史上初めて44秒台選手同士が日本選手権で対決 男子400mを国際レベルへ押し上げる“ダブル佐藤”【日本選手権プレビュー】

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2024年06月27日 12:53  TBS NEWS DIG

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陸上競技の男子400mが盛り上がっている。昨年日本記録の44秒77をマークした佐藤拳太郎(29、富士通)と、日本歴代3位の44秒88で走った佐藤風雅(28、ミズノ)が日本選手権(6月27〜30日、新潟)で激突する。2人ともパリ五輪参加標準記録(45秒00)を突破済みで、優勝すれば代表に内定する。標準記録突破者は3位以内でも7月上旬に代表に選考されるが、2人は“勝ち”にこだわる。その姿勢が日本の400mを世界レベルへ押し上げるからであり、選手の競技人生に大きく影響する大会へのリスペクトがあるからだ。
2人にとって今年の日本選手権が持つ意味とは?

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前半は佐藤風がリードする展開か?

日本人44秒台ランナーは歴代で3人しかいない。44秒78の前日本記録保持者の高野進と“ダブル佐藤”である。2人が初めて44秒台を出したのは昨年8月の世界陸上ブダペスト大会なので、日本選手権に44秒台ランナー2人が出場するのは今年が初めてとなる。

2人の対決は、佐藤風が先行することが予想されている。
昨年の世界陸上の100m毎の通過タイムを日本陸連が計測している。佐藤風の44秒88(準決勝2組)の200m通過は21秒09で、佐藤拳の44秒77(予選1組)は21秒71だ。ちなみに前日本記録保持者の高野が44秒78を出した時、200m通過は21秒3だった。
佐藤風は通過タイムからもわかるように、前半のスピードを上げることで400m全体の記録を向上させてきた。日本選手権での自身のレース展開を、6月上旬には次のように話していた。

「しっかりとしたイメージを持って、リラックスした前半の走りで去年以上のスピードを出すことを考えています。やみくもに21秒0台を目指すと力みが生まれやすい。前半を気持ち良く行くのは好記録を出すときの前提条件なので、それが結果的に20秒台の通過タイムになればいいな、という気持ちはあります」

一方の佐藤拳は200mを、どういった考え方で通過したいのだろうか。

「前半はゆとりをもって走るといっても、昨年の200m通過は世界と比べて遅すぎました。日本記録は21秒7台でしたが、それを21秒5以内で通過できるようにしたい」

2人が想定している200m通過タイムには、0.4〜0.5秒の違いがある。佐藤風の200m通過は世界でも屈指の速さで、日本選手権でも4〜5m先行する可能性があるということだ。

だがフィニッシュでは2人とも同レベルのタイムを想定し、優勝が目標だという。

「400mの組み立てをしっかり行えば、日本記録以上のタイムを出せますし、44秒5以内を目標としてやっています。そのタイムを出せば自ずと順位が付いてくる」(佐藤拳)

「44秒台中盤のタイムで優勝することが目標です。(3位以内でも代表入りが有力だが)3番と考えると自分にとって勝負をする場所なのかな、という気持ちになります。やはり優勝で即内定を勝ち取りたい」(佐藤風)

“ダブル佐藤”の争いは、日本新記録での決着を2人とも望んでいる。

学生時代に日本選手権で出した自己記録が“壁”になった2人

2人は学生時代の日本選手権で出した自己記録を、数シーズン更新できなかった共通点がある。

佐藤拳は城西大3年時の15年の日本選手権予選で45秒58を出したが、その記録を更新したのは45秒31を出した昨年5月の静岡国際だった。その間も日本選手権で上位に入り、五輪&世界陸上の4×400mリレー代表には4回入っている。決して一発屋ではなかったが、佐藤拳自身は22年のアキレス腱痛を契機に自身を見つめ直したことで結論を出せた。

「400mに真摯に向き合えていなかったと感じました。自分の中の原則、経験だけで400mを行っていて、限界ができてしまっていたのだと思います。400mのどこの区間をどう走れば記録が伸びるのか、どういう動きやペース配分をすればいいのか、大学院に行って400mと自分の走りを科学的に考えました。自分の中で400mというものを作り上げる、言語化できるようにしました」

その結果が8シーズンぶりの自己記録更新から、32年ぶりの日本記録更新まで一気に突き進んだ。佐藤拳自身と関係者を除けば、奇跡のように感じられた23年シーズンになった。

一方の佐藤風も作新学院大3年時の17年に、日本選手権予選を45秒99で走った。しかし45秒台を出しても予選を通過できなかった。気象的な好コンディションに恵まれたタイムであることは明白だった。400m選手にとって45秒台は1つの勲章だったが、佐藤風は競技優先の練習環境を提供できる実業団チームに入ることができなかった。

