“優等生だった”24歳女性ダンサーが入れ墨を彫った経緯「整形も豊胸もオープンにしている」

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2024年06月26日 16:21  日刊SPA!

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Minaさん
 六本木の夜の街、ROKUSAN ANGEL(旧バーレスク東京)のステージから差す幾筋もの光に照らされて舞うショーダンサーたち。そのなかにひときわ目立つキャストがいる。
 Minaさん、24歳だ。170センチのすらりとした長身。そこから伸びる四肢に、目を奪われる。右手首から二の腕、両肩を経て左腕までぐるりと入れ墨が覆っているのだ。胸元のハートが燃えた絵柄の入れ墨を指して「バーレスク(当時)に入ったあとに彫ったのは、これだけかな」と笑った。

 若年でありながらすでに在籍5年目。年上の後輩も多く、その飾らない性格から慕われる存在でもあり、ダンス歴の長いMinaさんのショーには定評がある。着実にキャリアを築き、今やROKUSAN ANGELを牽引する実力派として成長を遂げたMinaさんの半生を聞く。

◆「バーレスクのファン」からキャストに

――当時のバーレスク東京に入ろうと思ったのは、どういう経緯からでしょうか?

Mina:目立ちたがり屋なんですよね、昔から(笑)。中学生のころにチアダンスをやっていて、その後もジャンルの違うダンスを継続してきました。「メインで踊りたい」という思いはずっとあったんです。ちょうどコロナ禍、バーレスク東京も営業を停止せざるを得なかった時期ですが、インスタライブなどで遠隔の営業をやっていました。私はバーレスクメンバーのなかに“推し”が何人かいて、彼女たちのチェキを購入したりする、いわゆる「ファン」だったんですよね。そこから、自分もダンサーとして応募しました。

――実際に入ってみて、どうでしたか?

Mina:自分にお姉さんがたくさんできたみたいで、本当に居心地がいいです。もともとちょっと甘えたいところがあるからか、特に初期のころは先輩たちにいろんな相談をさせてもらっていましたね。絆はかなり深いと思います。演者だけではなく、運営の人たちもとても真剣に向き合ってくれるので、働くのが楽しいと思えています。

◆入れ墨に対して客の反応は…
 
――かなり思い切った入れ墨を彫られていますが、周囲の反応はどうですか?

Mina:バーレスクの面接は、ダンス経験もあったし自信がありました。そもそも私、これまでの人生で叶わなかった夢はないんですよ。叶うように結構本気で打ち込むタイプで。ただ、受かったあとに聞いた話では、入れ墨はややネックになったようですね……。最初のころは、水着の衣装のときに長袖の水着を渡されたこともあります(笑)。確かに第一印象で損することはありますね。

 お客様からも「しゃべってみたらこんなに面白い子だったのか!」みたいにお声がけいただくことが多いです。ちなみに私、お客様に隠していることはほぼないんです。整形も豊胸もオープンにしていて、「ここまで自己開示する子は珍しい」なんて言われます(笑)。

◆なぜ入れ墨を彫ったのか

――入れ墨を彫るまでの経緯について聞かせてください。

Mina:私、こう見えて小学生時代は真面目だったんです。正確に言うと、父が厳しくて、反抗できなかったんです。だから父が決めた体操やバレエなどの習い事を全部こなして、勉強もきちんとやっていました。生徒会に入って運営したり、合唱祭の指揮者をやったり、いわゆる優等生です。

 転機になったのは父が自ら命を絶ったことでしょうね。当時、うつ病だった父は死を仄めかす言動をしていましたが、私はあまり気に留めませんでした。ただ、亡くなり方が亡くなり方なので生命保険もおりず、母は経済的に結構行き詰まっていたと思います。そうした環境のなか、私もふさぎ込むことが多くて、何回かリストカットやアームカットを経験するようになりました。

