になっていくものなのだ。


 つまり、地方の街を歩いて“にぎわい”とほど遠く、活気が失われているのは「百貨店が消えた街」だからなどではなく、「人口が減った街」だからであって、少子高齢化が世界一のスピードで進行しているこの国では当たり前の光景なのだ。


 だからこそ、『南日本新聞』や『朝日新聞』の「百貨店閉店でにぎわいが消えた」キャンペーンはかなり問題だと思っている。「新聞は事実を伝える」と信じてやまないピュアな人がこれらの記事を読んだら、「そっか、じゃあ“にぎわい”を取り戻すには、百貨店を再建すればいいんだな」というミスリードを招いてしまうのだ。


 人口が急速に減っている地方都市では、もはや「地域住民に愛される百貨店」というビジネスモデルは成立しない。つまり、「百貨店で街のにぎわいを生み出す」というのは、新聞ジャーナリズム的には地域活性化の美しいストーリーなのだが、現実には「勝算ゼロの負け戦」にすぎないのだ。


 ただ、これは別に筆者が想像で勝手に言っているようなことではなく、「商業施設のプロ」たちも同じ判断だ。分かりやすいのは2023年8月に閉店した北海道・函館市の商業施設「テーオーデパート」だ。


 ここも他のローカル百貨店同様、長く函館の人々に愛されてきた。なんとか存続できないかということで、大阪の不動産会社トライアングルが手を挙げて2024年8月に再オープンさせようと動いてきたのだが、最近「断念」した。『NHK北海道WEB』(6月14日付)の記事によると「主に地元の人たちの利用を想定した計画では、テナントの誘致がうまくいかなかった」というのだ。


 このあたりのシビアな現実を、トライアングルの竹内健一社長自身がNHKの取材に応じて、以下のように率直に答えている。


「誘致しようとした日本でも上位クラスの商業関係の施設からことごとく出店の拒否をされました。商業リサーチにおいて出てきた結論が、消費能力とか、そういったところが函館は弱いと。はっきり言って私も想定外の部分がたくさんあって、厳しいのは厳しい。函館市で物をつくって売ろうとか、函館の人たちだけを対象にした商売というのは、成り立たせるには困難な部分があるなと」


 函館市の人口は約23万人で、北海道では札幌、旭川に次ぐ第3の都市だ。そんな商圏であっても、「ビジネスとして成立しない」と商業施設が出店を拒否するのだ。人口約20万人の松江市や、人口約9.1万人の東松山市で百貨店が閉店していくのは不思議ではない。


 もっと言ってしまうと、百貨店という業態が成立しないのは、人口減少社会にもかかわらず、ショッピングセンター(以下、SC)の数がそれほど減っていないこともある。


●人口減少でも増えたSC


 日本ショッピングセンター協会によれば、2023年のSCは3092店である。2018年には3220店だったのでかなり減少している印象を受けるかもしれないが、これは錯覚だ。日本のSCは人口減少が進行している中で、バカバカと建てすぎて完全に飽和状態だったのだ。


 この連載でも繰り返し述べているが、日本の今の状況は半世紀以上前から予想できていた。しかし、それが目に見えるような形で分かってきたのは、少子高齢化という言葉が広く社会に浸透した1990年の「1.57ショック」(合計特殊出生率)を経た2000年以降だ。


 このあたりから近い将来、日本は人口が急速に減っていくことを、政府もマスコも言い出した。歴史的にも文化的にも移民政策がそぐわない国なので、あらゆる市場がシュリンクすることは目に見えていた。


 しかし、そこで奇妙なことが起きる。SCの出店ラッシュが起きるのだ。2003年には2611店だったものが、日本の総人口が減り始めるのと反比例するように出店が加速。2007年は2804店、2009年にはついに3000店を突破して、2016年には3211店にもなった。


 さて、ここまで言えばもうお分かりだろう。日本は人口が急速に減っているのに、SCが異常なペースで増えてしまって、今も3000店と人口に見合わないほどある。しかも、大都市の中心部よりも郊外や地方都市に多い。


 人口が減る中でこれほどSCが氾濫すれば、どこが客を奪われるのかは明白だ。実際、一畑が閉店した松江市で“にぎわいの拠点”はイオンモールなどのSCとなっている。


 しかも、『南日本新聞』が「にぎわいと程遠い」とゴーストタウンのように報じた松江駅前からちょっと足を伸ばして、松江城のあたりまで行けばつい最近オープンして、地元の『山陰中央テレビ』が「にぎわいの拠点として期待」と報じた大型SCがある。


 それは、「ナチュラルガーデン黒田」だ。


●「にぎわいが消えた」はずが……


 国宝・松江城や塩見縄手などの観光スポットが多いこのエリアに、もともと1981年にオープンした「アピア」という大型SCがあった。それが2006年に「キャスパル」となって再オープンし、長年愛されてきたが建物の老朽化などで2021年に閉店してしまった。


