【陸上】「単純に足が遅かった」消したSNS、見なかった五輪中継…佐藤風雅は悔しさを糧にした

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2024年06月27日 08:26  日刊スポーツ

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陸上世界選手権で男子400メートル予選を走り終えた佐藤風雅(2022年撮影)

陸上のパリオリンピック(五輪)代表選考を兼ねた日本選手権が27日、新潟・デンカビッグスワンスタジアムで開幕する。


注目は男子400メートル(30日決勝)。日本歴代3位の自己記録を保持する佐藤風雅(ふうが、28=ミズノ)はパリ参加標準記録(45秒00)を突破済みで、今大会で優勝すれば代表即内定となり、3位以内でも代表入りが濃厚となる。遅咲きのロングスプリンターが、個人種目では初の五輪切符を懸け、過去最高水準の争いに挑む。


 ◇   ◇   ◇


佐藤風は力強い言葉に闘志をみなぎらせた。「人生を変える日本選手権にしたい」。気合あふれる走りを見せる情熱的なロングスプリンターが、ついに五輪への道を開こうとしている。


陸上を始めた茨城・中央高から軸足を置いていた400メートル。作新学院大時代の17、18年には日本選手権に出場も、ともに予選で敗退した。


「負けてばかりだった」と強豪実業団から声はかからなかったが「競技を続けたい」との思いは変わらなかった。社会人1年目の19年は足利銀行で働きながら陸上を続け、20年からはさらに競技に集中するべく那須環境技術センターへ転職。「代表を目指そう」と覚悟を固めた。


作業服姿で午前8時半から午後4時まで設備点検や薬品補充などの業務にあたり、退勤後に自分でメニューを組み立てて練習。会社の協力に感謝を感じながら力を高め、同年の日本選手権では3位と躍進した。いつも熱心に支えてくれていた勤務先の社長に「実は軽い気持ちで採用したんだけど、ここまでの選手とは思わなかった」と喜ばれると、ますます気合が入った。


ただ、物事はとんとん拍子には進まない。夢の五輪が輪郭を帯び始めていたが、翌21年の同選手権は5位にとどまり、東京五輪代表には届かなかった。


「ふてくされて、ベンチプレスばかりしていました」


悔しさや怒りが込み上げ、五輪中継も見なかった。ハイライトの映像や結果が目に入るのも嫌で、スマートフォンからツイッター(現X)もユーチューブのアプリも消した。ひたすらトレーニングに没頭した。


すると9月には400メートルで自己新の45秒84をマーク。結果が出始めて、ようやく気が付いた。


「俺は単純に足が遅かったんだな」


そこから「個人種目で世界へ」と再出発を切った。悔しさが走りの進化の土台となり、22年には日本選手権で初優勝。同年から2大会連続で世界選手権準決勝に進出した。現所属のミズノに加入した23年には、日本勢3人目の44秒台を2度も記録するまでになった。


東京五輪前は「選ばれれば何でもいい」と思っていた。でも今は「44秒台半ばで優勝」と明確にパリへの道筋を描くようにもなった。


「今思えば、東京五輪には出なくてよかった。当時は五輪に選ばれることしか考えていなくて、出場した後のことをイメージできなかった。だからきっと、出場しても何もできなかった。でも今は絶対に力を出せる。ここ2年で、試合前に具体的な目標を言えるようになった。あの時の実力の伴っていない自分から成長できていると思う」


人生は変えられる−。パリ切符をつかみ、自分自身で証明してみせる。


◆佐藤風雅(さとう・ふうが) 1996年(平8)6月1日、茨城県笠間市生まれ。茨城県立中央高から本格的に競技開始。作新学院大を経て、19年に足利銀行に入社し、20年に那須環境技術センターへ転職。同年の全日本実業団対抗で優勝。22年日本選手権で初優勝し、同年から2大会連続で世界選手権準決勝に進出。23年からミズノに加入。自己ベストは44秒88。

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