 一方で、父の生前にはできなかったオシャレにも目覚めて、髪の毛を金髪にしてギャルになるなど、傍からは「はじけてしまった」ように見えたかもしれません。それでも目標が定まると頑張るタイプなので、偏差値が高めの自由な校風の私立高校に行きたいと思って勉強し、合格しました。入学したあと、リストカットやアームカットの痕を誤魔化すためにワンポイントの入れ墨を彫っていったのが、どんどん増えていきました。

◆高校を中退してダンスの道に進むことを決意

――その後、バーレスク東京(当時)に入るまでは、どのような生活をされていたのでしょうか。

Mina:時間軸が前後するのですが、中学生のとき、チアダンスをやっていました。さっきお話した事情であまり経済的な余裕がないなか、母はなんとか費用を捻出して習わせてくれました。頑張って練習した成果もあって、JAM FEST! JAPANの国内大会を勝ち抜き、アメリカ合衆国バージニア州で行われる世界大会でも優勝することができました。

 志望する高校に無事に合格できたことは先ほどお話しした通りですが、ダンス部に所属して引き続きダンスに打ち込む日々が続きました。ただ、深夜練習などが続いて、次第に登校しても寝てしまう日々が増え、中退することにしました。ダンス一本でやろうと思ったんです。

 中退するときも、私の性格をよく知っている母は「止めてもあなたはするんでしょう」って言っていました。私のために学費の高い私立に通わせてくれていたのに、申し訳ないなぁと今でも思いますね。高校中退後、私は一人暮らしをして家を出ました。現在は自分が続けてきたダンスでこうして食べることができているので、その姿を母に見てもらいたいなとも思うのですが、それを叶えるのはこれからですね。

――現在、お母様とはどのようなご関係ですか。

Mina:やはり一時期、申し訳ない気持ちがあってぎこちない関係だったこともありますが、嬉しいこともありました。かつてギャル雑誌『小悪魔ageha』の専属モデルに選ばれたんですが、そのときは、実家に帰ると私が掲載されている雑誌が平積みされていたりしました。何気ないところで、応援してくれているんだなと胸が熱くなりました。

◆「恋愛経験が少ない」のが悩み

――これからMinaさんが叶えていきたい夢を聞かせてください。

Mina:ダンサーとして魅力的な存在になることはもちろんですが、見てくれる人たちに元気を与えられるようなショーを演出したいとは思っています。誰しもそうだと思うのですが、現状のままならない状況を考えて陰鬱な気持ちになったり、将来を思って不安感が襲ってきたりすることがありますよね。でもこの場所でダンスを見ているときだけは、憂鬱さを吹き飛ばすパワーが漲る――そんな空間をスタッフ全員で作り上げていきたいですよね。

 センターで踊らせてもらったこともあるし、喝采を浴びる快感も知っているのですが、最近は、他のキャストに嬉しいことがあったとき、自分のこと以上に喜びを感じるようになりました。きっと苦楽を共にした仲間だからこそ、そうした感情が生まれるのだと思います。これからも仲間たちと、お客様にエンターテイメントを届けられるように、試行錯誤していけたらいいなと思っています。プライベートではまず親孝行がしたいですね。それから恋愛かな(笑)。見た目よりもだいぶ一途で融通が利かない性格だからか、恋愛経験が少ないのが悩みだったりもします(笑)。

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 Minaさんは隠し事のできない人だ。あけすけにしゃべり、よく笑う。それでいて、豪快な印象と裏腹に、細やかな気配りが取材中の所作から伝わる女性でもある。

 幼き日に経験した喪失によって、Minaさんの人生は大きく揺らいだ。何度横道に逸れてもダンスという本籍地に還って来られたのは、不器用さとも紙一重の実直さゆえだろう。

 整った鼻梁も日本人離れしたスタイルも都会的で垢抜けた雰囲気も、彼女の武器ではあるが本質ではない。もっと奥底にある、「どんな人でも必ず楽しませる」という誓いにも似た気概が周囲を奮い立たせる。そうした意味において、スマートでもなければ洗練されてもいない。ただひたむきに、粗削りのまま、Minaさんは空間すべてをエンターテイメントの魔法で染め上げる。

<取材・文/黒島暁生>

【黒島暁生】
ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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