 しかし、その跡地にこの5月27日、ナチュラルガーデン黒田の核となる24時間営業のスーパーマーケット「マルイ」がオープンした。ちなみに、この施設には今後、無印良品や松江市の老舗和菓子店などのテナントが出店を予定している。


 『山陰中央テレビ』のニュース映像を見ると、オープン前には長蛇の列ができていた。このあたりはスーパー激戦区ということで、成城石井や三越伊勢丹などのブランド商品も扱って「商品力」で勝負をしていくという。


 人口減少によって松江市の「にぎわい」は消えている。しかし、そんな厳しい状況の中でも、住民のニーズや時代のトレンドにマッチした新しいSCによって、どうにか新しい「にぎわい」を生み出そうと努力しているのだ。


 しかし、『南日本新聞』の記事ではこういう情報は紹介せず、「百貨店閉店でにぎわいが消えた」というストーリーに固執している印象を受ける。もちろん、「山形屋再建」がテーマで取材に来ているのだから気持ちはよく分かるが、あまりにも「百貨店」に肩入れしすぎではないか。埼玉・丸広百貨店閉店を扱う『朝日新聞』もやたらと「百貨店閉店=地域にマイナス」を強調している。


 では、なぜ新聞社はこうも百貨店に優しいのか。


 いろいろな意見があるだろうが、個人的には、自分たちの姿と百貨店業界の衰退を重ね、感情移入をしているからではないかと考えている。


●百貨店よりも厳しい新聞業界


 なぜ筆者がそう思うのかというと、記者さんが生きている世界がまさしく同じだからだ。


 ご存じのように、新聞は斜陽産業で、厳しい人たちからは「消えていく」とまで言われている。日本新聞協会によれば、2000年の新聞の発行部数は約5371万部だったのが、現在は約2860万部だ。2000年比53%まで激減している。20年で需要が半分に落ち込む産業などある意味、百貨店よりも厳しい。


 ただ、これも百貨店と同様で、もともと日本は新聞社が異常なほど多すぎた。先進国で、1000万部とか800万部なんて全国新聞は存在しない。ネットやSNSの発達うんぬん以前に過剰供給だったのだ。


 だが、多くの新聞人はそういう事実を受け入れることなく、必死に「新聞はこの社会にとって必要不可欠だ」と訴える。いわく、「ネットメディアと異なる良質な報道」「新聞が消えたらフェイクニュースだらけだ」とかなんとか、新聞社の数が減ったら日本が滅びるみたいな話をしている。


 ただ、これも「百貨店閉店でにぎわいが消えた」キャンペーンと同じく、根拠のない恐怖をあおるミスリードだ。今の日本の人口規模なら新聞はもっと減ったところで、国民に特に大きな不利益はない。


 企業や政治家・有名人の不正をあぶり出しているのが、ほとんど週刊誌や暴露系インフルエンサーだという動かし難い事実がある。


 ネットメディアや週刊誌はうそばかりだというが、世の中で話題になるのはもはや週刊誌や暴露系インフルエンサーが発信源だ。ちょっと前まで岸田政権を苦しめていた裏金問題を突き止めたのも『しんぶん赤旗』で、日本共産党中央委員会が発行するゴリゴリの政党機関紙だ。日本新聞協会にさえ加盟していない。


●隠された裏メッセージ


 記者クラブというムラ社会の中で、抜いた抜かれたと毎度おなじみの情報源、おなじみの相手と競争をしているうちに、日本の新聞は、週刊誌や個人の調査報道だけではなく、さらには政党機関紙にまで追い抜かれてしまったのだ。


 これは百貨店も同様だ。新聞と同じく「社会に必要不可欠」と言われてきたが過剰供給気味なところ、SCやスーパー、アウトレット、ネット通販などに追い抜かされて斜陽産業となった。


 若者にそっぽをむかれて高齢者のノスタルジーの対象となっているところや、ネットやSNS社会にうまく適応できていないところ、そして何よりもこれまで自分たちよりも「格」が下だとさげすんでいたプレーヤーから追い抜かされて存在感を失っているところなど、新聞と百貨店には共通点が多い。


 人はどうしても同じような苦境の人に感情移入をしてしまうものだ。だから、新聞社はこんなにも百貨店を推すのではないか。


 「百貨店閉店でにぎわいが消えた」というミスリードを、新聞が気に入ってやたら繰り返すのは、もしかして「ビジネスとして成立しなくても世の中の役に立つ産業を守りましょう」というメッセージを世間に広めたいからかもしれない。


 新聞業界が「新聞の部数が減ったら言論の自由が消えてしまう」というキャンペーンを仕掛けて、「税金優遇」や「産業保護」を訴え出すのも時間の問題ではないか。


(窪田順生)


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