大卒1年目はフルタイムで仕事をしながら走り続けたが、記録は低迷した。栃木県の陸上関係者間には「もう無理だろう」という雰囲気もあったという。しかし佐藤風はところどころで良い走りをして、卒業2年目(20年)に転職できた。競技環境が良くなり、日本選手権でも3位と健闘した。

しかし東京五輪代表入りを狙った21年6月の日本選手権で5位と敗れ、4×400mリレーメンバーにも入ることができなかった。

「冬期にヒザ裏を痛めていた影響もあって、体も心も状態が整っていませんでした。代表に選ばれる、勝負をしに行く、そういう部分で気持ちが他の選手より弱いんじゃないかと思いました。9月の全日本実業団陸上までの3か月で、翌年の世界陸上オレゴン代表を個人種目で目指そうと奮起しました」

その全日本実業団陸上で45秒84と、大学3年時に出した45秒99を4シーズンぶりに更新した。そして翌22年は日本選手権で初優勝。自身に課した世界陸上オレゴン400mの代表入りを果たし、世界陸上本番でも準決勝に進出。1走を務めた4×400mリレーでは過去最高順位の4位、2分59秒51のアジア記録(当時)と一気に国際大会で活躍する成長を見せた。

そして23年シーズンからはトップ実業団チームのミズノに加入。世界陸上ブダペストでは前述のように準決勝で44秒88をマークした。高校時代は49秒39だった選手が、強豪ではない大学で45秒台を出し、その記録を更新するのに4シーズンかかったものの、そこから2シーズンで44秒台まで到達した。佐藤風の成長もまた、奇跡と思える足跡だった。

日本選手権は「人生を変える大会だった」と、1年前の取材で話していた佐藤風。44秒台の記録を出して臨む今年は、どういう意味を持たせたいのか。

「いやあ、今回も人生を変えに行く日本選手権にしたいですね。日本選手権は毎回、一番緊張というかプレッシャーがかかる試合で、代表選考になっている試合ですから、毎年日本選手権は自分の人生かけてやる価値があると思っています」

“ダブル佐藤”の強さは、人生をこの種目に懸けてきた背景があるからだろう。

お互いのライバル意識が世界に向かう原動力に

佐藤風は佐藤拳のことを「最初は同じ名字のすごい人がいる。いつか僕も4×400mリレーの代表で走りたいな」という認識の仕方だった。一緒に遠征行くようになって話もするようになると「本当に色々なことを勉強されていて、レース展開もすごく落ち着いていて、色々な経験を力に変えている方だな」という印象を持つようになった。

佐藤風が敬意を持ち、佐藤拳は穏やかな性格で後輩たちからも慕われている。おそらく2人の間には、何か通じ合うものがあるのだろう。

佐藤風はいざトラックに立てば、2学年先輩の佐藤拳へのライバル意識を隠そうとしない。昨年は国内試合では何度も勝てたが、国際試合では負け続けた。世界陸上準決勝では自身の方がよかったが、予選を日本記録で走った佐藤拳に記録的には先行された。

昨年のアジア選手権では45秒13と自己記録を更新しながら、45秒00(当時日本歴代2位)の佐藤拳に敗れた。帰国後の取材で「次は自分が勝って、『拳太郎さん、オレの勝ちだ』と言いたいですね」と話したことがあった。2人には世界を目指す共通認識がある。国内で切磋琢磨することが世界に近づいていく重要な要素だとわかっているから、ライバル意識を表に出すことができる。佐藤拳は今年の日本選手権での対決を次のように位置付けている。

「佐藤風雅選手も、(前回優勝者で世界陸上準決勝進出の)中島佑気ジョセフ選手(22、富士通)も、確実に44秒台で走ってくる。世界の決勝を目指した際に確実にライバルとなる選手たちです。そうしたライバルと国内でまず勝負ができることは、パリ五輪を戦うことを見据えたときに、日本一をかけて勝負をすることに大きな意味をなすと思います。その勝負の中で私自身が考える400mの組み立てができなければ、パリ五輪でも勝負はできません。400mを5つの区間に分けて考えていますが、日本選手権でも区間毎にやりたい動き、パフォーマンスの発揮を1つ1つ丁寧にやっていきたいと思っています」

世界を目指す気持ちは、佐藤風も負けず劣らず強いものがある。高校時代に実績のなかった選手が、日本一でも満足せずに世界に挑み続けられているのは「21年の東京五輪代表に入れなかったからです」と言う。

「日本選手権5位でも、4×400mリレーメンバーの選考基準を満たせず代表になれなかった。4×400mリレーと考えていた時点で、自分に弱さがあると思いました。そこである意味開き直って、リレーメンバーを目指してダメなら個人で世界を目指そう、個人でもっと上に行きたいと気持ちが変わったからですね」

前日本記録保持者の高野進は、91年の世界陸上東京大会と、92年バルセロナ五輪で決勝進出を果たした。“ダブル佐藤”も世界大会の戦績で、高野を超える実績を作りたい。

(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)

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