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大抵の路線は「起点」と「終点」があり、どこからどこを結ぶのか分かるようになっている。一方で、中にはそんな感覚を抱かせない路線もある。代表例がJR東日本の山手線だ。
山手線は、東京の中心部をぐるぐると回っている環状線だ。1日に同じようなところを何度も回り続けている路線に、起点や終点なんてものはあるのだろうか。
同様の環状線は、大阪にもある。JR西日本の大阪環状線だ。大阪駅や天王寺駅などを通り、大阪市内をぐるぐると回っている。この路線は複雑で、ぐるぐる回り続ける列車もあれば、途中だけこの路線を走る列車もある。
これらのJR路線には、実はきっちりと決まった起点と終点がある。では、どの駅なのか。
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●山手線はそもそも、環状線になるつもりがなかった
山手線はラッシュ時におよそ3分おき、平日昼間でも5分おきに運行している。コロナ前はもっと本数が多かった。そんな山手線はもともと「都市圏内輸送のための路線ではなかった」というと、意外に思う人もいるかもしれない。
山手線の起点は、品川駅である。当時は「品川線」と呼ばれ、品川から赤羽に向かう路線だった。この路線を通じて、内陸部の物資を東京の中心部や、横浜港に送り出すために設けられた。
下町エリアは人口密集地帯なので、貨物を走らせるために人の少ない場所に線路を敷いたのが、いまの山手線の“始まり”となっている。田端方面に向かうのではなく、当初は赤羽駅へと向かい、同駅で北関東・東北方面の路線と接続した。
こうした背景があったので、当初の山手線は貨物輸送がメインで旅客はサブ、しかもいまのような環状になっていなかったのだ。
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●現在の山手線が誕生
その後、池袋駅が誕生し、田端駅へと向かう支線となった。田端駅を介して常磐方面との物資輸送も可能になった。この路線は「豊島線」という。
そして品川駅から新宿駅、池袋駅、上野駅を結んで運転する列車が旅客ではメインとなり、池袋駅から赤羽駅に向かう路線は支線となった。こうして現在の山手線の原型が生まれる。
現在の新橋駅の場所に烏森駅が誕生し、烏森駅から品川駅、新宿駅、上野駅までが電化したのは1909年12月のこと。このあたりから旅客鉄道としての存在感を見せていく。
1914年12月に東京駅が開業。中央線と接続し「の」の字運転になる。1925年3月には貨物線がようやく分離し、同年11月には神田駅と上野駅が結ばれ、ようやく環状運転を開始した。
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貨物のための路線は、東京圏の拡大により旅客輸送に重点が置かれるようになり、その後非常に混雑する路線になっていく。こうして環状線としての山手線が誕生した。
だが、〇〇区間は△△路線、という形で決まっていた。例えば、東京駅から品川駅までは東海道本線であり、東京駅から田端駅までは東北本線である。山手線は、そこに乗り入れていることになっている。路線としての山手線の終点は、田端駅である。田端駅まで来た時点で別の路線と接続し、乗り入れるという形態をとったのだ。
そんなわけで、個別の路線としての山手線は、品川駅を起点とし、田端駅を終点とする。一方、線路はそれぞれに敷かれている。そうでないと多くの本数をさばけないからだ。
●環状になる時期が遅かった大阪環状線
一方の大阪には、JR/私鉄含めターミナルがいくつもある。大阪環状線の内側にも、私鉄のターミナルは見られる。
現在の大阪環状線となる路線は、まずは天王寺駅から玉造駅までが1895年5月に、玉造駅から梅田駅(現在の大阪駅)が同年10月に、それぞれ開業した。天王寺駅では湊町駅(現在のJR難波駅)発着の路線と接続していた。
大阪駅から安治川口駅までの貨物路線は1898年4月に誕生し、1899年5月に大阪駅から福島駅まで旅客輸送を開始した。その後、桜島駅まで路線が伸長。1943年5月には、天王寺駅から桜島駅まで直通列車が運行される。
環状線になるのは戦後のことである。1961年4月に桜島駅までの路線の途中、西九条駅から天王寺駅までの路線が開業した。ここで大阪環状線という路線名が生まれた。西九条駅から桜島駅までは桜島線となった。
ただし当時は、桜島駅から大阪駅を経て、京橋駅、天王寺駅、西九条駅とを結んでいた。その後1964年3月に西九条駅が高架化し、新今宮駅が開業。全線が複線となり、完全な環状運転が可能になった。1968年には新今宮駅と天王寺駅の間が複々線になり、関西本線と分離した。
大阪市の戦後復興計画の中で環状線建設を実施することになり、それがようやく実現したといえる。
こういった経緯から、大阪環状線は天王寺駅が起点となり、新今宮駅が終点となった。「関西本線の今宮駅にも大阪環状線のホームがあるじゃないか」という声も出てきそうだが、今宮駅には1997年3月まで大阪環状線のホームはなかった。新今宮駅から天王寺駅は、関西本線となっている。
現在の大阪環状線は、多目的に使用されている。山手線のように全列車が周回しているのではなく、関西国際空港や紀州方面の特急列車が西半分を使用し、京橋駅を出て大阪駅を経由し、関空・和歌山方面に向かう列車もある。大阪駅発着の奈良駅方面への列車もある。貨物列車も大阪環状線を使用する。
路線としては天王寺から大阪駅を経て新今宮駅を結ぶものの、それとは関係なく多目的に利用されるのが大阪環状線の特徴である。
●地下鉄にも環状線はある
地上の鉄道だけに環状線があるわけではない。都営大江戸線は、東京の人にはなじみが深い環状の地下鉄である。
都庁前駅を起点とし、光が丘駅を終点とする。路線の構造上、この2駅を往復する。しかし、途中で都庁前駅をいったん通る。それゆえに環状線として扱われている。
同路線は1991年12月に光が丘駅から練馬駅が開業し、1997年12月に練馬駅から新宿駅、2000年4月に新宿駅から国立競技場駅が開業した。このとき「大江戸線」を名乗るようになった。同年12月に国立競技場駅から築地市場駅、両国駅、飯田橋駅を経て都庁前駅に向かう路線が開業し、環状線になった。
だが、途中で起点にいったん戻るものの、ぐるぐる回らないところが都営大江戸線にはある。環状というより「6」の数字に近い。
●完璧な環状線はあるのか
では、いわゆる“完璧”な環状線はあるのだろうか。起点と終点が一緒で、ぐるぐると回る路線はどこだろう。
山手線と大阪環状線は、実態として環状運転をしているものの、路線の起点と終点は別だ。都営大江戸線は全区間同じ路線だが、ぐるぐる回っていない。ではどこに環状線があるのか。
名古屋市営地下鉄の名城線は、起点が大曽根駅、終点も大曽根駅という路線である。1965年10月の部分開業以降、工事は進み、2004年に全線が開業。これで純粋な環状運転ができるようになった。ただし、金山駅で名港線と接続し、名城線と名港線が乗り入れている。
計画では大曽根駅から栄駅、金山駅を経て名古屋港に向かう2号線、大曽根駅から名古屋大学駅を経て金山を結ぶ4号線だったものが、環状区間と枝線で路線名を分け、環状区間を中心に運行するようになった。
この路線こそが、「ザ・環状線」という名にふさわしいのではないだろうか。
環状線といってもさまざま歴史があり、路線名と運行区間名が違ったり、ぐるぐる回っていなかったりする場合もある。さまざまな経緯によって環状線になったこれらの鉄道は、営業上の必然性があって環状線になったのである。特に、山手線や大阪環状線は求められるものに応じて姿を変えたといえるだろう。
(小林拓矢)
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